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隠れ里  作者: 葦原観月
1/1

島の謎と神隠し

平佐田の島の暮らしが始まります。



 (三)

(何か……あったのかな?)


島に足を踏み入れて半月。毎日、慣れないことばかりで、右往左往する平佐田は一向に〝密命〟の〝み〟の字にも触れられないでいる。

暮れゆく夕日に背を押されるようにして宿泊先の庭先へと戻った平佐田は、きょろきょろと辺りを見渡し、静けさに首を傾げた。


 神のいる島――


 硫黄島には「居王様」という島神がいる。ごつごつした岩肌と、白くけぶる硫黄の煙。いつ爆発するか皆目わからない山が時折ぐらっと地面を揺らす。

 小さくても腹の底を揺すぶる地鳴りに、平佐田は初日から、はらはらしどうしだ。


「そげんに気にせんでよか。こは、島の名物じゃっで。居王様は、儂らに恵みを与えてくださる。儂らは居王様のお膝元におるんじゃ。なんも心配することはなか。せんせも男じゃろ。でんと構えんといかん」

 からからと笑う大柄な女子には、とても逆らえそうにない。漁師の嫁を長年やっていると、あれほどまでに逞しくなるのだろうか。襷でたくし上げられた腕は、平佐田の倍はある。色黒の顔はでかく、夕暮れ時に見かけると、亭主と間違えるほどだ。


(智次坊は、誰に似たんだろう。兄の時頼坊は両親にそっくりだが。まさか、余所の家の子じゃないよな。あの母親が、あんなにも可愛がっているんだから)

 先生として島に赴任した平佐田は、田崎の言ったとおり、きちんとした宿泊先が決められていた。それがまさか、船で一緒になった「智次という少年の家」だったとは、予想もしなかったことだ。

 役人に連れられて着いた家の庭先で、ばったりと再会した智次には、役人自身も大いに驚いた。なにせ「先生」が船の上でぶっ倒れた時、道連れにした子供だ。

 役人は瞬時に平佐田に目を向けて、(どげんします?)と顔を顰めてみせた。平佐田自身、偶然にはかなり驚いたものの、どうもこうもない。すっかり気に入った子供の家で、世話になれるのなら、願ったりだ。

「智次坊」平佐田の呼びかけに、

「わっ、兄ちゃん、もう平気なんか? 良かった、良かった」

 屈託もなく、にかっ、と笑う智次は、本当にいい子だ。

 寝食を共にし、平佐田はますます智次が気に入った、兄の時頼は智次よりもずっと口数が少なく、閉鎖的だ。おそらくは、島の子の大半は時頼のような子供なのだろう。

 それでも、素朴で良い子だ。ぶっきらぼうで愛想はないが、実に素直で生真面目だ。

 平佐田は時頼をもまた、かなり気に入っている。言いたいことを上手くいえずに、すぐに拗ねるところが子供らしい。少しずつ笑うようになっていく姿が、平佐田には擽ったいような喜びを与えてくれている。


 常ならば二人の兄弟は庭先で鶏に餌をやり、縁側で干物の仕分けをしている頃だ。

 島には海と山の幸があるが、それだけでは食っていけない。鶏を初め、家畜を飼っているのは、生活を補うためだ。

 智次の家は、漁師としてそれなりに成り立っているようで、家畜は鶏だけ。ただし、その数は結構な多さで、鶏の世話をするのが、子供たちの仕事の一つだ。

 この家には娘はなく、女手は亭主の嫁と、亭主の母親の二人。漁師の手伝いと畑をして働いている。


 漁師の手伝いとは言っても、女は漁には出られない。子供たちと同じように干物を干したり、魚を捌いたりと、裏方の仕事に忙しい。

 姿が見えないときは、大抵の場合、畑にいる。地元の名家である長浜家が多くの土地を所有し、島人に土地を安く貸しているのだという。隣近所の数軒と共同で土地を借り、女たちは畑の作物を収穫し、生活の糧にしているのだ。


(いずこも同じだ)

 平佐田とて、実家にいた頃は、常に何かの仕事を言い付かり、姉や妹と共に働いていた。そうでなければ一日のおまんまにありつけないからだ。

 庭先の小さな畑と、農家の広い畑。いずれも、自分たちが生きていくための糧となる。

子供もある程度まで育てば全員が働き手であり、怠け者は、おまんまにはありつけない。〝搖坊〟もいくじなしではありながらも、そんな常識だけは持っていて、風邪をひいて熱っぽかった時も、ぼぅとした頭のまま畑仕事には出た。それが当たり前だったからだ。それでも――

 今でこそ、天敵とも言える〝沢坊〟とは、夕刻になれば必ずと言っていいほど共に遊んだ。

 童は、遊ぶことも仕事の一つだ。いずこから集まるのか、不思議と夕刻になると、互いを呼び寄せるようにして、わらわらと子供が集まり、日が暮れる直前まで、様々なことをして遊んだものだ。平佐田には当然だった童の頃の思い出だが……

 ここでは、夕刻に子供が集まって遊ぶ姿はない。


 それほどまでに仕事が多いのかといえば、そうでもない。智次も、時頼も遊び半分で鶏の世話をする。時には鶏をほっぽいてどこかへ行ってしまい、垣根を飛び越える鶏を、平佐田が追いかけて行くくらいだ。

 たまにだが、時頼の友人が一緒にいることもある。理由は、「家にいる牛よりも、鶏のほうが面白い」からだそうだ。平佐田としては、そんな気持ちも、わからなくはない。

その時頼の友人も、時頼を遊びに誘うわけでなく、一緒になって庭先で鶏と戯れているだけだ。


 たかが半月のことではあるが、平佐田は、島で夕刻に集って遊ぶ子供の姿を見た例がない。

 そろそろ温かくなり始めた季節でもあり、本土より南の硫黄島は、わりと温暖な土地だ。もしも平佐田が子供であったなら、間違いなく日が暮れるまで遊び呆けているだろう。島には子供の遊び心をそそる場所が、そこかしこにある。

では、子供同士が遊ばないのかといえば、そうではない。ちょっとした仕事の合間、天候のおかげで予定していた仕事ができないときなど、子供たちは一目散に友人のところに走っていく。

