親戚の叔父とホルモン屋のおばはん
倉橋がやられた、その言葉が吐かれた英和田水産高校の屋上に集められたトオルの下っ端達は、さらにどよめきに包まれた。
「嘘やろ……くーさんまで!?」
「おいどないなっとんねん今日!うちのなんばぁつーまでやられたやと!?」
英和田水産における、トオルの次には強いと呼ばれた男、倉橋までもがやられた。いよいよこれは何が起こったのかと、探しに行こうとした者達が立ち止まる中、トオルはソファの上にわざわざ立ち上がってから飛び上がって、地面に着地した。
「おうわれぃ!ポ◯チン倉橋が誰にやられたんじゃぼげぇ!」
が、この菊川トオルにとって、仲間内など知った事ではない。唯我独尊とばかりに、やられた同じ学舎の不良など知らぬと罵倒を込めて、誰にやられたのか尋ねた。
「そ、それが……茶髪のええ面したガキって……ツレの2人も骨潰されたと……倉橋は口んなかズッタズタにされて、もう病院行っとるらしーー」
「そいつやぁああああ!」
「おぶふぅう!?」
理不尽な一撃が、倉橋の現状を伝えに来た不良の一人を襲った。いや何で殴ったの?何故殴られたの?そんな真っ当な疑問は、このトオルには通じない。気合入れの為に殴る、腹立ったから殴る、暇だから殴る、それがこの男の思考回路だ。四足の獣の方が幾分かマシであった。
「おうコラァァア!さっさと探して、連れて来んかいおどれらぁあ!!」
理不尽にも、ただ顔のいい茶髪という手がかりだけで、英和田水産のヤンキー達はトオルを投げ飛ばした男を捜索する羽目になったのだった。
ーーその頃、トオルを投げ飛ばし、倉橋を半殺しにした張本人、中井真也こと、僕はというと。
「おう、真也くん、来とったんかいワレィ?」
「挨拶に伺って居なかったからさ、先に学校行ってきたよおじさん」
口汚い、安全ヘルメットに作業着と、濃い髭の男と、英和田港で会合していた。
「あぁすまんのぉ、朝一で仕事入っとったんや……お昼は食うたんか?」
「いや、食べてない」
「なら食べよか、わしも休憩やし、ホルモン奢ったるわ」
すきっ歯でくしゃくしゃ顔のこの男は……僕の遠縁の親戚らしい、名を河谷卓蔵と呼んだ。僕がこの地に流れ着いたのも、血縁を辿るとこの男に辿り着いたからである。あくまで遠縁、近親ではない。確か殺した祖父の父、つまりは曽祖父の弟の息子の子、従兄弟叔父?となるらしい。そんなおじさんに僕は挨拶を済ませたら、昼飯に付き合えと言われたのだ。
「いいよ、自分で出すから……」
「アホ吐かせぇ、子どもに金出させるかぁ、前の家でマトモな物食えんかったんやろ?」
「まぁ……」
つまりはこの男、僕が故郷で虐待を受けていた事を知り、身元を引き受けた人間でもあった。もう50も半ばながら、妻も持たず独身、この英和田港で十八からずっと港湾荷役として、船から運ばれるコンテナ貨物を積んだり下ろしたりして働いている。即ち英和田の人間の終着点の一つであった、学も大してなく、貧乏で、適当に学生を謳歌して、港の貨物作業に従事する。英和田のおっさんであった。
が、僕の境遇を聞いて涙を流し、うちに来いと言ったのはこの人であった、人情に厚く涙脆いらしい。師として仰いでいたロシア人コミュニティ以来、信用していい人間と僕は判断して、言葉に甘えることにした。そして同時に、その人情への厚さを利用もさせて貰っているのだ。
「けど、ええんか?あんな廃倉庫で寝泊まりするって……なんやったら遺産もろたんなら、ええとこあるやろ」
「あそこがいいんだ、海が見えるし……あまり人には関わりたく無いし」
「ほおか……」
無論、彼には虐待を受けていた親戚でしか通してない。実母から本来叔父、叔母、従兄弟に祖父母を殺して屋敷に火を放ち、心中に仕立て上げましたなんて言うわけも無い。が、わざわざマンションやらアパートではなく、英和田港の廃棄倉庫を紹介してもらい、自ら購入したのだ。その理由は言葉通り、人との関わりを持ちたく無いからである。
海が見えるからなどとロマンチシズムな理由は建前である。それに対して叔父は何も言わなかった、叔父は何となくだが、触れてはならない事があるし一人になりたいのだろうと察してくれたのである、虐待を受けたと言う環境だ、下手に近付いて刺激するのは駄目だと感じて、倉庫住まいを許したのであった。
その倉庫の購入資金は、遺産相続によりそれを使った、言ったが、実際は僕が修行時代に経済学を学んだ際にFXの海外口座を師に開設してもらい、ある金融ショックに出会い儲ける側に居たからである。現在はその資金を元手に少額トレードで小遣い稼ぎをしている。
学校から帰り、下方を散策してまた戻り、そして遠縁の親戚たる河谷と出会って再び英和田の下方に出た。
河谷が昼飯を奢ると連れられた場所は、近くだった。歩いて10分あるかないか、紺に染められた暖簾に白でホルモンと書かれた暖簾に引き戸、古臭い換気扇から煙が出ている。その横ではショーケースに並んだ様々な部位が並べられていた。
