迎えに来ました
続いてお読みいただき
ありがとうございます
公爵に続いてソファから立ち上がったシャルーナは、『失礼します』ときちんと貴族としての礼をし、踵を返して公爵を追った。
国王陛下が、『ノーベント公爵!』と呼び止めたが、振り返った公爵は既に三人くらい殺めた後のような冷酷な表情で、『明日、書類作成に伺いますから』とだけ言って、シャルーナを急かすように肩を抱いて退室した。
ノーベント公爵邸へと帰る馬車の中は、やはり重苦しい空気が充満していた。
シャルーナの前に座る公爵は自分の怒りを落ち着けようとしているのか、グッと手を握ったまま。顔は正面を向いているが、目はしっかりと閉じられていて口はへの字だ。
どうしたものか。
シャルーナは、どうにか今の父を宥めたいとあれこれ考えるが、これといった決定打が見つからない。
お母様にお任せしたほうが良いのだろうか、とも思ったが、今回は自分が関わっていることだ。とりあえず自分はどうしたいかを伝えるべきかと考えた。
正直なところ、ラリックのことは大切に思っていたので、側妃となっても良いとは思う。
リイリン王女はまだ三歳。王太子妃となるのは早くても十五年は先だ。
ならばそれまでは隣にいられるのではないか。隣ではなくても近くにいられたら幸せではないだろうか。
しかしそう考えた直後に思うのは、二人のご成婚を自分は心の底から祝えるだろうか、という不安。
自分ではない女性の腰に手を回し、優しく愛おしそうに微笑むラリックを想像すると、胸がチクチクと痛む。
無理だと思う。
こんな気持ちのまま側妃となれば、後宮にいらぬ争いを持ち込んでしまうかもしれない。
ラリックのためにも、それは避けなくてはいけない。
それならばいっそのこと他国へ嫁ぐことはできないだろうか。
国内では二人のお姿は見たくなくても見ることになる。他国であればせいぜい噂が聞こえてくるかどうか。
はあ、辛い。
婚約を解消してもしなくても辛い。
「シャルーナ」
俯いて考え込んでいたシャルーナに、公爵が声をかけた。
シャルーナの目に映る父はいつの間にか冷静さを取り戻したようで、いつもの雰囲気に戻っていた。
「はい」
「お前はどうしたい?」
ああ、やはりそれか、とシャルーナは今考えていたことを再度考える。
しかし、どうにも答えが見つからない。
ふう、と小さく息を吐き、まだ思考が固まらないまでも正直に答えることにした。
「今更ですが、私はラリック殿下をお慕いしておりました。ですから、側妃に望まれるのならばそれでも良いかと思います。ただ······」
シャルーナは込み上げてくる何かを抑え込みながら、ゆっくりと言葉をつなげる。
「ただ、成人したリイリン王女とのご成婚を喜べるかと言われると、正直な気持ち、無理だと思います。なので、もう少し考えたいです。もう少しだけ」
「では、側妃を断るのならばどうしたい?」
「その時は······その時は他国へ嫁ぎたく······」
「わかった。では暫く落ち着いて考えられるように領地へ行こうか。ちょうど学園も夏の長期休暇に入るだろう?休暇の間、あちらにいようか」
「そうですね。その方が雑念なく考えられる気がします」
「ではそうしよう。帰ったら準備をして、明日にでも出発しよう」
明日出発とは随分急な気もするが、きっとリイリン王女とラリック殿下の婚約は近く公表され、王都ではどこに居てもその話で湧き立つことだろう。
その中に居るのは辛い。
きっと父もそれを考えてのことだろうと思うと、父からの愛を感じて少しだけ気持ちが救われたシャルーナだった。
公爵邸へと到着するとすぐに、母とマコーレは父の執務室へと呼ばれた。
もちろん話は城であったことと、明日領地へ出発するということ。
まだ学園は休みではないが、長期休暇は四日後からなので休んでも問題ないだろうと父が決めた。
母もマコーレもシャルーナの気持ちを慮り、深く追求せずに、『では早速準備いたしましょう』と執務室を出ていった。
シャルーナも出ていこうとすると、『どちらに転んでも良いように、明日書類だけは作成してサインしてくる』と父から言われる。
この場合の書類とは、きっと婚約解消の書類だろうと理解したシャルーナは、もしかするとこのまま全て終わりになるのか、と思いつつもその時はそれでも良いのかもしれない、と諦めも感じた。
父の目を見て頷いて、今度こそ退室した。
邸内は明日の準備のためか、もう既に騒がしくなっている。
シャルーナはざわついた心を落ち着けるために、庭へと向かった。
シャルーナは庭にある四阿のベンチに座り、無心になろうと深呼吸した。
目を閉じ数回ゆっくりと深呼吸したが、浮かぶのはラリックとの思い出だけ。
この四阿でも何度も語り合った。
