婚約破棄は突然に──!
その日の夜会。私は婚約者である愛するスコット王太子殿下に手を引かれ、ダンスを踊っていた。それが終わって一礼をしたところだったのだ。
「なあミランダ。キミに言いたいことがある」
との言葉に、なんの不安もなく『なんでしょう?』と聞き返したのだ。
「キミとの婚約を破棄したい」
そう言われて私の目の前は真っ暗になった。
今まで積み上げ築いてきた愛の塔が音を立てて崩れて行く。私の足元にはすでに足場はなくなり、奈落の底にただ落ちていくようだ。
もがいてもすがるものもない暗闇の静寂の中。鋭い刃物を持った死に神が、私の近くにいる。
そして不愉快な笑い声をたてて、私の今後を嘲笑っているようだった。
スコット殿下と私は、私の家である公爵家と結ぶための政略結婚をする。
その約束は今から十年前で私が六歳、殿下が八歳の時だった。
初めて両親や宰相様、国王陛下とお妃様。一堂に顔を会わせて、その中で小さな私たちは互いに好奇心で見つめあった。
「お前、ミランダ」
「あなたはスコット王子」
「僕たちは大きくなったら結婚するんだって」
「はい。そのようです」
「なんかお前、大人みたいなしゃべりかた」
「あらお嫌いですの?」
「いや別に。なあ駆けっこしよう」
「はい」
私たちはふかふかの絨毯が敷かれた廊下を汗をかいて走り回った。親たちは、すぐに仲良くなった私たちに安心したようで、それから月に一度。顔を会わせる会を開いた。
私たちは小さい頃はよく遊び、家臣たちを引き連れて中庭でピクニックなどもした。
そして少しずつ大きくなるにつれ、遊びも変わり、互いに勉強もしあったり、大きな声で歌を歌ったり、楽器を演奏したり──。
つい先日は人のいない部屋で初めてのキスをした。それは殿下からで、突然のことだったので、私の時間は長い間止まってしまったように感じた。
殿下は名残惜しそうに唇を離し、その後私たちは無言で見つめあっていたが、その時殿下を探していた侍従長が殿下のお名前を呼んだので、お互いに飛び上がって驚いた。
そんな私たちだったのに──。
殿下は私との婚約を無いものとしたいと言うだなんて。今すぐ走り出して、どこかに行ってしまいたい。
なのに、足が凍りついたように動かない。……いや。震えていた。
殿下に腕を支えられていなかったら、そのまま床に崩れて落ちているだろう。
唇が震え、涙が溢れだしそう。しかし聞かねばならぬ。
「で、殿下。理由を聞かせてもらっても?」
「分からぬか? キミは賢いようでそうではなかったのだな……」
まったく分からない。殿下は本当は私のことがお嫌いでしたの? それとも別に好きな人が出来た? そんなこと全然感じられなかった。確かに、殿下にあきれられても仕方ないくらい、私は回りも見ずに殿下のことしか見ていなかったのだわ。
殿下を見つめる私に向かって、彼は口を開いた。
「これじゃ政略結婚だからだ。私たちは愛し合ってるから、恋愛結婚だろ?」
は?
「え、なんです?」
「だからぁ。なんか嫌じゃん? 人に聞かれたときに『え、お二人って政略ですか? 恋愛ですか?』って聞かれたときに『政略です』とかっていったら、絶対聞いたソイツ、『へぇ~そうなんだぁ』って、マウントとった顔してくるぞ? それに! 私とミランダは誰がなんと言おうと、ベストナイスカップル。だろ? だけど今のままでは政略のまま。だから、一回破棄して、私から告白するから。そしたらオーケーしてくれたまえ」
私は頭が痛くなってきた。
「えーと、つまり人に『恋愛結婚です』って言いたいために、一度婚約破棄をするんですか?」
「うん。そう!」
なんだそりゃー! さっきの私の消えそうだった心を返してくれー!
「じゃ、私から体育館裏に呼び出されたというシチュエーションで」
「えーと、告白のですか?」
「そう。飲み込みが早いな」
私はため息をついて、呼び出されて恥じらう振りをした。こちとら王妃教育を受けてるんですからね。すぐさま女優のように演技するなんてお手のもの。
「ま、待った?」
「な、なんですか先輩。急に呼び出したりなんかして」
「お、いいぞ。先輩のアドリブ」
「ありがとうございます。先輩」
「ミランダ。私はずっとキミのことを──」
「は、はい……」
「好きだったんだ。付き合って欲しい」
「……はい。私でよかったら」
一時静寂。この夜会の中で、回りの人たちは何が起こってるか分からないでしょうね。私だって分からないわ。でもしょうがないじゃない。彼はちょっとバカだけど好きなんだもの。
「かーー! ミランダ。良かったよ。次は海辺でプロポーズ編。今度海に行ってやってみよう」
「分かりました」
はい。どーせ私たちはバカですよ。
笑いたきゃ笑いなさいよ!
それにあなたたちだって、恋人と二人っきりの時にこんなことしてることくらい、わかってるんですからね!