肉屋と焼肉屋が併設された、見た事無い形に少しばかりショックを受けた。まぁ、僕はそもそも焼肉自体食べた事も無い、虐待児の時は茶碗半分の硬い飯に、少量の漬物、冷めた薄い、味噌かもすましかも分からない汁だけ、給食費も出されず昼はなかったので、帰り道にゴミを漁ったり、落とした駄菓子のカップ麺を洗って食べたりして、空腹を癒した。師匠達ロシア人コミュニティに拾われてからはロシア料理ばかりで日本食は無かったが、虐待児時代に酷い飯ばかり食べていたから、全て新しい味と受け入れて苦でも無かった。
河谷が常連らしく扉を開けて暖簾を潜ったので僕はそれについて行く。テーブルは六つ、椅子はそれぞれ四つ、理科室やらにある様なシンプルな丸椅子が置かれた内観、奥に厨房らしき物が見える。そのうち3席では昼間であるにも関わらず、ビール瓶が開けられ、注がれて飲み明かす作業着姿が居た。何より煙だ、知らない匂いだ、鉄網の上で焼ける肉と、ホルモンの甘辛な匂いが中井の空腹を促した。
「いらっしゃい、あら河谷さん、どしたん?競馬当たったん?」
奥から小柄な中年の女性が屈託ない笑顔で迎えて来た、河谷のことを知っているのか。つまりは河谷もこの店の常連なのだろうか。
「いやぁちゃうねん、遠い親戚がこっちに転校してきてん、せやからまあま、祝いになぁ?」
「あんた親戚おったんやな」
「やかまし」
どうやら独身の事を毎度いじられているらしい、女性は悪戯な笑みで言うと間髪入れずに河谷は返した。話のペースが早いなと僕は少しばかり感じつつ、河谷が僕に女性を紹介した。
「谷村のおばさんな、この谷村精肉の店主やから、覚えとき?」
谷村さんか、名前は何だろうかと思いつつ、頭を下げた。
「中井真也です」
「あらま、ええ顔やな自分……もしかして、上方の学校の子?下方ちゃうよな?」
谷村精肉が、この焼き肉と精肉の両立した店の名前で、彼女はその店主との事。谷村のおばさんは僕の顔を見るなり、上方の学校かと尋ねて来た。何というべきか、僕の顔は整っているらしい。しかし、僕の転校先が上方だなんて、顔を見て彼女は判断したのだが、何故わかるのやら。だから尋ねてみた。
「確かに……転校したのはそっちですけど……何故?」
「そんなもん、こんな利口でええ顔しとる子はこの辺住んどらんからや、余程やないと絶対近付かんしなぁ、うちのアホには会わせられんわ」
顔面で住む地域の違いがわかるのか、確かに今しがた昼からビール飲む輩、さらには絡まれたヤンキー達からして、この地域はそんか輩の集まりで構成されているから見分けが付くのだろうと納得した。顔つきから違うのだと。
「マサシくんも中一やったの、確か」
「せや、あのアホどこで盗ったかしらんバイク跨ってアホしくさりよんねん……」
そして、彼女にも子供がいて自分と同い歳と知る。自らの子をアホ呼ばわりするが、その口調は呆れもあるが、侮蔑は無いと僕は敏感に感じ取れた。が……中一で盗んだバイクに跨るとかイカれてんなと心中で苦笑いを浮かべた。
「あー終わり終わり、座ってな、ほら……何するん?」
「おー、ほな、盛り合わせくれるか?あとタン塩に、ミノぉ……中井くんメシは大盛りやな?」
「え、あ、普通で」
「アホお前、がくせーが遠慮すなや、大盛りしたっておばさん、あとビールたのまぁ!」
「あんた昼仕事ちゃうん?」
「飲まなやっとれん!はよ持ってきてや!」
僕の白飯普通盛りは却下され、大盛りにされた、さらに叔父は真昼間で仕事があるのにビールまで頼んだのである。
「あんたなぁ、親戚の子の前やで、少しくらいしっかりした姿見せたらどうなんや?」
「気取って呆れられるより本来の姿見せた方がええわ、ほらグラスグラス!」
谷村のおばさんは、昔ながらの引き戸型の冷蔵庫からビールを取り出し、冷やしていたグラスも取り出して、僕と叔父の座るテーブルに置いた。そして鉄網の下のガスに火が灯された。
結露が垂れる瓶ビールの栓はおばさんが開けて、空のグラスが置かれた。叔父と、何故か僕の前にも。
「え……」
そして、叔父は有無を言わせず、黄色い液体を僕のグラスに注いだ。
「飲み、せっかくやから」
「いや、未成年」
「ええから、ここはちがいほうけんや、おっさんもおばさんも許すから、飲み」
泡立つ白に黄色。
酒は……一度だけ師匠がウォッカを舐めさせてくれた事がある。凄まじかった事を思い出す、このビールのアルコール度数はその何分の1だろうか?目の前のグラスを見て僕は、未成年の三文字が浮かんだが……それ以前に殺人者である事を思い出した。
今更だなと、僕は叔父にあやかってグラスを掴み、一気に煽った。
「おっ!?いったのぉワレ!」
「ごぷっ!?」
「あぁー!?大丈夫か!いけるか!?真也くん!!」
案の定、苦味とアルコールにえづいた。こんなものを大人達はがぶ飲みしているのかと呆れと、それでいて冷たさが喉を通る感覚は、成る程と飲む理由に納得が浮かんできた。
「無理させるからもぉ、すぐホルモンとご飯持ってくるから、しっかり食べていきよ」
谷村のおばさんも無理するなと呆れて、厨房に戻っていく。こうして僕は、この新たな地で、初めての飲酒と焼き肉とホルモンを頂くことになった。