エピローグ 新たな伝説が始まる……知らんけど
翌朝……僕は普通に起きて、菓子パンとインスタントコーヒーを腹に入れて、また港から登校した。無論、英和田タクシーを呼んだ。
「おはようございます、佐田さん」
「おはよう坊ちゃん」
タクシードライバーは佐田さんを指名した。ドライバーに指名とかあるのか知らないが、今日も佐田さんは僕を迎えた。
タクシーの後部座席に乗る、コーヒーを飲んだ佐田さんは運転席につくや、僕に丸めた新聞を渡した。英和田新聞、地方紙のようだ。
「まる付けたから読んでみ?」
どうやら読んで欲しいページがあるらしい。数ページ開いて、乱雑に黒丸が描かれた小さな記事を見つける。
・英和田神社にて高校生の死体見つかる、喧嘩によるものか?
昨夜、英和田町の英和田神社にて、一人の高校生の死体が見つかった。見つかったのは英和田町在住、英和田水産高校3年、菊川透くんであり、警察は喧嘩による殺人と見て捜査をする模様。なお菊川透くんはーー。
記事を読み、僕は呟いた。
「早いねえ、見つかるの」
「坊ちゃんが……やったんやな?」
「それ以外あります?」
「なにしぃ……そこまでしたんや?」
今さらこの人は、僕に理由を問うのか?昨日の夜にでも通報できただろうに。わざわざこうして迎えに来てまで聞きたいのかなと、僕は背中を座席に預け答えることにした。
「生きる為ですよ、佐田さん?」
「生きる為やと?」
「佐田さん、貴方……殺しに来る相手にも言葉で説き伏せようと思います?」
「あほぉお前……そんなん、逃げるわ」
「逃げ切れますか?」
「そりゃあ……」
「どこまでも、執拗に来る輩だとして」
「まぁ、分からんわ……」
あくまでこれは持論だ、こんな破滅的な解答は法治国家たる日本では決して許されはしない。しかし……覚悟はしている、いずれその日が来た時、文句も無く、無様になろうと、終わりを受け入れると僕は決めていた。その持論を、佐田さんに話す事にした。
「生きる為、自分の財産、生命……それらを守る為に、僕は襲いに来た相手は痛めつけ……そしてまだ来るなら殺します、そうしないと終わらないから」
「それで……トオルを殺したんか?」
「えぇ、毎日毎日来るのは煩わしいでしょう、言うなれば夏場の蚊ですよ、あいつは……それで、今から僕を警察に連れて行きます?」
今僕を突き出せば、大手柄だろう。40万手に入れて、殺人犯見つけてそれを説得した人格者として表彰されるだろう。僕も余計な事は喋る気は無いし、そうすればいいと、佐田小鉄の反応を待った。
佐田さんは……言った。
「坊ちゃん、行き先は学校でええか?」
「ええ、今日もよろしくお願いします」
エンジンが動き出し、タクシーは走り出す。何事も無く一人の学生を乗せて、この町で働く運転手は、何も知らないとばかりに走り出した。
『トオルちゃんが死んだ!!』
この報せは、英和田町の全域へ一気に駆け巡った。特に不良達にとって、畏怖すべき象徴が消え去ったという事は、即ち次は『誰が』その後釜となるかに焦点が当たる。この21世紀という時代に未だに、やれ喧嘩だ、天下をとるだ、町を制覇するだと不良達が息巻いている。だがここは英和田町、そんな時代遅れを未だに夢見ているのがこの町の不良なのだ。
それは、不良だけではない。トオルの手の付けようの無さはこの地に古くから座すヤクザ組織も話を聞くや、トオルに好き勝手にされた過去を取り戻し、再びシマの拡大を夢見た。
菊川トオルという存在は、所謂下方において、抑止力という形を働いていたのだ。この男が生きている間は、ヤクザしかり暴走族しかり、余程大きな沙汰は起こしはしなかった、その果てに必ずトオルが現れて、災害として吹き飛ばしていたからだ。