 平佐田も智次からたくさんの島の子の話を聞いている。別段、他所の土地の子供たちと変わりはない。しかし、夕刻だけは必ず家にいるのだ、当たり前のように。


「遊びに行かないの?」


 夕刻前に畑仕事が終わり、庭で暇そうに鶏小屋を覗いていた智次に、平佐田は聞いたことがある。その返答は――

「うん」それだけだ。

 智次とは、随分と親しくなった。平佐田自身、年の離れた弟のようにも思い、また同時に(智次坊みたいな子供がいたら、おいも、もっとでっかくなれるかもしれん)とも思っている。

 可愛い子供ために「父親」はでっかくなくてはならん。智次坊が父親を尊敬し、大好きでいるのは、父親が〝おいどん〟であるからだ。

 ゆえに平佐田は、智次坊の父親に、尊敬と憧れをもって接している。漁師はそんな「先生」に辟易しているのか、最近では平佐田の顔を見かけると、そそくさとどこかへ行ってしまうことが多い。平佐田としては、淋しいばかりだ。


 宿泊先として提供された智次坊の家で、平佐田は一部屋を間借りしているが、大体、子供たちが傍にいる。造りは粗末だが、家は結構な広さだ。

 ほとんどが板間であるが、平佐田のために、間貸しした部屋には畳が敷かれている。子供たちはそれがとても珍しくまた、心地いいのだ。

 かなり古びた畳ではあるが、それもまた、島の有力者の長浜家所有の品らしい。島の有力者は、おおいに島に貢献しているようだ。

 漁師、猟師、豊富な木々を使った工芸品を作る職人……島の経済に貢献している者には、広い土地を提供しているらしい。だから漁師内でも多くの水揚げを上げている、智次の家は、こんなにも広いのだ。


 それでも島人の結束は固く、互いに助け合って生きている。おそらくは結構な収入を得ているだろうと思われる智次の家でも、決して裕福な暮らしはしていない。共に漁に出ている家に、度々は鶏の生んだ卵を届けたり、庭で採れた大根の一つを渡したりしている。

 多くの漁師がそれぞれに持ち寄りをして、賑やかに酒宴を開いたりもする。そこには必ず、長浜家の届け物が加わっている。

 上下関係のない島人の暮らしは、平佐田には実に珍しく映る。平佐田の郷土では、ありえないことだ。


 平佐田の郷土では、常に上下関係が物を言っていた。「郷士」とは存外、面倒なものなのだ。「武士」とはおそらくは呼べない半農であって、それでも地元の士である誇りが捨てきれない。辿り辿れば、きっと、ただの百姓であったり、都から左遷された罪人であったりと、いずれも名乗りを上げるほどの血筋ではない。それでも――

 代々と土地に住み着いた子孫が己を主張し、互いが互いを牽制して、正当性を主張する。城主に認められた者を崇め、のし上がった家が他を凌ぐ。小さな場での下剋上は、おかしな上下関係を押し付け、子供ながらに搖坊は窮屈を感じていたのだ。

 だからこそ、さっさと姉婿に後を押し付け、沢坊を頼って郷を出た。もしもこの島のように皆が協力し合って生きていたら、平佐田もあえて郷を出たりはしなかったろう。平佐田は、生れ育った郷が大好きだ。

 智次坊もまた、きっと同じだろうと思う。船で見たあの智次の興奮は、余程この島が好きな証拠だ、だからこそ……


 仕事を終えた一日の最後、大人であれば、一杯の酒に疲れを癒す、大いなる解放感が満ち溢れるこの時刻に、子供がじっと家にいる事実が信じられないのだ。


 何度となく訊ねても、智次の答は同じ。最近では時頼にも、時頼の友人にも訊ねてみた。智次より少し年長の二人は、

「は? いけんして、そげんこっ聞く?」

 智次よりも、いささか攻撃的だ。それでもいくら〝おい〟でも童に負けてはおれぬと、

「別に。ただ、せっかく仕事が終わったんだから、皆で遊ばないのかなぁ、と思って。おい、いや、先生の子供の頃は、夕暮れは楽しみな時間じゃった。

皆が仕事が終わって集まれる時刻じゃったからな。相撲をしたり、独楽を回したり、鬼ごっこをしたり……あっ、そうそう、隠れん坊なんかも、ようしたな。島には、隠れ場所も多かろう? そげにして遊ばんかいの? 島の子は」

 先生風を吹かして訊ねてみる。まだ道場は始まってはいないが、道場の先生の存在は、島中に知れ渡っている。

 一瞬、二人は顔を見合わせ、なんだか気まずい顔をした。そして、

「せんせ、儂ら、そんなに暇じゃなかよ。すうこたあ、たくさぁあう。島は本土のごと豊かほぃならん」

 素っ気なく言って、平佐田の前からいなくなってしまった。


(何か理由があるに違いない)


 普段はあまり、人の事情に深入りしない平佐田だが、〝密命〟があるからには、島の内情は探らなくてはならない。本来であらば、子供が夕刻に外で遊ぼうが遊ぶまいが、子供の勝手ではある。

 だが、子供たちの様子から、なにやらそこに隠されているものがあるような気がして、平佐田は妙に意地になる。


 平佐田の、最初の歓迎会から数えて三回目の歓迎会で、やけになって飲んだ酒の勢いを借りて、智次の父親である家主に聞いてみた。


「いけんして、ですか? 智頼さんも遊ばんかったですか。逢魔ヶ刻は、男心をそそる刻でありましょうに」と――。


 島の男衆は、宴会が好きだ。女たちへの名目を作るため、他所もんはおおいに引き合いに出される。

 ほとんど下戸である平佐田は、この半月の間、引っ張りだこに呼び出される宴会で、舐める程度の酒に、毎日が二日酔い状態となっている。


「せんせ。おはんは、おかしな人じゃの。せんせは、子供が学ぶように指導するもんじゃと聞いとる。遊ぶ心配をしていけんすう、それより、おはん自身のことじゃ、もうちぃと飲めんと……子供らに示しがつかん」


 なにがどうして酒が飲めんことが、子供らに示しがつかんのかよくわからぬが、並々と注がれた酒を勢いよく押し込まれ、質問はそのまま厠に吐き出されて、どこかへ行ってしまった。


そんなこんなで平佐田が島に来て最初の疑問は明かされぬまま。こんな状況で〝密命〟が果たせるのかと、我ながら情けなくなる。

 島人は閉鎖的だ――田崎から聞いてはいたが、のっけから〝二人の島人〟とは仲良くなり、至って親切で友好的だと平佐田は感じていた。

 島に着いてからも然りで、島人は「せんせ」を大いにもてなした。本土では下っ端の見習いである平佐田にとって、極楽のような歓迎ぶりは、平佐田のような小心者には、逃げ帰りたいほどの厚遇だった。

