1 大事な話がある
玄関を開けるとカレーの香りが漂ってきた。
「太一、遅かったわね。どうせまた寄り道してたんでしょ。さっさと着替えてきなさい。今日はカレーだから」
階段を上がりながら学ランを脱ぎ、部屋に入る。トレーナーに着替えポケットに道守を移動させる。すっかり週間になってしまった。自然に体が動く。
「太一、今日はカレーか!とっても良い匂いだな。異国のスパイスの香りがたまらないな!太一の母上は、料理上手でよかったな」
「カレールーがスーパーで売っててそれを鍋に入れれば誰でもおいしく出来るようになってるんだよ」
「そうなのか?」
時計は19時を回っている。丁度父も帰ってきたので、すぐに夕食になった。
「ジャーン!これがツチノコTシャツの試作品。どうだ?可愛いだろ?」
オレンジの生地のTシャツのど真ん中に三角頭の可愛いとは言いがたい茶色のキャラクターが居座っており、その周りを謎のアルファベットがぐるりとかこんでいる。
TSUCHINKO NO SATO IWAMATSU CITY
(ツチノコの里 岩松町?なぜローマ字にした?あの有名なお菓子の名前みたいだし・・・。)
背中の部分には、哀愁漂うツチノコの後ろ姿の周りを表と同じ文字がぐるっと囲んでいる。
「あんまり可愛くないね。そのキャラ。茶色だし微妙」
「そんなことないだろ。目なんかくりっとしてて可愛いじゃないか。今日から役場の全職員が試作品を着用することになったんだよ」
「冬なのに寒くない?」
「こうやって下に長袖をきて重ね着すれば全く問題ないよ」
「そうかな・・・。色は、オレンジだけなの?」
「なんと!ピンク、水色、オレンジ、黄色、青の五色展開だ」
「うわっ、なんで無駄にバリエーションあるの?作るのにお金かかるだろ?」
「今時のおしゃれ女子達は、これぐらいバリエーションがないと興味を示さないだろ?」
「いや、まずおしゃれ女子は、このTシャツ買わないと思うけど・・・」
「そんなことないよ。役場の女性職員には好評だったんだから」
「二人とも、カレーが冷めちゃ食うから食べて」
トマトとレタス、キュウリのサラダに、牛すね肉入りのビーフカレーが湯気を立てている。太一の一番好きなメニューだ。母が言うにはトマト缶を1缶丸ごと入れるのがポイントらしい。あと牛すね肉も圧力鍋でとろとろになるまで柔らかく煮込んでいる。カレーをスプーンで口に運びながら、ちらっと母を見ると化粧がさらに濃くなっているのに気づいた。今日は、いつもよりチークが濃いような気がする。
「今日、パート中に三高くんのお母さんに会ったんだけど、スキンケア何使ってるんですか?お肌きれいですねって褒められちゃったのよ。お医者さんの奥さんに褒められちゃった。母さん特別なことは何もしてないのに・・・」
(それは社交辞令かお世辞なのでは?あとパート先のドラッグストアで社員割引で高めの化粧水とか乳液とか買って自分だけこっそり使ってるのを俺は知っているぞ!)
太一は、黙々とカレーを口に運ぶ。
「まあ、昔から肌質はいいのよね。若い頃は良く褒められたわ。そう言えば、最近三高くん反抗期なんだってね。学校サボったりしてるって三高くんのお母さん困ってたわよ」
「うん。まあね」
とろとろの牛すね肉を頬張る。ゼラチン質もたまらない。ビーフカレーが一番好きだ。大体2杯はおかわりする。3杯目は、ルーだけもってたべる。再び手がかりのなくなった石の捜索のためにもしっかり食べておかなくては。
風呂上がり、道守はいつもの定位置の高級タオルの上でくつろいでいる。お笑い番組を見て大笑いしている。太一はギターケースをあけた。
(早乙女先生大丈夫かな?命に別状はないってもやしは言ってたけど、あんなに真っ青になってカタカタ震えてたし・・・。心配だなぁ)
「太一、ギターの前にちょっといいかな?」
「何?」
「大事な話がある」
TV画面がぷつりと消えた。道守が消したらしい。ギターをケースに戻してベットに腰掛ける。
「実は、早乙女先生ともやしのことなんだが・・・」
「早乙女先生、大丈夫かな。心配だな・・・」
「太一は早乙女先生のことを本当に好いているんだな」
今日の道守は、なんだかいつもより鋭いことを言う。
「なんで道守知ってるの?俺言ったことあったっけ?」
「太一の普段の様子を見ていれば誰でも分かる。多分則も知ってると思う。嘘がつけないからな太一は」
(そんな・・・。道守に見抜かれていたなんて。これでは周囲にダダ漏れだ)
「そんな太一に、このことを伝えるのは少し酷かもしれないが・・・」
急に歯切れが悪くなり、なんだか口をもごもごさせている。珍しく言葉を選んでいるような感じだ。
「あの二人の運命は、既に決まっている」
「あの二人ってどのふたり?」
「太一は、そっち方面は・・・。だめかぁ・・・。だめだったかぁ・・・。うん・・・まぁそれも太一の良さだが・・・」
「だからもっとはっきり言ってよ。わからないから」
「早乙女先生ともやしは運命で結ばれている」
「えっ?ちょっとどういうこと?意味わかんないんだけど」
太一の脳裏に早乙女先生をかいがいしく介抱していたもやしの姿が浮かんだ。
「あの2人は、恋人同士だ。実は、私が昨年の神無月の少し前に出雲に向かう大黒様の使いにお願いして、2人を夫婦にしてくださいと申請した。そして無事受理されたそうだ」
