ヤンキー・エンカウント
僕は今、英和田駅北側出入り口に居た。というのも、今日英和田町に引っ越して来たので、荷物の整理のをしていない。一応自己紹介を終えて早退し、明日から本格的に登校する事にしたのだ。
荷物は今日から住む住居に送られている。さっさと終わらせてしまおうと、僕は再び英和田駅に入る。
南側へ抜けるには跨線橋を渡る必要があった。その階段があったので、そちらへ歩き出すと。
「あ!キミ!ちょい待ち!」
駅員に声をかけられた、駅員は慌てて僕の肩を掴んだ。
「あかんでキミ、登ったら下方の学生居るんやから……ていうか、どこの生徒さんや?」
「私立緑陽中学ですけど」
「今授業中やろ、なにしとんや?」
「いえ、今日転校して来て……荷物整理で早退して、南側の港に家があるので渡ろうかと」
今は授業中で、何をしているのかと尋ねられて本当の事を話した。駅員は話を聞くと困った様な顔をして、話し始めた。
「あのな、跨線橋には下方の子が屯しとって、君らみたいなのが通ったらカツアゲされんで?外出て左に英和田タクシーあるから、それ乗して貰い?学生割り効くから」
英和田タクシー、先程中場先生が番号を渡してくれたタクシー会社か。そこまで徹底しているのかと、僕は駅から出て、黄色のタクシーが待つ乗り場を見つけそこに向かう。
その途中、跨線橋を見上げたら、等間隔の窓が全て割れている事に気付いた。人影が確かに見える、しかし……学生がこんな時間に屯しているのかと気になりながら、タクシー乗り場に辿り着いた。
ドライバーの1人が僕に気付いて手招きして来たので、近づく。
「ぼっちゃんどこ行くんや、学校か?」
皺の多い年老いた、気さくなドライバーが優しげに尋ねて来たので、僕はポケットから紙片を取り出し渡した。
「英和田港、第一埠頭の12番倉庫まで」
「はぁ?港へ?ぼっちゃんそんなとこへ何しに行くんや?」
「僕の親戚が働いてまして、今日からお世話になる場所なんです」
それを聞いたドライバーは、しばらく黙ってから、乗り?と促して運転席に乗った。後部座席のドアが開かれ、僕はそのまま乗った。
エンジンが掛かり、車が動き出し、メーターも点灯する。
「ぼっちゃん、上方の学生さんで下方に親戚居るんやなぁ……通学大変になるなぁ」
ハンドルを慣れた様に回して車道に出ながら、ドライバーが話しかけて来た。
「大変なんですか、そんなに?」
通学が大変とは、港まで距離があるのかと僕は尋ねると、ドライバーが語り出す。
「大変やわそらぁ、その制服で歩いたら金せびられるし、殴られてもおかしない……下方の子は上方の子を嫌っとるからなぁ」
上方と下方の学生は、仲が悪い。簡単にまとめればそうなのかと思いつつ、駅を越える踏切をタクシーが越えて……ふと、窓を見て僕は目を見開いた。
街並みが変わった、それも一気に。
比喩とかでは無い、時代を跨いだと錯覚する程だ。後部の窓から遠のく景色と、右の窓から見える景色が全く違ったのだ。瓦屋根の古民家が立ち並び、築年数が経過したコンクリートの建物もある。
先程まで居た上方と呼ばれる場所とは、全く違う様相に、僕は驚くしか無かった。
「一気に変わったやろ、ようこそ英和田の下方、うぇるかむとぅえいわだ、これがほんまの英和田町や」
こちらが、本当のこの街の姿と笑って、ドライバーはそう言った。この景色はまるで……僕はふと、昔居た場所を思い出しそうになり、頭を押さえた。
景色がここまで変わるなんて、そう考えつつ呆けていると、しばらくしたら海が見えて来た。あれが英和田港か……僕はこれより世話になる住処を前にして、少しため息を吐いた。
英和田港、製鉄工場に貿易港が並び立つ港であり、この町の主要産業としての顔となる港だ。
「おおきに、また呼んでやぼっちゃん」
タクシー代を渡すと、老齢のドライバーはそう言って走り去った。指定した場所、英和田港倉庫街にたどり着き、僕はゆっくりと歩き出した。
人影は少ない、遠巻きに安全ヘルムを被った大人を見かけたが、ここはあまり使われてないのだろうか。まぁいい、別に何か言われても構わないがと、僕は12番倉庫を探した。
しばらくして、埠頭沿いに『12』と大きく書かれた扉を見つけ、その取っ手をしっかり握る。一息に、体ごと思い切り引いて扉を開ける、ギギギと金具の擦れる音を鳴らして、倉庫は開かれた。
「ふぅ」
一息吐いて、倉庫の中に入り薄暗さと埃っぽさを解消する為、しっかりと扉を開く。なかなかの広さに、奥へ階段が見え、2回には倉庫を見張る為の宿直室らしき場所が見える。
ここが、今日から僕が住む場所だ。何十畳かは分からない、しかし宿直室にキッチンあり、電気あり、水道あり、風呂は銭湯があると聞いた。
その倉庫に、ポツンとダンボール箱が数箱置かれていた。
「じゃあ、やりますか」
ポキポキと首を鳴らし、僕はダンボールに向かって歩き出した。
私物とは言ってもそこまで大層なものは無い。デスクトップの型落ちパソコンに、服に、下着、あとはせいぜいがトレーニング用具だ。冷蔵庫やらはまた電気屋に行って買えばいい。何せ、金ばかりは余るほどあるのだから。
自分で稼いだ分が10桁と、『元家族』が残した端金の遺産が7桁。