「道場の先生」が狭き門である理由は、大いにわかる。


 ゆえに平佐田は、本日から無駄な質問を諦め、ひたすら薬草の探索に励むことにした。

 家主や家の者に嫌われるのは困る。せっかくだから、自然に生えている薬草を観察したいし、外に出て気分を変えるのもいい。顔見知りの人に声を掛けられれば、何か話が聞けるかもしれない。もしも夕刻に外で遊んでいる子供に出くわせば、なんだか、ほっとする気にもなるだろう。


 そんな平佐田の期待は、見事に裏切られ、本日も、何事もなく一日が終わった。

 相変わらず外で遊ぶ子供は見かけなかったし、村の集会場近くで出会った人たちは、平佐田をちら、と見て、ぺこり、と頭を下げただけである。声を掛ける隙も与えず、さっさと集会場に入って行った。


 年齢層がばらばらの男衆は、いったい何の集まりか。和気藹々とした雰囲気ではなかったから、宴会ではないだろう。

 第一、新顔の平佐田が呼ばれていない。集会場で何があるのか気にはなったが、見知った顔がいなかったために、声を掛ける手立てもない。

 後で家主に訊ねてみようと、平佐田は〝我が家〟へと帰った。


「智次坊、いないの? 時頼坊?」


 鶏舎をぐるりと回ってみる。まさか隠れん坊でもあるまいが、二人はとても悪戯好きだ。平佐田が帰ってくるのを待って、脅かそうとどこかに隠れているのかもしれない。 


「も~い~か~い。まぁ~だだよぉ~」


 平佐田はふざけた口調で言ってみる。二人がどこかに隠れていたら、ぷぷぷ……と笑う声が聞こえるかもしれない。ところが――


 がたん!


 大きな音がして平佐田が振り返ると、智次が青い顔で立ち尽くしていた。

 足元に転がっているのは、古びた桶だ。鶏の餌を入れたり、鶏舎の糞などを集めるために子供たちが使っている。いい加減、使い古しているが、他に外仕事に使える桶がないから、子供たちは結構、大切に扱っている桶だ。

(餌や、肥料となる鶏糞よりも、桶のほうが大事そうだね)

平佐田が思うほどに、二人が重宝している桶が、無残にも土の上に転がっている。腐りかけた底がひしゃげているところを見ると、新しい桶が必要となりそうだ。


「智次坊??」


 不審に思って平佐田は声を掛ける。目を見張った智次は、大事な桶が落ちた事実にも気づかず、わなわなと震えている。

いけんした? ほら、大事な桶が……。平佐田が言う前に、

「兄ちゃん! 下手なこたぁ、いわんと」

 珍しく声を荒げた智次は、しゃがみこみ、ひしゃげた桶の底に気付いて、うぅぅ、と唸った。


 なにがそんなに気に障ったのか。平佐田には皆目わからない。見ず知らずの子供であらば、多少なりとも気分を害して文句の一つも言うところだが、残念なことに、相手は智次だ。

 心底、気に入っていて、可愛いと思う智次の尋常ではない態度に、不安が募る。

 が、それでも男の子だ。いくら親しくなったとはいえ、余所もんに下手な言葉を掛けられれば、余計に意地になるだろう。


「ごめん。驚かせたかな」

 考えた末に、大人である平佐田は、智次の傍に寄り、壊れた桶をそっと手で拾う。幾分か形を残している部分に鶏の餌を拾って載せ、袖を広げて抱え込んだ。

 鶏は大事な、この家の生活を支える宝だ。餌だって、鶏だけを生かすだけのものじゃない。卵も肉も、この家の人たちの生きる糧であることに違いはないのだ。

 平佐田が餌を掻き集める作業をしている間、智次はただ無言でうずくまっていた。小さく震えている姿に、平佐田は不安を覚えた。

 とはいえ、子供を育てた経験のない平佐田に、どうすれば智次の震えがとまるのかは、わかるはずもない。何かを言えば、そのまま走り去ってしまいそうで、なすべき術が思いつかなかった。情けない思いのまま、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がる。


(時頼坊でもいればいいのに)


本物の兄ちゃんであれば、きっとこの場を上手く取り成すだろう。智次も傷つくことは一切ないはずだ。


既に餌を感じ取ったか、鶏舎が騒がしい。とりあえずは、智次の代わりに鶏に餌をやらねばならん。後で父親に智次が叱られるのは、可哀想だ。

平佐田が袖に抱えた餌を落とさないよう、そっと一歩を踏み出したところに、


「兄ちゃん……」


 平佐田の腰に軽い重みがしがみついた。勢いで、ぱらぱらと餌がこぼれる。


「ごめん。わし、うっ、うぅぅぅ……」

 じわり。と着物が熱く濡れる。智次は泣いていたのだ。


 明るく元気のいい智次が、泣いている姿は見た覚えがない。とはいっても、たかが半月ほどの間だから、さほどすごいことではないが、それでも、智次が泣くなんて、あまり想像できない。智次は〝ひよわで軟弱な搖坊〟とは違い、溌剌として明るい子供だ。


「智次坊、いったい……」


 戸惑いながら発した平佐田の言葉を、智次が遮った、

「だって……重定は、兄ちゃんの友人なんじゃ。わし、よくからかわれたりもしたが、重定のことは好きじゃ。わし、どうしていいかわからんし、兄ちゃんは重定を止められんかったことで、自分を責めておる。兄ちゃんは悪くない。重定は阿呆じゃ。いかん言われとることなんかするから、神様の罰が……」


 どうやら重定坊の身に、なにかあったらしい。重定坊は時頼坊の友人で、よくこの家の庭にもやってくる。鶏を木の上から放り投げたりする、結構なやんちゃ坊だ。


「重定坊に何かあったの?」

 平佐田が振り返り、智次に訊ねたところで、

「智次!」

叱りつけるような声が庭に面した縁の奥から呼んだ。


 びくっ。平佐田の背で、智次が大きく震えた。平佐田が顔を向けると、青白い顔の時頼坊が走り寄ってくる。


「智次、餌はやったんか? 母ちゃんが呼んどる」

時頼の声が震えている。それもまた、珍しいことだ。


近づいた時頼の顔は、平佐田が初めて見る顔だ。

どんなに取り繕っても、心の内を隠しきれないのだろう。焦燥と疲れが、ありありと見えている。子供は正直だ。


(大人には子供が見えるんだ、なるほど敵いっこない)