しかし……そんな災害は、怪物は消え去った。誰もこの時は知りもしなかった、英和田町伝説の不良が、もっとドス黒い悪により、いとも容易く屠殺されてしまったと。その相手が、まさか上方に流れ着いた私立の坊ちゃん学校の中学生などとは、知らなかった。
そしてこの象徴の死を、危惧する者も居た。
それはーー警察であった。
英和田町上方、英和田警察署、少年課オフィスにて。一人の男が新聞を自身の机に開いて、記事を凝視していた。壮年の背は低いながら、身に纏ったスーツがパツパツになっている男に、長身の痩せ身の眼鏡をかけた男が湯気立つ紙コップを持って近づく。
「桃原警部補、おはよう御座います」
「おう鬼島、早いのぉ」
痩せ身の男、鬼島は、机に座した筋骨隆々の男、桃原に紙コップを手渡す。中には黒い液体、コーヒーが注がれていた。
「殺されたみたいですね、トオルくん」
「やのぉ……忙しなるで」
二人は英和田新聞の小さな記事に目を通していた。非番中、夜間に報せが来てこの事件を知った。
菊川トオルが殺された、少年課としてこの二人。桃原警部補とその部下にあたる、鬼島巡査部長もまた、彼と幾度と関わった人間だった。手のかかるガキ……では済まない非行少年であり、幾度と捕まえたか。そんな少年が殺されたとなれば、何があったのかともなりはしたが、所詮は一人の馬鹿な英和田の悪ガキが死んだだけとも捉えている。
それと同時に、この悪ガキの死が他ね悪ガキを焚き付けるのが見えていた。だから桃原は忙しくなると呟いたのだ、菊川トオルの存在が、認めたくは無いが少年犯罪の抑止力にもなっていたのは事実であったからだ。
「まぁでも、生きとっても3、4年後には英和田港から引き上げられとったやろ、こいつ……上方の開発区に喧嘩売って人の形無くなってもおかしゅうなかったわ」
「あり得ますよねぇ……」
「お山の大将気取らせて好きにさせときゃ犯罪も減ったんやがのぉ……」
「人間として死ねたから良し、とでも?」
「せやな……おう、で?仏はどんな感じやったか聞いたか、鬼島ぁ」
桃原は断ずる、所詮はお山の大将でしかなかったと。いかに伝説の不良だとか下方の恐怖の象徴だと恐れられようが、所詮はガキ。下方で虫の息の土着ヤクザが恐れようと、上方のさらに北側……開発区の利権に携わるヤクザ組織に喧嘩を売れば、人間らしく死ぬこともできなかったし、そうなっていただろうと。
桃原は新聞を閉じて、その死体の有様は連絡が入ったかと鬼島に尋ねた。
「ええ、顔面に数カ所の打撲と、頭蓋の陥没……頚椎が砕けていたらしいです……真っ逆さまに叩きつけられたらしいと」
「ちゅうと……喧嘩で投げくらって、頭から落ちて……か」
「あの辺りで、トオルくんの叫びを聞いたとは住民から聞きましたけど、こんな事になっているとは知らなかったと」
「発見が夜遅くもそれが原因かぁ、いつもの喧嘩と思ったらと」
この辺りでトオルと喧嘩して敵う者は居ない。そして住民は関わりたくも無いので知らんぷりが基本であった、後は誰かが警察呼んで後の祭り……が、トオルへの対処法であった。しかし、それが災いしてこうなったのだ。
「誰がやったんやろなぁ……あの巨体投げ飛ばす輩……居るか?」
「下方には居ないでしょう……居るとしたら……上方の、スポーツ特待とか?それか、開発区の奴ら?」
「来るかぁ?わざわざ?」
「無いですよねぇ?」
菊川トオル殺害事件の犯人を思索する二人、その中で少しばかり掠った事も知らず、二人はコーヒーに口をつける。
「まぁ、兎も角……これから暴れ出すアホどもしっかり見張らなあかんわ……」
「そうですね」
兎も角今は、これからの悪ガキの対策だと、二人はコーヒーを飲み干してオフィスを後にした。