伝説は結局この程度であった。
「おお、ようきたのうオンドレぃい……」
「なぁにその口調、普通に喋れよ、ヤクでもやってんのか?」
やはり電車で投げ飛ばした老け顔ヤンキーだった、絶対10年留年してるって、18じゃないって。そしてまるで、1970年のツッパリよろしく木刀抱えてウンコ座りして、ガン飛ばしてガラガラ痰絡みの声で威嚇している。本当、英和田の下方というのは時代から置いてけぼりにされているというのは本当らしい。
「オドレェ……こん、ワシにこんだけぇ怒らしたらどうなるかぁ、わかっとんかぁ、おお?」
しかも、投げ飛ばされて負けたことを忘れているらしい。頭までイカれと良く分かった。僕はネクタイを外しながら、それをポケットにしまい込みながら、話を聞き続ける。
「とりあえずオドレぃ、金ぇ包まんかい、おお聞いとんかぁワレゴラァ!!」
「クク……あはは、はははは!!」
「なぁにがおかしいんじゃオドレゴラァ!!」
そして、笑った。本当にもう、これまで僕が知る不良と大差ない姿で笑うしかなかったのだ、ここまで時代遅れ、テンプレートじみていると笑いも堪えれないと僕は、彼に言い放つ。
「喧嘩負けた相手に金せびるんだぁ?英和田の不良っていうのは、こうも頭が悪いんだねぇ……そんなに言うなら訴えて法廷に僕を呼んだらぁ?」
「ほうていもほう◯いもあるかボケェゴラァ!!英和田のきまりをぉ、しっかり叩き込んだらぁあ、ワシに逆ろうたことぉ、後悔せぇやあああ!!」
その気と金があれば、僕を殺人未遂で法廷に呼び出せたかもしれないが、こいつにとっては日本の法より自分の法が上なのだろう、木刀を振り被り、そして振り下ろす姿を見て、僕はバックステップで距離を離す。
「おるーー」
「そぉら!!」
「がっ!?」
素人の振り下ろしに身体が前のめりになりながらも、また横なぎしようと構えるトオルとやらに、僕は靴底で思い切り顔面を蹴り抜いた。しかし流石に、図体は2m違い為体重差は出る。後ろにタタラを踏むトオルに、僕は走りだした。
「この、クソがーー」
「おらぁああああああ!!」
立ち上がり様、僕は思い切り飛び上がり両足を抱え込み、そして英和田の伝説の顔面を、両足で踏みつけるようにドロップキックを食らわせた。
英和田水産高校 総番
菊川 トオル
「ぐおわぁああ!!」
筋力とバネを総動員した中井真也の矢の如きドロップキックは、菊川トオルの顔面を見事に捉えて、思い切り後ろに吹き飛ばした。中井はそのままトオルを蹴り抜いた跳ね返りを見事に利用して体を翻し、石畳に着地する。
さて、とりあえず間合いと時間は稼げたなと中井は立ち上がりながら、師からの、そしてロシアで教えられた徒手教練における戦い方を思い出していく。
身長差、体重差、武器の有無、経験、全て相手を見て実力を把握し、いかにして戦うか、生き残るかを考えろ。菊川トオルは、腕力と図体でのし上がってきた不良、力はある、しかしと格闘や武術経験は無いと、中井は見抜いた。
ならばもうその時点で、中井真也の勝利は明白だ。余程油断しない限り、生殺与奪の権利は中井が握りしめている。
「ほら来いよ、相手してやる」
中井は、挑発をしながら脱力した構えを取った。右手左手ともに力を抜き、拳は作らず手は軽く開きながらの脇を締め、顎の辺りの高さに置く構えを前に、鼻血を垂らし木刀を突いて立ち上がるトオルを待つ。
「イてもうたらぁああがきゃああ!!」
力任せの素人じみた木刀のフルスイング、それを中井は余裕に避ける、ダッキングし、バックステップ、横に回り込みと、相手の攻撃を見て避ける単純かつ基本をしっかり反芻した。
フルスイングの空振りはスタミナを簡単に奪う、既に荒い息をするトオルが、両手持ちに木刀を握りしめて、当たりもしないのに上段に振りかぶる。
「がぁああ!!」
次の段階だ、武装解除を試そうと、中井はここで一気に踏み込んだ。そして振り下ろしの最中、トオルの顎を右の掌底で撃ち抜きながら、前に踏み込んだトオルの足に自らの片足の踵を絡めて引っ掛けた。
「そうらぁあ!!」
「ごおぼっ!」