〝ただの見習い〟の平佐田に、子供の心の内が見えるのは、きっと、島の子がとても素直だからなのだろう。それでも、少しだけ〝大人〟を経験した平佐田は、時頼に訊ねてみる。


「ねぇ、時頼坊、重定坊に何か……」

 平佐田の言葉を遮るように、時頼は乱暴に弟の手を引いた。


「母ちゃんが呼んどるけん……」


 ぼそりと言ったまま、時頼は智次を連れて行ってしまった。あとに残された平佐田は――鶏に餌をやるしかない。


 こっこっと鳴きながら首を動かし餌を啄む鶏を、平佐田はただじっと見つめていた。

(なぁ、もういいか? おいも、そろそろ部屋に戻りたいんじゃ)

 夕刻の陽は、微かな明かりだけを残すのみとなった。


 拾い集めた餌があっという間になくなり、鶏の世話を久しくしていない平佐田には、その数の違いもあって、餌が足りているのかどうなのかも、さっぱりわからない。

 しかし、餌のある場所は、新参者の平佐田には見当もつかない。しんと静まり返った家で、鶏の餌のありかを探すのも難儀だし、子供たちは今、頼りにはできない。

 あの、〝頼りがいのありそうな母ちゃん〟も時頼の言葉に反して、きっと今は不在だろう。でなければあの、時頼のただならぬ叱咤の声に、飛んでこないはずはない。


(絶対に何かあったんだ)


 いくら呑気な平佐田でも、この夕刻の静けさには、違和感を感じずにはいられない。

子供たちが外へ出ない分、家の中が何とはなしに騒がしい雰囲気が、平佐田が島に来てからの、夕刻時の常だった。今日は、嘘のように静かすぎる――


「はい。もう、おしまい。今日は、これで我慢して。明日の朝、智次坊がきっと、倍の餌をくれるから。おやすみ」


 そそくさと鶏舎を出れば、すっかりと姿を消した夕闇に代わり、じわじわと広がる、夜の帳が、平佐田を迎え入れた。

 壊れた桶を縁の下に入れ、ぱんぱんと足を払って、真暗な家の中に目を凝らす。

 だが平佐田の期待した〝小さな足音〟は聞こえない。

 ふっ、と息を吐いた平佐田は渋々と、暗い廊下を間借りしている部屋へ足を運んだ。


    (四)


 こんもりと丸い山。山自体が、一つの大木のように見える。

 緑の茸が仲良く寄り添って見える風景は、可愛らしい。

(一つ、手に取ってみようか?)平佐田が悪戯心に思っていると、


「搖坊。康太を、知っとるか」


 間が良く、合いの手が入った。

(ふぅん。やはり、そうか)

 平佐田は合点する。未だに間がいいのか、悪いのかわからない田崎は、童の頃から変わらぬと思っていたが、それだけでなく、どんな(、、、)状況下(、、、)でも変わらないらしい。


 急激に緑の茸が近づいて、平佐田の目に、海紅豆の赤い花が飛び込んだ。郷に多く咲いていた花だ。その下に、二つの小さな影がみえる。


一つはがっしりとした体つきで、童のくせに親父のような面構えをしているでかい顔……田崎の幼少時代、沢蟹の異名を持つ、沢坊だ。あと一つは…… 


「うん。いつも、沢の魚を捕うやつじゃろう? 小さいくせに、偉そうじゃ。おいは好かん。一度、沢に落とされたことがあう。おいはなんもしとらんに。ただ沢を歩いとっただけじゃ。あれは、いきなりおいに走り寄って、黙って沢に突き飛ばした。おかげで、おいはびしょびしょじゃ。母ちゃんに「いったい何をしてきたんじゃ」って、えらい怒鳴られた」

 いかにもひ弱そうなほそっこい体に、これまたどこと言って特徴のない顔。すれ違って目が合っても、三歩ほども歩けば、顔を忘れてしまうほどに印象が残らない、何とも影の薄い童……我ながら情けなくも思うが、平佐田の幼少時代の、搖坊だ。

「うん。あれはな、〝おし〟じゃ。口が利けんのよ。その康太が、いなくなった。神隠しじゃなかかと、大人たちが騒いどる」

 さわさわと木々が揺れる。産土山の登り口、お地蔵さんの前。沢坊はよく、お地蔵さんの供え物を頂戴した。そうだ……

(あの日は、確か……大工の棟梁が初孫の誕生祝いに、餅を供えに来るからと、畑仕事の途中だったおいを、無理に引っ張って行ったんだ。後で、こっぴどく叱られた。晩飯を、食わせてもらえなかったっけ)


 康太という少年とは、ほとんど付き合いはなかった。爺さんと二人で、人気のない湿った土地に、掘立小屋を建てて暮らしていた。

 地元の者ではなく、いずこかから、爺と二人で移ってきた。口数が少なく、人と関わろうとしない爺を、胡散臭いと嫌う者は多かったが、康太が〝おし〟だとは、ついぞ知らなかった。気味の悪いやつだと思っていた自分を、搖坊は少し反省する。

「それじゃあ、もしかしたら……」

「おうよ。祭りが始まる。わくわくするの」


 田舎ではありながらも、人が多い土地では、意外と〝神隠し〟は多い。ただ、それは人がそう口にするだけで、本当の〝神隠し〟がいくつあるのかは、誰も知らない。

 そのほとんどが〝人攫い〟である事実は、童である搖坊でも承知だ。もっとも、〝本当の神隠し〟の証拠など、ありはしないと、誰もが知ってはいるものだが、それでも――

「沢兄、神隠しは祭りじゃなか。不謹慎じゃ、そげなことを口にすれば、沢兄が神様に連れていかれう。おい、そんなんは、嫌じゃ」


 今では口が裂けても言わない可愛げのある言葉を、当時の搖坊は真剣に口にした。大人しくて内気な搖坊にとって、大柄で乱暴だが、〝おいの搖坊〟を厭うことなく連れ歩いてくれた沢坊は、頼りがいのある兄貴だった。

