8
ヴァレシアは急いでいた。
一刻も早く地下牢へ行かなければならなかった。
松明が照らす暗い階段を音を立てて下る。
地下牢部屋の前の鉄扉を思い切り叩いた。
寝ぼけた顔の看守が扉の窓から顔を覗かせた。
「ナンだぁ?...!!ヴぁ、ヴァレシア様!?」
涎のついただらしの無い顔が驚きの声をあげた。
「こ、これは失礼を致しました!」
「どうでも良い。ここを早く開けろ!」
「は、ハッ!」
看守が鉄扉を開けた。
「これはどういうことだ?」
他の看守たちは一様に眠りこけていた。
「休憩は十分に取らせているはずだが?」
「ま、誠に申し訳ございません!私もなぜ急に眠ってしまったのかわからないのです...」
「なんだと...?」
嫌な予感がした。
「先日捕らえた小僧は逃げておらぬだろうな?」
「小僧...ですか?」
「もうよい!!」
寝ぼけた看守を相手にしてる場合ではなかった。
牢の中を調べていく。
どの牢にも少年の姿は見付けられない。
「どこだ、どの牢だ...」
強迫観念に突き動かされる。
「ライル!どこだ!!」
「な、何でしょうか?」
少年の声が奥から聞こえてきた。
ヴァレシアは走った。
靴音が牢に響く。
そして牢の鉄格子を握って安堵するように息を吐いた。
ライルは起きたばかりらしい眼を擦っていた。
「...どうか、されたんですか?」
「黙れ、犬。私が喋れと言うまで貴様はワンと言っておればよい。」
「...でも...」
「くどいぞ犬!」
「...わん。」
「看守!鍵をもて!」
「只今!」
看守がヴァレシアに走り寄る。
腰に下げていた鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとする。
しかし、鍵が鍵穴に合わない。
「あ、あれ?おかしいぞ...」
「チィっ!拉致が開かぬ!どけ!」
ヴァレシアが裏の拳で鉄格子を薙ぎ払った。
鉄が地面を打つ音が響き渡る。
地面に埋まっていたはずの鉄格子がちぎれ、外れ飛んでいる物もあった。
ヴァレシアが牢の中にずかずかと入り込む。
ライルは何事?という風に両手で毛布を掴んで縮まっていた。
「来い!犬!」
ヴァレシアが有無を言わさずにライルの手を取り引っ張りあげた。
「ちょ、ちょっと!何なんですかいきなり!」
「良いから歩け!時が惜しい!」
大股で歩くヴァレシアに付いていく為にライルは小走りで進む。
ライルはまるで事態が飲み込めていなかった。
徐々にヴァレシアの歩く速度が落ちていき、止まった。
ライルは不思議に思いヴァレシアの顔を仰ぎ見た。
その顔には焦燥の感情が浮いているように見えた。
ヴァレシアの視線の先に立つ老人が、その焦燥の原因であるようだった。
老人が身に纏う汚ならしい衣服からは獣臭が漂ってくる。
「ヴァレシア...。その少年と話をさせよ。」
王が言った。
落ち窪んだ眼には暗闇が映っていた。
「お父様...。何故ですか?このような小汚ない少年には王と話をするような価値はございません。」
「カカ...。見窄らしい姿は儂も同じ...。それに、価値はある。そなたのお気に入りが、ある少年に敗れたそうではないか...。」
「なっ...。」
ヴァレシアが息を飲んだ。
そして汚ならしい布を纏った王がライルを指差した。
「その少年であろう...?」
愉しそうな笑みが老人の顔に浮いた。
しかしヴァレシアも笑みを浮かべた。
「...お戯れを。私のギギサナスが敗れることなどあり得ません。アレの強さは身を以てよくご存知のはずでしょう。」
「ふむ...。」
王が長い灰色の髭を弄る。
「お父様ともあろう方が噂話を鵜呑みにされるとは、老いというのは恐ろしいものですね。コレはご覧の通りただの少年です。」
ヴァレシアが笑う。
しかしその首筋には汗が浮いていた。
苦しい笑みが顔に張り付いていた。
「ほう...。ならばその少年、如何様にする?ヴァレシアよ...。そなたがこのような場へ出向き、大事そうに手を握るその少年。一体、何者なのだ...?」
「それはっ...」
「答えに窮すかヴァレシア...。その少年、やはり儂に寄越せ。」
「...!?なりません!!」
「なぜだ...?」
「これは...この少年は...」
ヴァレシアの視線が彷徨い、ライルと目が合った。
ライルは何が起きているのかさっぱりわからなかった。
その時、ヴァレシアの眼に光が灯った。
「お父様...。この少年は...」
「うむ...。」
「私の、愛玩動物なのです!」
「あい、がん...?」
「はい!そうなのです!そうだな!?犬っ!!」
ライルは突然水を向けられ戸惑う他なかった。
しかし、ヴァレシアのあまりに必死な顔を見て応えることにした。
「わん?」
「こういう事です!お父様!!」
枯れ木のような老人はその場に無言で立っていた。
「ほら犬!何をしてる!お手だ!お手!!」
ヴァレシアが必死に言うものだからライルはお手をした。
しかしライルは内心、無理があるなぁ...と思っていた。
「そうか...。」
立ち尽くしていただけの老人が口を開いた。
「わかっていただけましたか!?」
「...うむ。そなたにも、いつかこういう日が来るとは思っていたが...。そうか...うむ...。儂の不粋を許せ。我が娘よ...。」
そう言って老人は背を向けて地下牢の出口へと向かって行った。
ヴァレシアは大きなため息をつき、乱れた髪を整えた。
「...ふん。耄碌したな、王よ。」
小声で言った言葉がライルの耳には届いていた。
「ヴァレシアよ...。」
老人が扉の前に立って此方を見ていた。
ヴァレシアがびくりとして王の方を見た。
「ま、まだ何か?」
「...うむ、ヴァレシアよ。存分に男を楽しむがよい...。少年、武運を祈る...。」
老人はそう言い残して扉の先へ消えた。
ライルは王が言っている意味がまるでわからなかった。
「一体何が言いたかったんでしょうか...?」
ヴァレシアを見ると横顔と耳が真っ赤に染まっていた。
「ヴァレシアさん!?顔が真っ赤ですよ!?一体どうしたんですか!?」
「う、うるさい...こっちを見るんじゃない...。」
ライルはヴァレシアの正面に回り込み、顔を覗きこんだ。
「でも、その顔...。」
「ばっ!ばかものっ!見るなと言っている!!」
顔を紅潮させたヴァレシアがなぜ怒っているのかライルには理解できなかった。
「そんなに男を楽しむのが嫌なんですか...?」
「なっ、なっ、何を言ってる貴様!?そんな...は、破廉恥だぞ!!」
「へ?」
「き、貴様のような小僧とっ!アレや、コレなど...。できるわけがわかろうがっ!ばかものめっ!」
「...は、はぁ?」
「全く!とんだ破廉恥者だな...。」
「あのぅ...。」
「なんだ!!」
「男を楽しむってどういう意味何でしょうか...?何か失礼な事だったなら謝ります...。」
ヴァレシアがぽかんとしたような顔をした。
そして、顔が更に赤くなった。
「あの糞親父絶対に殺す!!」
ヴァレシアの声が地下牢に木霊した。