生きるために、殺す。
転校して二日目、私立中学の勉強スピードは、早く、そして量が多いと聞いた。
そもそもから、もしも自分が虐待されたまま行っていたかも知れない。自分をいじめた輩達が通うはずだった公立中学は、校舎から古めかしかったのは、外観だけ見たのは覚えている。しかし、今通う私立緑陽中学は。校舎から違った。
エレベーターがあった、そして何より校舎がでかい。中等部棟に高等部棟と分かれていた。設備からして違う、自分で学費から何まで支払った中井も、その額には驚かされた。さらに緑陽中学は給食は無く、学食制、自販機まで置かれているのだ。
お菓子まで売られているのは、ジェネレーションギャップどころでは無い。
で、そんな自らが通う一年の教科書に目を通した。冊数から違った、数学だけで問題集教科書合わせて、10冊はあった。相当骨が折れるなと思っていた、
が……ここで僕はアクシデントに見舞われた。
やっていたのだ、この10冊の範囲を。小学校4年の、師匠に助けられてから今日までに。
叩き込まれていたのだ、知らず知らず。ずっと算数と思っていたら、高三まで使うからと渡された教科書と問題集の内容10冊、もう習っていたのである。だから、一時限目の数学は……退屈でしかなかった。
が、それは二時限目の国語で消えた。国語はそれはもう、難しかった。何しろ虐待されてまともな教育も受けれなかったが、何よりロシアコミュニティ故に、日本語、国語はそれこそ教科書を読み、漢字の書き取りはしたが、ついていけなかった。
三時限目英語、まぁなんとか食らいついた。ロシア語と並行して覚えたから、僕はロシア語は話せた、英語も片言だが何とかと言う感じだ。
四時限目、体育。普通にドッジボールをした。
昼食は学食でカレーを食べた、美味しかった。ただ、カーシャが食べたくなった。
五時限目、社会は地理だった、二学期に歴史に入るらしい。
六時限目、Native English すなわち英会話、ロシア訛りが先生にばれた。
七時限目……あるとは思わなかったがあった、私立では当たり前だった。理科だった、実験をした。
「や、やる事が、多いなぁ」
あっという間に、1日が過ぎた。これが私立中学の勉強かと実感しながら、教室の机に僕は身体を預けた。数学にロシア語と英語を叩き込んでくれた師匠に、僕は感謝した。数学ばかりは習わなくても分かるから、その余裕を他に回せたし、英語も余裕があった。だからこそ、国語に集中して時間と頭を割けるなと見えて来た。
でも……。
「あはぁは……がっこう、楽しいな」
そんな大変で、頭を使って休みなく来る問題が、楽しくてたまらなかった。頭が疲れている、脳みそがこう、もう何も考えられないと待ったをかけている。
いじめられて、馬鹿にされて、誰も助けてくれなかったあの小学校で体験できなかった全てを、今ここで取り戻していると実感できた。
「楽しいって?」
「おうっ!?」
そんな僕に、一人声をかける者が居た。聞かれていたか、恥ずかしいなと顔を上げて声がした右側に向いた。目元が前髪に隠れたクラスメイトの男子が不思議そうに見下ろしていた。
「あ、うん、あー……楽しいよ、学校」
気の利いた事言えないあたり、コミュ障だなと溜息を吐きたくなる。目は見えなかったが口元は笑っていたこのクラスメイト、苗字はブレザーの胸元に山岡と刺繍されていた。
「えと、あー、山岡くんは?学校楽しくないの?」
「うーん、勉強が大変……」
「確かに、それは思う」
「けど、頑張ってついていかないと、親に迷惑かかるから」
「そっか、親に……」
何となく、自然とこの山岡くんという顔が見えないクラスメイトと話が弾んだ。それだけで楽しかった、他愛無い会話すらできなかったし、相手もいなかった、何よりあの町で僕にこう話しかける人は居なかったのだから。
そして親という存在の庇護に、彼はある事を羨ましくも感じた。何しろ自分は親族を鏖殺した身であり、虐待を受けて親を知らない。親代わりはそれこそロシアコミュニティの人たちではあったが。
「えっと……帰るの?中井くん、教室閉めなきゃいけないからさ?」
「あ!あぁそれで!?ごめんね、すぐ出るから!」
どうやら、退出時間だったらしい山岡くんは施錠を頼まれて、そこに僕が居て閉めれないから声をかけたようだ。迷惑だったなと、すぐに鞄を持つや僕は教室から出て行く。
「また明日!ごめん、山岡くん!!」
そうだけ言って僕は廊下を駆け抜けた。
夕暮れの緑陽中学、そして英和田町の空。昨日はそこまで見ることは無かったけれど、夕陽は綺麗だった。グラウンドからは野球部やらサッカー部の号令、校舎からはブラスバンドの楽器の音が響いてきている。
そうだな、部活とか……やってみてもいいかもしれないなと僕は思った。友人もできるかもしれない、さっき話をした山岡くんも、話やすかったし……そうだ、今なら自分は何でもできるんだと理解する。奪われた物を取り返したのだと実感した。
そして校門に向かう最中、タクシーを呼んで無いことを思い出した。スマホを取り出しながら、登録した英和田タクシーの電話番号を呼び出す。しかし……上方は歩いてないことを思い出して、駅まで歩こうかと思い校門を出た。
「あ、坊ちゃん」
「え?」