「おまんは、馬鹿か。大人たちが真面目な顔で、夜通し練り歩く騒ぎを、祭りじゃなかとは。神隠しは、光栄じゃ。じゃから「お返しください」とお願いに上がるんじゃなかか。神様を盛り上げるんじゃ。そいを〝祭り〟と呼ばんと何と言う。康太には気の毒じゃが、あれは元々が神様の僕じゃ。お迎えに来られたんじゃ、あれにとっては誉れな話じゃ」


 おそらくは〝婆様の受け売り〟である言葉には、やはり、合点がいく。体や知能のどこかに、他と違うものが生まれつきにある者は、〝神様の僕〟だと昔から言われている。

 他と一緒では神様も見分けがつかんとか、他と違う境遇を持って、世に生まれる者は、神様の思し召しだと言う者もある。

 そしてそんな人は、寿命が短い。神様からほど遠い人から見れば、実に不遇な生涯であると見える。だが、神様に近くなった年寄りたちは、それこそが〝神様の恩恵〟なのだと、口を揃える。

 それでも、ひ弱でへなちょこな搖坊は、(そんなのは間違っている)と思う。人は生きるために、生まれてくるのだ。


「ともかく。あれ(、、)が始まる。おいどんたちはまだ参加できんが、男衆が騒ぐぞ。おいどんは、あれ(、、)が始まると、わくわくとするんじゃ。

なぁ、いずれ、おいどんたちも、あれ(、、)に参加することになう。神様は、来るんじゃろうか。神隠しの子を取り戻したら、英雄じゃな。おいどんはきっと、取り戻してみせる。な、搖坊。おまん、神隠しされい!」

 何でじゃ……。おいは、ひ弱で、へなちょこで、意気地なしで泣き虫じゃが――

特に日常に困るような、〝目印〟は、ない。おそらくは神様ですら、気にも留めないほどの小さな存在だ。まかり間違っても、神様はおいを攫ってなど、いかないだろう。きっと神様は、そんなに暇じゃない……


  *


(随分と、昔の話だな)

 まだ半分ほど夢の中の平佐田は、ぼんやりとそんなことを、思っている。

(なんだ? 何で、こんな昔の話を? 神隠しなんか、とうの昔に忘れ去った御伽話だ)


 結局、康太は山の中の滝壺で見つかり、沢では物足りずに山の奥へと入り、沢とはまるで加減の違う滝壺の水の冷たさに、体がいうことを利かなくなって死んだのだ、と大人たちは言い合った。遥坊が初めて目の当たりにした〝神隠し〟は、水難事故だったのだ。

 沢坊はおおいに「つまらん」を連呼し、あれ(、、)は一日で終わった。臆病者の遥坊は、神隠しなんてものは、決してないのだと胸に刻み、以来、あれは、大人たちのただの儀式なのだと理解するようになった。

それでも。

 あれが静まって後、村中に漂った線香の臭いだけは、深く心に残っている。


(線香か?)

 平佐田を、うつつに引き寄せるにおいは、どこか懐かしい。

 だが、それが何なのかが、今ひとつわかりそうで、わからない。理由はおそらく、まだ平佐田自身が、半分目覚めていないからだろう。

 薬園師見習いに馴染んだ体に、山野の散策はきつい。加えて、慣れぬ土地での慣れぬ暮らしに、平佐田の心は疲弊しきっている。よって、島にきてからというもの、夢たるものとは無縁で過ごした。久々に見た夢が、記憶の彼方のお伽噺とは、何とも解せない思いだ。 

 それでももし、今、平佐田の鼻を刺激する臭いの正体がわかれば、夢との関連性が掴めそうな気がする。

 故に、平佐田は〝くんくん〟を、試してみる。目覚めているときのように、上手くいくかはわからないが、目が覚めたら今度は、夢を忘れてしまいそうだ。

(違うな)

 試してみた〝くんくん〟の結果、微かに感じる(ような気がする)臭いは、線香ではない。つんとする強い臭いではなく、まったりと生臭いような臭いだ。

(うーん、なんだろうな? どこかで嗅いだことがあるような気もするけど)

 もう一度、試してみようと、平佐田は、大きく息を鼻から吸い込んだ。


   (五)


「うわっ」

 自身の声に平佐田は、飛び起きた。心ノ臓がばくばくいっている。


 見開いた目が、少しずつ闇に慣れ、見覚えのある机を認めて、平佐田はほっ、と息を、吐いた。

(あっ、そうじゃ)

 平佐田を目覚めさせた、臭いの元は何なのか。鼻の穴の感触と、どこかで嗅いだような臭いはきっと、現実だ。

平佐田は、急いで辺りを見渡した。

もしかしたら、島には変な生き物がいて、夜中に人を襲ったりするのかもしれない。

 なにしろ、ここは神のいる島だ。神様以外にも、平佐田の知らない生き物が、たくさんいても、ちっとも不思議じゃない。


(ん?)

 平佐田の目に、小さく盛り上がる影が映った。ばくばくと心ノ臓が騒ぐ音を聞きながら、平佐田は、それに近づいた。

 闇の深さから、今はまだ夜中だ。いくら、へなちょこな平佐田でも、さすがに、夜中に家人を起こすような不躾はできない。

 もしも正体が〝変な生き物〟であったなら、多少の騒ぎも許されるだろう。平佐田は島人じゃない。

 だがもし、平佐田にも、馴染みの生き物であったなら、平佐田の、今後の島生活に支障をきたす。道場が始まる前に、ひ弱な先生の評判は断固困る。まがい物ではありながらも、島の子にとって、平佐田は、先生には違いない。

 子供たちに尊敬はされないまでも、せめて馬鹿にされない先生には、なりたいと思う。

 それでも。怖いものは怖い。変な生き物ならば、助けを求められると思えばつい、変な生き物であることを、祈ってしまう自分が情けない。さらに、変な生き物でなかったなら、何なんだと、別の不安も膨らんでくる。


 びくびくと腰が引けながらも、平佐田は影に近づいていく。飛びついてきたら、一目散に逃げ出す心構えはできている。

(おいは薬草の先生じゃ、体術ん先生じゃなか)

 胸の内で言い訳しながら、近づいた影が布団だと知って、平佐田は大きく息を吐いた。

 馬鹿馬鹿しい。変な生き物など、そうそういるはずもない。いればきっと、漁師の宴会に出てくるはずだ。

 酒のつまみになれば、何でも食うのが、島の漁師だ。平佐田は、島に来て半月の間に、得体の知れない物を随分と食わされた。おかげで、二日酔いと腹下しで、常よりもずっと、へなちょこになっている。