あの木はラリックが手ずから植樹なさった。
あの花はシャルーナに似合う、と一輪手折って髪にさしてくれた。
ラリックとの思い出ばかりが浮かぶだけで、とても落ち着けないと場所を移動することにした。
次に向かったのは図書室。
しかし着いて早々退室した。
ここも思い出が多すぎる。
よく考えてみると、公爵邸内でラリックが入ったことがないのは両親の寝室とシャルーナの寝室くらいではないだろうか。
シャルーナは諦めて自室へと向かうことにした。
シャルーナの部屋でも衣装部屋の扉を開けて、持っていくドレスや宝飾品を出していた。
中にはラリックから贈られたものも出されていて、『殿下から贈られたものは置いていくわ』とシャルーナが伝えると、ハッとした表情を浮かべたメイドが、『申し訳ありませんっ』と慌ててそれらを戻していた。
既に城であったことが知れ渡っているのだとわかり、準備しているメイド達に申し訳ない気持ちになってきた。
彼女達は自分とラリックの今までの関係性を見てきたから、きっと戸惑っていることだろう。しかも側妃を受け入れるのか婚約解消するのか、自分自身まだ考えがまとまっていないのだから、メイド達も混乱しているはずだ。そうシャルーナは思い、休暇は領地へ行くが、なるべく早く答えを出そうと決意した。
翌日朝食のために食堂へ行くと、既に父は登城していた。
シャルーナはいつもより遅く起きた。
とはいえ一時間だけ。
こんな時間に出かけたのは、たぶん父なりの嫌がらせだろう。
なんとも子供っぽいやり口に、シャルーナはふふっと声を出して笑ってしまった。
その様子を見たマコーレはニヤリと笑った後、『まったく、父上も大人げないよね』と大袈裟に嘆いてみせる。
その言葉に母は、『あら、私はこんなことする可愛らしい旦那様が好きですけどね』とさり気なく惚気けてみせ、シャルーナとマコーレに『はいはい』と笑って受け流されていた。
昨日の重苦しい空気は消え、あとは父が城から戻り次第出発だと皆自室で父を待った。
シャルーナは、静かに読書をしていた。
学園で歴史の教師が薦めたハイノ国の建国当時が書かれた本で、神の国と呼ばれるハイノ国らしく、所々に宗教的な話も織りまぜてあり神秘的な内容だった。
もっともその教師は、『全てを事実として受け取るのではなく、神の国と言われる所以を理解すれば良い』と言っていたので、シャルーナは物語として読んでいた。
朝食を済ませ二時間経ったが戻らない父に、書類作成が難航しているのかとシャルーナは心配しながらも、いつの間にか夢中になって読書をしていた。夢中で読み始めてからあまり時間は経っていなかったが、何やら邸内が騒がしいことに気がついた。
父が帰宅したのかと思ったが、シャルーナの部屋の扉が突然開き、ずんずんと近づいてくるラリックの姿に、シャルーナは驚きとっさに動けなかった。
「申し訳ありません、殿下。旦那様はただいま不在で──」
「知ってる。大丈夫だ、公爵に話はつける。さあ、シャルーナ」
後ろから引き留めようとついてきた執事と会話をしながら、自然にシャルーナに声をかけて差し出してきたラリックの手を、シャルーナはついいつもの習慣で取ってしまった。
ふっ、といつものように笑ったラリックはそのままシャルーナを立ち上がらせた。
トサッとシャルーナの膝から本が落ちたが、ラリックは気にもとめずシャルーナを横抱きにして部屋を出た。
『殿下、殿下』と周りから声がかかるが、ラリックはそれらを無視して歩を進める。
シャルーナは横抱きにされたまま、いったい何が起こっているのかと一生懸命考えたが、現状では暴れるのは危険と思い静かにしていた。
いよいよ公爵邸の玄関扉から出ようとした時、背後から悲鳴のような母の声が聞こえた。
「殿下っ、シャルーナに考える時間をくださいませっ」
さすがに立ち止まり振り返ったラリックは、近寄ってくる公爵夫人に向かい少し声を張り上げて答えた。
「シャルーナは私の婚約者だ!この長期休暇中は、王城にて王太子妃教育の仕上げを王妃から受ける!その旨、公爵には国王陛下が現在伝えている!」
それだけ言うと、踵を返して公爵邸を出た。
シャルーナがラリックの肩越しに周りを見ると、ラリック付きの近衛騎士が複数人いて、その物々しさに若干恐怖を感じる。
身を縮ませたシャルーナを慎重に馬車へと乗せ、すぐにラリックも乗り込むと扉が閉まり、間髪入れずに動き出した。
あっという間の出来事に、シャルーナは言葉が出ない。
そのシャルーナの隣に座ったラリックは、優しくシャルーナの肩を抱き、驚かせてすまない、と城へ着くまで何度も謝罪していた。
大切なお知らせです
ロリもショタも百合もありません。
ザマァもありません。
よろしくお願いします。