何故、学生が10桁も財産を築けたのだって?話せば長くなるが、簡単に言うと、四ヶ月前にある通貨が暴落した時、僕は『儲けた側』のグループに入っていたからだ。その前から、僕の恩人たる師に金融や経済について教えてもらい、少額ながら投資を実践していて、それなりに資金はあったのだけど……。
まぁつまり『億り人』になってしまったわけだ。こればかりは運が良かったと言うべきか、これから税理士やら探さないといけなくなったが、すぐに見つかるだろう。
さて、そうこうしている内に、荷物整理は終わってしまった。別に1日潰す必要も無く、腕時計を見れば時刻は正午を指している。僕は倉庫に置いた器具を見た。
ダンベルセット、ケトルベル、ダミー……バーベルセット買おうかなと考えながら、倉庫内の柱に括り付けた太めのロープと、天井の剥き出しの鉄鋼に括り付けたロープ、それぞれしっかりと括り付けたか引っ張って確認した。
よし、しっかりできている。僕はそれだけ確認を済ませ、奥にある宿直室へ向かった。
制服から着替えて、故郷の時にも来ていた服へ着替えた。安いジーンズに、白のシャツ、上着にモスグリーンのジャケット。この格好が一番しっくりきた、似合っているかは分からないけど、
今更授業に戻る気にもなれないと、僕はこれから世話になる英和田町を歩いて回る事にした。ともかく、さっさとこの町を知るべきだなと思ったのだ。
それにしても、この倉庫街本当に人が居ないな。そもそも、ここを手配してくれた、遠縁の親戚も電話が繋がらなかったのだ。挨拶はしとかないとと思ったが仕事中なのだろうか。
倉庫街を出て、街中への信号を渡ろうとして、僕はふと歩道橋がある事に気付いた。あれから周りを見渡せるなと、わざわざ歩道橋へと向かい、カンカン音を立てて上がっていく。
そして、広がる景色に僕は感心した。成る程、ここまで景色に差が出るのかと。眼前に広がる港近くからの下方に対して、駅の向こう側の上方の建物の高さ、ここまでくっきり別れているのかと僕は感心した。
しかし、どうしてこんな風になったのかなと疑問も抱く。まるでこの下方はスラムではないかと感じながら、反対側に歩いていくと。
遠雷の様に、遠くから喧しい音が幾つも聞こえて来た。そして見た、幾つもの改造された単車に、特攻服に、旗。さらにはラッパまで吹かして車道を我が物顔で走るバイクの集団を。
「暴走族……初めて見た……」
歩道橋から見下ろす形に、通過する暴走族と、更にはパトカーのサイレン、夜なら兎も角真昼の暴走劇に僕はあっけに取られた。マジで居たんだ、暴走族って。
いや、そもそもだ、朝一のあの老け顔ヤンキーしかり、この町は少しばかり時代が遅れているのだ。居てもおかしくないのだろう……写真撮っときゃ良かったかなと、スマホを取り出さなかった事を僕は悔いた。
そうして反対側に降りて、街中へと歩いていく。本当に、時代を遡った様な街並みだった。いや、むしろこれは嫌な故郷にも似た感じで、少しばかりもやついた。
民家は大概が引き戸で、昔の作りの家まである。店名が見当たらない、お好み焼きの暖簾に、空のビール瓶が詰められた入れ物。閉じられたシャッターに、錆びついた看板……細い小路を歩いていくと、小さな自販機が設置された丁字路にたどり着いた。
正午とはいえ腹は空いていない、しかし喉は渇いたなと僕は財布を取り出し、自販機のラインナップを確認して……ふと気付いた。
「50円……え、50円?」
そう、値段だ。それこそ普通の自販機にある飲み物が、50円、ペットボトル500mlに至っては80円で売られていたのだ。いやまさかと、僕は財布の中にあった50円玉を取り出し、入れてみた。
50円の缶ジュースのボタンが光り輝いた。冷たいカフェオレを押した、本当に出て来た。
冷えに冷えたカフェオレが、缶に結露を作っている。安すぎて不安になった、毒入りじゃないのかとすら疑う。何かカラクリがあるのだろうかと、缶を回してみると、謎は解けた。
賞味期限が明日だったのだ、成る程と僕はプルタブを引いて開けて、カフェオレを飲み下す。うん、甘い、この会社のカフェオレは特段甘い気がする、缶底に溶けてない砂糖がありそうだと思いながら、飲んでいると。
「あぁーくそ!トオルのやつ偉そうにしくさりおって、腹立つわぁ!」
丁字路から喧しく騒ぐ声が近づいて来た。まただ、腰まで下げたズボンに、腕捲りして第二ボタンまで開けた詰襟。そして……アイロンパーマのリーゼントの学生がこちらに、ズカズカと肩を揺らして歩いて来た。
「ほんまやでぇ、自分投げ飛ばしたガキ連れて来い言うて……手がかり無しでどう探せっちゅうんじゃ」
後方には坊主頭にサングラスの学生が追従し、地面に痰を吐いて文句を吐いていた。
「橋から投げられた癖によぉ、トオルちゃんの時代も終わったのぉ!」
最後の1人は……まるで染めるのを失敗した様な中途半端な黒と金のロン毛だった。計三人が苛立ちを声に乗せて歩いていた。
しかし……投げ飛ばしたガキなんて聞こえて来たが……。まさか今朝の老け顔ヤンキーの仲間か何かか?僕は自販機の横にもたれながら、カフェオレを飲んで、知らんぷりと呆けておいた。
だが、風景の一部と自己暗示を掛けようと、この手の輩は鼻が鋭い様で。
「お?何やおどれ、この辺で見た事ない面やのぉ?」
すぐにこちらに気付いて話しかけて来たのだった。