(いかんいかん。おいには密命があるんじゃ。布団なんぞに、びくびくしてどうすっ。もっとでん、と構えんな)

 ほっとしたら一気に疲れが出た。欠片も見つからない密命の謎と、慣れない島の暮らし。

 連日のように引っ張り出される宴会は、下戸の平佐田にとっては、〝試練〟以外の何物でもない。師と仰ぎたい智次の父親にも相手にもされないし、大好きな子供たちの機嫌も損ねてしまった。


(もう、寝よ)

 溜まりすぎた疲れが、ひときわ気を昂ぶらせているのだ。ぐっすり眠れば、布団なんぞにびびったりはせんぞと、自らに言い聞かせ、小さく盛り上がった布団の小山に、にまっ、と笑う。 

 自分で作った布団の小山、中に作った空洞を、ぱふっ、とやるのが面白い――。

 金持ちの田崎に教えられた遊びは、煎餅布団の平佐田家では、なかなか難しかったが、それでも童の頃にいっとき、二、三度、小山潰しをやって、そのまま寝入るのが楽しかったことを覚えている。

 色々あったが、心機一転。不本意ながらも、与えられた新天地で自分を変えてみたいと、びびる心を押しやって、幼子の思いを取り戻し――。


 えいっ。


 全身を投げ打った平佐田は、


 ええええっ!

 驚愕に目を剥いた。小山がむくり、と起き上がる。


 ごつん――。


 したたかに打った、額に、(うぅぅぅっ)と、唸った平佐田は、冷たい畳を転がった。


「せんせっ! うちの子らを、知らんかっ!」


 雷のごときな大音声に、「母ちゃん……」

 呟くような声が、闇に溶ける。

「せんせ。こげな時じゃけん、儂も気が立っとる。余計なこたあ、せじほしか。智次も、時頼も、儂の大事なこどんじゃ、誰にもくれてやうつもいはん」

 意味不明の言葉が、布団をめくって、どすどすと、重い足音が遠ざかった。

 まさしく、大風の後のような静寂が、平佐田を包んだ。


(何じゃ……)

 ずきずきと痛む額を抑えつつ、平佐田は、潰れた布団に潜り込んだ。ちょっと温かい。

 どうやら、布団の小山を作っていたのは、智次らしい。

 何がどうして智次が、平佐田の布団に潜り込んでいたかは不明だが、母ちゃんは、いなくなった智次を探して、部屋を訪れたのだ。


(石頭じゃな)

 まだ痛い額をさすって、大きく息を吐き、鼻に広がった匂いに、(あぁ、そうか)と、合点がいった。


(あや、子供ん匂いじゃ)


 子供は独特の匂いがする。

 土の匂い、魚の臭い、木の匂い、鶏の臭い。

 食い物の匂い、しょんべんの臭い、日向の匂い、汗の臭い。

 匂いと臭いが自然に混ざり合っているのが、子供だ。

 そしてそれを、父親と母親、祖父と祖母の匂いが、包んでいる。

 どの子供も皆が持っている匂いは、それぞれに違う。そして子供は、互いにもみくちゃに混ざり合っているから、匂いに気がつかない。

 成長するにつれ、次第に子供の匂いは薄れていく。大人になって人は初めて、子供の匂いに気付くのだ。


 懐かしいような、くすぐったいような子供の匂いに、平佐田が気付いたのは、島に来て、日々、智次と時頼と過ごすようになってからだ。

 そして、平佐田の鼻の穴の違和感は、濃厚な子供の匂いを伴っていた。

(智次坊の足じゃな)

 子供は寝相が悪い。智次が平佐田の顔を蹴るかした拍子に、たまたま、智次の足の指が、平佐田の鼻の穴にはまったのだろう。口でなくて良かったと、平佐田は呑気に思う。


 それにしても。夜中に何かの気配を感じて目覚めるなど、初めてのことである。

 狭い郷の家では、常に家族とともにいた平佐田には、人の気配があるのは当たり前だった。

 薬園に勤めるようになって、間借りした部屋は、料理屋の離れ。古くなって利用しなくなったとはいえ、本館とは廊下繋ぎで、常に人の行き来があった。

人の気配のない、島の夜の静けさは、平佐田には、初めての経験である。当初はあまりの静けさに、風の音に怯え、庭木の揺れる音に飛び起き、鶏の羽ばたきに身構え、まともに眠れない日々を過ごした。

それが毎日、歓迎会に引っ張り出されるようになって、静寂に怯えるどころではなくなり、近頃は、野歩きのおかげで、夢すらもみないほどの熟睡となった。故に智次坊が、布団に潜り込んできたことすら、知らずに眠りこけていたのだ。


(これじゃあ、夜這いにあってん、気付かんな)


 平佐田のようなへなちょこの元に、おなごが夜這ってくるなどあり得ないと、平佐田自身は思っているが、事実、すでに島に上がっている先生の中には、島女の〝夜這いの禊ぎ〟を受けた者が結構いるときく。

「なに、そう構ゆっことはなか。島女は奔放や。本土ん男が珍しかど。せんせも気にせず、付き合うてやってくれ」

 歓迎会の度に、顔を赤くした島の男衆に背を叩かれ、(つまりは珍獣扱いか)と、肩を落としつつも、密かな期待も持っていたのである。へなちょこでも、平佐田も男である。


(けど。おいにはやっぱい、夜這いは無縁じゃな)


 子供が潜り込んできたことにも気付かぬほど、眠りこける珍獣には、さすがの島女も興味をなくすだろう。珍獣となっても、女にもてない己を情けなく思う。

 だが。お内儀の誤解は解いておかねばならん。

(おいは本当に、知らんかったんじゃ)

 女子を敵に回して良いことはない。お内儀は、平佐田が子供らを勝手に連れて行ったと、誤解しているようだ。こんな時だから、余計なことはするなとは……。

(重定坊と、関係があるんじゃろうか。それとも他に何か原因が……)


 そこで平佐田は、はた、と思い至った。

 夕餉に、家主の姿はなかった。爺さんの姿もまた。

 気分屋だという爺さんは、時々夕餉の場に顔を見せない時もあるが、お内儀が盆に載せて、夕餉を運ぶ姿も見ていない。つまりは男衆が不在だということだ。加えて、平佐田が、呼ばれていない様を思えば、宴会ではないはずだ。