「申請とか受理とかなんでそんな勝手なことを。昨年って早乙女先生赴任してくる前だしもやしと接点なんて一つもなかっただろ?」
自然と声が大きくなる。
「太一、落ち着いて聞いてくれ。あの二人は前世でも巡り会っていた。岩松町がまだ村だった頃、江戸時代中期の頃の話だ」
道守は静かに語り出した。
「村の材木商の息子の宗右衛門と茶屋の娘のお梅は、幼なじみで小さい頃から、わしの石碑の周りで二人でよく遊んでいた。宗右衛門がもやし、お梅が早乙女先生の前世の名前だ。お梅は、とても心根の優しい娘で、時々私の石碑にも店の団子などを供えてくれていた。お梅はたいそう美しく成長し、村でも評判の美人になった。茶屋も大変賑わい、お梅は看板娘として一生懸命働いた。年頃になったお梅には、縁談話が引っ切りなしに来たが、宗右衛門に思いを寄せていたお梅は断り続けていた。当時は、材木商の息子と茶屋の娘では、身分違いでどんなに思い合っていても交際は難しかったんだ。先に宗右衛門の縁談が決まり、そのことを知ったお梅はたいそう嘆いた。店では、泣けるわけもなくいつも通り気丈にに働いていたが、たまに一人で私の石碑の前にくると、遠くに見える宗右衛門の家を眺めながらしばらく静かに涙を流していた。宗右衛門が結婚して2ヶ月ほど過ぎたころお梅は、隣村の木綿問屋の息子のところに嫁ぐことになった。前々からお梅のことをいたく気に入り、実家の反対にも耳を傾けずなんども縁談を申し込んでいたそうだ。嫁ぐ前日にも私の石碑に団子を供えに来てくれたが、宗右衛門を思いながらしばらくうつむいて泣いておった。翌日は、涙ひとつ見せることなく嫁いでいった。その日宗右衛門は、私の石碑の前でお梅の幸せを願いつつも静かに花嫁行列を見送っていた」
道守は、机の上の高級タオルの上で神妙な顔つきをしている。太一は、今まで前世とか考えたこともなかった。初めて聞く話に驚きつつも早乙女先生ともやしとの縁の深さにため息をつく。
「お梅が嫁いでから2年が過ぎた頃、顔色が悪くやつれきったお梅が実家の茶屋に送り届けられた。嫁ぎ先の木綿問屋の息子は、相当な遊び人だったらしく、お梅は健気にも慣れない家業を手伝い、なんとか切り盛りをしていた。子を授かったが、難産で産後の肥立ちが悪く、床で伏せる日々が続いた。そんなお梅を全くいたわらず、ますます旦那は遊びほうけた。そしてお梅は、一方的に離縁され、子供も木綿問屋の跡取りとして取られ実家に戻されたわけだ。一月もたたず木綿屋の跡取り息子はかねてから付きあいのあった女を後妻に迎えたそうだ。実家に戻ったお梅は、体調の良い日は、茶店の手伝いなどを少しずつ出来るほどに回復した。また以前のように、私の石碑に団子を供えに来てくれるようになった。以前よりも細くなった手を合わせて離れて暮らす子の健康と宗右衛門の幸せをいつも願っていた。」
エアコンが静かに温風を吹き出している。
「宗右衛門は、結婚した年の暮れに子を授かり、お梅が戻ってきた頃には、妻のお腹の中に二人目の子を授かっていた。宗右衛門は、心優しい男だったので妻や子供をとても大事にした。ある日宗右衛門が茶屋に団子を買いに来た。嫁がどうしても食べたいと言うので買いによったそうだ。ふと店の裏手に目をやると、屈んで湯飲みや皿を洗っているやつれきったお梅を目にした。お梅は、変わり果てた姿を宗右衛門に見せたくなかったのか洗い物の手を止め勝手口から店の奥へ引っ込んでしまった。その年の暮れにお梅は、流行病にかかりあっけなくなくなってしまったんだ。その後も宗右衛門は、家族を大事にしながらも、心の片隅ではいつもお梅の冥福を願い続けていたんだ。どうしても今生では、二人に結ばれてほしくてな・・・。だから昨年、申請したんだ。無事許可されて、今年二人は結ばれたわけだが・・・。二人というか正確には三人になるわけだが・・・」
「三人?どういうこと?」
「早乙女先生のお腹の中には、新しい命が宿っている」
「ちょっと、前世とか新しい命とか情報量が多すぎるよ!今日は、早乙女先生が倒れただけでもキャパオーバーなのに」
「太一、早乙女先生とお腹の中の命を守るためにも、石を見つけてくれ!そうすれば私の力でなんとか出来るかもしれない」
「ちょっと、今混乱してるから静かにして!俺だって毎日一生懸命、手がかりもなしに探し続けてるんだよ!しかも、たった今、俺の失恋が確定した。今日は、もう沢山だ!もう寝る!」
頭まで布団をかぶって体を丸める。
「太一、今日はギター弾かないのか?」
「とてもそんな気分じゃない!見れば分かるだろ?もう寝る!」
「そうか・・・。」
部屋が薄暗くなる。道守が電気を消したようだ。スイッチに触らず消せるらしい。ついでにテレビの音量も下げて、BSの世界のニュース番組にチャンネルを変えたようだ。
布団の中で膝を抱えて丸まっていると、少しだけ涙が滲んできた。
(早乙女先生・・・。どうか無事でいてください。まさかあのもやしと早乙女先生が結ばれるなんて。色々な思いが駆け巡り、頭が熱い。疲れているのにとても眠れそうにない)
寝返りを何度も打ちながら20分から30分ゴロゴロしていたら吸い込まれるようにそのまま眠りに落ちていった。