トオルの足が夕闇の空に蹴り上がり、後頭部から背中は石畳に叩きつけられた。その瞬間に中井はトオルの木刀を掴んで引き剥がし、砂利の上に投げつけ武装解除を果たした。教えられた通り、習った通りに身体を動かせていると、中井は鼻歌を奏でながら石畳を歩き、トオルが立ち上がるのを悠々と待った。
後頭部から叩きつけた、普通なら気絶している。しかし……身体は頑丈らしいトオルは、ふらつきながらも、汗をかきながらも立ち上がる。
「お、んど、れぇえ」
「ふぅうう!!」
虫の息である、やれ機動隊と張り合っただ、皆が恐怖するだとか、とんだ肩透かしである。中井は息を吸いながら。トオルの胴体に抱きついた。そしてーー。
「死ね」
冷たく、たしかにトオルへ言い聞かせて、肉体の全ての力を一気に総動員した。ふくらはぎ、太もも、腹筋、胸筋、腕の全てフルに、連鎖反応の如く下半身から上半身に伝え、トオルの体は持ち上がりーー。
「おーー」
息を吐かせる間も無く、トオルの頭蓋は石畳に叩きつけられた。
ハイスピードのフロントスープレックス。反り投げ、とでも言うべきか?レスリングの基本技にして中井はトオルにとどめを刺したのだ。そして……石畳に叩きつけられたトオルは首を在らぬ方向にねじ曲げて、何が起きたのか理解もできずに目を見開いていた。
「ふぅーー」
身長差もあり、自分の頭は石畳に当たらずブリッジしていた中井は、腕をトオルから離して、身体を丸めてバネの様に跳ね上がって立ち上がり、背後の倒れ伏すトオルに振り返った。
「気分はどうだい、英和田のトオルちゃん?腕も、足も、動かないだろう?」
僕はトオルの頭を足で転がして真上に向け、僕を見るようにした。何が起きたか理解もできないし、感じもしないと見て、僕は笑みを作る。
「頚椎、いや脊髄かな、あんたの脊髄はもう壊れたのさ、わかる?首が折れたんだ、あとはゆっくりと死んでいくだけ……」
これからゆっくり、呼吸も感覚も無くして死んでいくと言う事実を突きつけ、ようやっと目が見開かれる。口も震え、何かを言おうとしてもできないらしい。
「でもいいだろ?あんた、色々な人に迷惑かけて、好き勝手してたらしいし、誰かにこうして好きに殺される覚悟くらいしてただろう?今日がその日だ、あんたは、ここで、ゆっくり、死んでいく」
言いたい事は言ったからと、ポケットにしまったネクタイを襟に通して直しながら僕は、死にゆく英和田の伝説に背中を向けた。
「до свидания」
手向けに別れを一言告げて、僕は神社の石段を降りて行った。
「ぼ、坊ちゃん……無事……やったんか?」
神社の石畳を降りると、佐田さんは驚いた様に僕へそう言った。彼からすれば手のつけられない輩に僕がぐちゃぐちゃにされる想像でもしていたのだろう。僕からすれば、あんな奴下から数えた方が早い、弱い奴でしかない。ちなみに上位陣は勿論、師匠とロシア教練時代の上官達である。正味勝てる気しないし、戦いたくない。
さて……上では英和田の伝説(笑)が冷たくなりつつある。そしてこの佐田さんはそれを嫌でも知るだろうし、その犯人が僕と理解もしてしまう。しかし……僕はこの人とはいい関係を築きたいなとも思った。
僕はブレザーの内ポケットに手を入れて、財布を取り出した。
「貴方は、今日だれも乗せなかったし、この辺りを走らなかった」
「へ?」
「そうでしょう?佐田さん?」
僕は財布から、諭吉を20枚取り出して、佐田さんに渡した。渡された佐田さんは、意味が分からないと僕と諭吉を交互に見た。
「復唱してください、貴方は……誰も乗せなかった」
「だ、誰も乗せなかった」
「この辺りを走らなかった」
「こ、この辺りを、はし、らなかった」
「よろしい、今後ともお願いしますよ、佐田さん……」
僕は、復唱した佐田さんへ、さらに諭吉を20枚手渡した。そうしてから、僕はタクシーの後部座席に乗り込むと、佐田さんはゆっくりと運転席へ乗り込んだ。
「坊ちゃん……どこ行く?」
「勿論、自宅まで」
「あい、かしこまり」
夕陽も消える英和田町、その日、英和田の下方で、一つの伝説が幕を下ろした。