つまり。男衆が宴会以外で、集まらねばならない理由がある。村祭りの話は聞いていない。


あれが始まると、わくわくとするんじゃ――


(ほんに、あんお人は、間がいいような、悪いような……)

すっかりと忘れ去っていた、遠い昔の記憶を夢に見た理由――。

平佐田は、がば、と起き上がった。

微かに耳に届く音を確かめようと、急いで部屋を出ようとした。

 すると――


「おしっこじゃ」


 ぼそりと耳元で聞こえた声に「うおぉぉぉぉっ」を、押し殺す。

 闇に慣れた目に映る姿は、ごしごしと目をこすり、ゆらゆらと頼りなく立っている。時頼だ。

 お内儀は「うちの子ら」と言った。お内儀の大事な子は、もうひとり。

平佐田は、時頼の小さな手を握って、部屋を出る。借りている部屋で寝しょんべんをされても困るし、今一度の、お内儀の夜這いは遠慮したい。

 庭の厠で時頼坊のしょんべんの終りを待ち、「戻れるかい? 自分の寝床だよ」と聞けば、「うんうん」と時頼は、寝呆け眼ながら、しっかりと頷いた。

 廊下に上がる姿を見送れば、ふらふらと家人の寝起きする方角へと向かっていく。心配はないだろう。


 ぽつねんと一人、庭に立った平佐田は、少し霞んだ、まぁるい月を目に映しながら、

ちんちん、かんかん……。

沢坊が祭りと呼んだあれ(、、)、「かやせもどせ」という、神隠しに対抗する、人の儀式に、耳を傾けていた。


      (五)


 重定坊は、神隠しに遭ったんだ……


 ついに眠れぬままに夜を明かし、真っ赤な目をした平佐田は、机の上に広げた紙に、自身で書いた文字に向かって呟いている。


 神のいる島――


 書いてある文字は、それだけ。船酔いに悩まされながらも、海の上から見た島は、確かに、文字通りの思いを平佐田に抱かせた。

 白くけぶっていたのは、靄ではなく、硫黄の煙だと後に聞いた。そんな事実がわかると余計……島自体が神様のようにも思えてくる。外から来る者から、自在に姿を現したり、隠したりができる奇跡は、神にしかできそうもない。

(ここならば本当に、神隠しがあるのかもしれないね)

 そんな気にもなる。だが――


(一人の子供が行方不明なんだ、神様だろうが、何だろうが、子供には、たくさんの未来がある。たくさんの出会いもある。たくさんの楽しみだって、きっと。それを奪う権利は、神様にだってないはずだ。だったら、さっさと返してやるべきだ。あるべき場所に)


 平佐田が少しむきになる理由は、重定という少年を、多少なりとも知っているからだ。

 やんちゃで元気のいい、溌剌とした少年だった。少々手に余るほどの悪戯好きだったが、根はとても優しい少年だ。

いかにも田舎の男の子らしく素朴で、生意気が目覚めた年頃の男の子らしく、妙に意地を張る。乱暴な行動は、自分の思うことを、上手く表現できないからだ。

 平佐田は、そんな重定を眩しく見ていた。搖坊にはなかった奔放さを持っていたからだ。


何とか、無事に帰って欲しい――。

平佐田としては、ただ祈るばかりだ。

せめて「かやせもどせ」に参加したいとも思うが、誰もが、神隠しを余所者に伏せている。やはり、島は閉鎖的なのだろう。余所者に、余計な首を突っ込まれたくはないのだ。


(人を思う気持ちは、同じなのにね。それとも、島神様が余所者を嫌うのかな)


 いずれにしろ、どちらなのか確かめる方法もない。ただ一人で悶々と、重定坊の無事を祈るのみだ。でも……

 平佐田には、どうにも気にかかる事柄がある。それが昨日の智次と、おかみの言葉だ。

 突然、怒り出した智次が、次には泣き出していった言葉――


「重定は、阿呆じゃ。いかんいうことをするから……」


 兄の時頼は、友人を止められなかった自分を責めているという。

「こげな時じゃけん、儂も気が立っとる」

 神隠しが起きたから? 時頼坊の友人が攫われたから? 気持ちはわかるが、重定坊は、おかみの子供じゃない。

「智次も、時頼も、儂の大事なこどんじゃ、誰にもくれてやうつもいはん」

 神隠しが起きたからとはいえ、少し過敏過ぎやしないか。

 神隠しが起こる理由なんて、ない。突然に、忽然と人が消えるから「神隠し」なのだ。

 前触れや理由があるのであれば、それは「神隠し」ではありえない。家出や欠落、人攫いに人買い……いずれも忽然と人は消えるが、原因はきちんとわかっている。すべて、人間の仕業だ。


 重定も、もしかすれば、人為的に連れ去られた可能性もある。だが、誘拐の痕跡がないがために、或いは、そう考えたくないために、「神隠し」は存在する。幼い子供がひどい目に遭っているとは、誰も考えたくはない。だから残された者のために、人は「神隠し」を謳い、心の慰めとするのだ。


 子供は今頃、神様と一緒に遊んでいる。辛い思いなどしていない――


 それが、ただの慰めであると、本当は誰もが知っているにも拘らず。

「かやせもどせ」をする以上、島人は重定の行方不明を、神隠しとして認識している。それにしては、平佐田は、智次や、お内儀の言動に、不自然さを感じる。

 その発端は多分、鶏の餌やりの準備していた智次を、平佐田が怒らせたところにあるのだろうが、平佐田には、その原因が皆目わからない。智次の気持ちを逆撫でするような言動に、まるで心当たりがないのだ。


 腕を組んで、平佐田は「ふ~む」と、昨日の夕刻を振り返る。

 まずは、家に戻る前に見かけた男衆の集まりが、「かやせ、もどせ」の、打ち合わせだったと思い知る。平佐田を見かけて、そそくさと集会場に入ってしまった理由が、今更になって納得できる。

(おいも一応……男衆なんじゃが)

 なんだか、童の一人に数えられているようで、情けない気持ちになる。


(ええっと。それから……)

 庭に回って、平佐田は人の姿を探した。妙にしんとしている感じが、気味が悪くて、智次と時頼の名を呼んだ気がする。その後で――


 急に、がたん! と音がして、智次坊が声を荒げたのだ。


(やっぱり。何も思い当たらんな。おいは特別なことは、何もしちょらん)