そうしたら何と、僕を送迎してくれた英和田タクシーのドライバー、佐田さんが待っていたのだ。スマホの呼び出しを切り、どうしたのかと佐田さんに近づいた。
「佐田さん、誰か待ってるんですか?」
「いや、そろそろや思うて……坊ちゃん待っとったんやわ」
「えぇ?僕今日、歩いて駅まで行こうかと……」
「そ、そやったんか?ああやったら、駅まではメーターつけんから、乗っていかんか?」
サービスとばかりに僕を乗せようとする佐田さん、しかし……目を見て、足元の震えや身体の揺れが、理解してしまった。というかあからさまだった。怯えと、隠し事をしている。
「何かあったんでしょ、話聞きますけど?」
そしてこの手の反応の原因、僕は分かってしまう。何しろ自分自身がそうだったから。僕はタクシーの後部座席に乗り、話せと佐田さんに尋ねるのだった。
「英和田町のトオルっちゅうんわ、そんや奴なんや、ケーサツも何も関係あらへん、自分の思い通りにする為やったら幾らでも無茶しよるんや」
「へぇ……」
まさか、昨日投げ飛ばしたあの留年10年目を思わせるヤンキーが、下方の恐怖の象徴だったなぞ知らなかった。そして、その『英和田町のトオルちゃん』こと、菊川トオルに佐田さんは脅されているという。僕を連れて来いと。
「なぁ、ほんまに坊ちゃんなんか?トオルちゃんを電車から投げ飛ばしたぁ言うんわ」
「それはまぁ、どうでもいいでしょ?とりあえずほら、前見て運転しなよ」
話はいいから安全運転をと、僕は佐田さんに促した。僕は佐田さんが脅されていると知り、ならばそのまま僕を連れて行けと指示したのだ。そしてタクシーは上方から下方を隔てる踏切を超えた。
僕は腕と脚を組みながら溜息を吐いた。
居るのだなと、何処でも……生まれ持った力、腕力しかり、権力で、不都合を揉み消し我儘を押し通し、真実を捻じ曲げる輩が。あの町で僕は、その理不尽を一身に受けた。
そして運良く救われて、その痩せ細った身体に叩き込んでくれた。理不尽に対抗する力を。その力を思う存分に行使し、今僕は生存してこの地に居る。
そして今、この地でも同じ輩が好きにしているのだ。そいつが僕の生存圏を脅かしに掛かってきた。
なら、もう決まっている。
殺すしか無い。
生きるために、明日からの平穏のために、殺す他無い。
「佐田さん……貴方は今日、あちこちタクシー走らせたけど、客は掴めなかった……そうしてよ」
「あ、何でや?」
「足がつかないようにさ、僕を学校から送迎したなんて言ったら、色々あるだろうから」
佐田さんには悪いが口裏を合わせてもらう事にする、僕を乗せなかったと。メーターを回さないと言っていたから好都合だった。そうして……車は見た事ある石段前に止まった。
昨日下方を歩いて見つけた、手入れされた神社の前の石段であった。僕はタクシーのドアを自ら開けて、運転席の方に歩き、佐田さんに言った。
「まぁ待っててよ、すぐ終わらせてくるからさ」
「ぼ、坊ちゃん、警察は」
「呼ぶ必要無いから、大丈夫、佐田さんは心配しないで」
まさか神社に呼ぶとは、決闘気取ってるのかと僕は心臓が跳ねて笑った。本当に……たまらない、今から僕をどうこうしようと考えている輩が、逆に這いつくばると思うと総毛立つ。僕は石段を上がり、故郷での過去を思い出した。
初めての殺しは、中学の入学式当日のいじめっ子だった。即ち数日前、僕は初めて人を殺した。
『びぃああぎゃああ!?』
路地裏に引き込み、思い切り顔面を殴り抜いた。
僕の頭を踏みつけたいじめっ子の一人の鼻が、面白くペシャンコになってびっくりした。自分が殴られて鼻血を出した時もあったが、それ以上に、滝のようにダクダクと流れる血を見て僕はどんな顔をしていたか。
いじめっ子の瞳に映っていた。笑っていた、嬉々として笑っていた。
それからはもう、嬲りに嬲った。顔を押さえつけ、建物と膝で挟み込むように膝蹴りをしたら、頭蓋の一部が平たくなった。
馬乗りになって、それはもう殴った。声が出なくなるまで殴った。痙攣して、顔の形が変わって、眼球が飛び出すまで殴った。
最後は首をゆっくり体重をかけて、踏みつけてやった。頚椎が軋み、砕ける音と感触を体感し、背筋が震えた。
二人目は、師匠から教えてもらったとおりに、後ろから首を思い切り組みついて、捻り上げた。一瞬だった、図体ばかりでかくて威張ってきた二人目のいじめっ子は、恐怖すら感じないままにするりと命を落とした。
三人目、通学路の橋から投げ落とした。最後まで命乞いをしていたが、いじめをやめないお前が悪い。
四人目、すれ違いざまにカランビットナイフで、頸動脈を切ってやった。人混みもあり騒ぎに乗じてその場を離れた。
最後、五人目、従兄弟は無論、家族の前で首をへし折った。
そして、一家心中にしたてて家屋に火をつけた。
手に入れた力で、今までの理不尽を覆した恍惚は、何とも素晴らしいものだった。そして……この流れ着いた地で僕はまた、生き残る為に、平穏の為に人を殺す。
お前が悪いんだぜ、突っかかってきたお前がさ?無視すればこっちは、何もしなかったのにさぁ?
「あっはぁ……木刀抱えてうんこ座り?まじで居るんだ」
石段を上がり終えて、神社にたどり着いた僕の前に見知った顔、昨日電車の窓から川に投げ飛ばしてやった不良が、いかにも不良らしく待っていて、僕は思わず笑ってしまうのだった。