 そこで平佐田の腹が、ぐぅ、と鳴った。

結局、ついに眠れぬままに、ずっと考えごとをしていたため、果たして今が何時になるのかも、皆目見当がつかん。

 曇っているのか、ちっとも朝日が差してこない。それとも、まだ夜明け前か。

 お内儀を怒らせてしまったから、ひょっとしたら朝飯抜きか。

 いやいや、一応は「客人扱い」だから、いくらなんでも、それはないだろう。大体、おばばさんがいる。お内儀が怒っていたって、おばばさんはきっと、平佐田に朝飯くらいは作ってくれる――


 この家の姑、おばばさんは、嫁に一切の家の仕切りを受け渡した、名目上は隠居婆だが、まだまだ若くて元気だ。

 おかみよりも細くて小さな姿は、威圧感が薄く、平佐田には、ほっとする存在だ。

 年は六十ほどだというが、漁師の女房は力持ちだ。平佐田ですら気合いを入れて持ち上げる肥料を、幾分か、顔の皺を増やすだけで持ち上げる姿は、何とも頼もしく、また、嬉しくも感じさせる。

ひ弱でへなちょこの平佐田は、昔から年寄りたちに可愛がられた。難も癖もない年寄りが、遥坊の安心できる居場所でもあった。

爺婆の目がある場所で、子供たちは弱い者虐めはしないし、口煩い親たちもまた、年寄りの前で、子供への説教はしない。下手をすれば、自身が爺婆に説教を受ける羽目になるからだ、

「おまんも小さい頃は、こんなじゃったじゃろう」と。

 ゆえに搖坊は、年寄りたちといることが多く、年寄りたちの人気者だった。思えば沢坊以外に、友人と呼べる人の名は、いずれも下に「爺」「婆」がついていた気がする。


 島に来て初めて出会った年寄りは、この家の老夫婦であるが、平佐田から見て、とても年寄りとは思えないほどに、元気で若々しい。

 そんな二人にも、やはり……平佐田は大いに気に入られた。たった半月ほどの滞在で、気分屋の爺の機嫌を直す役目は、平佐田に仰せつけられている。

 そんな平佐田を、おばばさんは「大きな孫じゃ」と可愛がってくれる。

 年齢的には、孫よりも息子に近いと思うが、おばばさんには平佐田が、智次や時頼と、さほど変わらんようにみえる、ということだ。そこに気付けば、また……悲しくなる。


(おぉ、いかんいかん。おいのことは、いいんじゃ。今は神隠しのこと。なんか……引っかかるものがあるような)

「ぐうぅぅぅぅっ」

再び盛大に腹が鳴る。まさか外にまでは聞こえないであろうが、さすがに、きまりが悪い。とにもかくにも、とりあえず……

 表の様子を確かめてみようと、障子に手を掛けた拍子に、

「兄ちゃんっ!」

 突然、腰に飛びついた何者かに、平佐田は、情けなく布団の上に仰向けに倒れた。

相撲であれば〝寄り倒し〟といったところか。相手は小さく、平佐田の腰にしがみつくようにして、共に倒れている。


「と、智次坊??」

 何が何やらの平佐田に、

「兄ちゃん、わしのせいか? 痛いんか? 今、唸っておったろ? 医者を呼んでくる。竹爺は年寄りじゃが、島医者じゃ。まだちぃと早いが、急病人じゃと言えば、来てくれる。待ってろ。わしが、大急ぎで――」

 ひょこりと起き上がった智次が、顔を曇らせて捲し立てる。

 平佐田は、急いで立ち上がろうとして、くしゃくしゃになった布団に足を取られ、もぞもぞともがいた挙げ句、再び倒れ込んだ。

「智次坊? 大丈夫か? なんか知らんが、おいは大丈夫。医者なんか呼ばんで良い。唸ったんは、腹じゃ」

 すまんが、ばばさまに頼んでくれ、腹ぺこには医者より飯だと、捲し立てる平佐田に、首だけで振り返った智次は、きょとん、とした顔をする。

平佐田が腹を押さえ、困ったように頷くと、ぱっと笑顔になった智次は、

「うん! まっとって。婆ちゃんにすぐ、支度してもらう」

 元気よく立ち上がった智次は、ぱたぱたと廊下を走って行った。


「ほんに平気なんか?」

 障子の向こうから、遠慮気味に顔を出したのは時頼で、こっちも心配そうに眉を寄せている。

こくり、と頷いた平佐田に、時頼もまた、表情を緩めた。


もう日は明けたかと、平佐田が問えば、明け六つだと、時頼は、両手で口を覆った。

「でも、まだ……」お天道様が顔を出していない、と平佐田が言う前に、

「硫黄じゃ。島では時折、こういうことがある。ここらは風が吹くけん、心配は要らん。ただ……」

 ちら、と平佐田の顔を見て、時頼は口を閉ざした。

(ただ、何?)

 平佐田は、じっと続きを待つ。だが、時頼は、もう話すつもりは一切ないらしい。


 せっかく機嫌を治してくれたのだから、ここでまた下手に突っついて、機嫌を損ねる必要はない。

「へぇ、硫黄って、あの温泉のじゃろ? そうか、昨夜ちぃと生臭いと思うたんは、硫黄じゃったか」

 さりげなく言って、平佐田は起き直る。

 島にはいくつか、人が入れる温泉がある。平佐田も家主に勧められ、何度か硫黄の湯煙が立ち登る温泉に入っている。

 誰でも好きに入れる温泉は、島人の交流の場ともなっていて、爺は朝晩に温泉に浸かり、「これが島神様の恵みよ」と、自慢している。


「温泉の湯煙が、こんなとこにまで? すごいなぁ。湯煙だけでも体に効くんじゃろうか」

呑気に言いながら、外を見た。平佐田の目と口が、あんぐりと開いていく……


(なんじゃ、これ)


 霧どころではない。一面の白い世界は、平佐田の予想外だ。

 平佐田の部屋から、庭の柿の木は、正面に見えたはずだが、今では白に掻き消され、大きな幹すらも見えない。

「島神様の居王様が……」

 独り言のように、時頼が囁く言葉の続きは、

「朝飯じゃ。せんせ、遅うなって、すまんかったな」

 おばばさんの少し嗄れた声に遮られ、平佐田の耳には届かなかった。


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