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「あーあ。おっかねえもん見ちまったなぁ。」
いつの間にか側にいた大男が肩をすくめながら言った。
「怪我はしてねぇかい。坊主。」
「はい。どうにか大丈夫みたいです。」
「ふふん。坊主は中々に運が良いらしいな。」
そう言って大男はカウンターに置いてあったボトルへ直接口をつけ喉を鳴らした。
まるで水を飲むかのように葡萄酒を平らげてゆく。
「相変わらず良い呑みっぷりね。ドラン。」
リリアさんがこちらに来た。
歩く姿も艶やかで思わず見とれてしまう。
大男が葡萄酒の最後の一滴を舌で受け止めると、ボトルをカウンターへ置いた。
「ありがとよ。美味い酒を揃えてるじゃないか。ママ。」
「ちょっと!あなたにそう言われると寒気がするからやめて。それはここの常連が勝手に着けたあだ名なんだから。」
「へえ。満更でもないって顔に見えたぜ?リリアママさんよ。」
リリアさんの顔がパッと紅潮した。
「うっさい!バカ!」
「ガハハハハ!!」
「全く、あなたが来ると録な事が起きないわ。それで、ライルくん。」
急に水を差されしどろもどろになった。
「は、はい?」
「さっきあなたに凶相が見えるって言ったでしょ。原因は間違いなくコレよ。」
リリアさんはそう言って大男のドランを指差した。
当の大男は太い指で顔を掻いていた。
「コレ呼ばわりは流石に気づつくぞ。」
「あはは。笑える。」
リリアさんはつまらなそうに言って空になったワインボトルを掴んだ。
「ライルくん。ちょっと待っててね。」
リリアさんがカウンターの奥にある調理室らしき所へ消えていく。
リリアさんはすぐに戻ってきた。
両手には料理が沢山載ったトレイが載せられていた。
「どうぞ。」
料理が僕の目の前に並べられた。
「い、良いんですか?僕、お金持ってませんよ...?」
「もう、そんなの気にしないで。さっき私を助けてくれたお礼なんだから。」
ごくりと生唾を飲みこみながら言った。
湯気の立つ具だくさんのスープにこんがりと焼き目の着いた肉料理の数々。
とても美味しそうだ。
「それじゃあ...戴きます。」
「はい。召し上がれ。」
ニコニコしたリリアさんに見られながら食べるのは少し緊張したけれど、食欲がそれに勝っていた。
木でできたスプーンを手に取り、スープを掬って口に運んだ。
温かなスープの味は体を舌からほぐしていった。
食事の恍惚が体を満たした。
「とっても、美味しいです...。」
「良い顔で食べるわねぇ。ご馳走した甲斐があったわ。」
嬉しそうにリリアさんが言った。
「おかわりもあるからどんどん食べてね。」
「はい!」
「リリア。俺にはねえのか?」
「あなたにはこれ。」
琥珀色の液体が詰まった大瓶をリリアさんがカウンターに置いた。
「付き合いなさい。」
「店主が酔っぱらうつもりかい?」
「こんな有り様よ。飲まなきゃ損じゃない。」
「それもそうだな。」
先程ワインを飲んでいたグラスにじゃぶじゃぶと琥珀色の酒を注いでいく。
「豪気だねえ。」
「ええ。奢りですもの。」
リリアさんがグラスを掲げた。
「お上りさんに。」
「お上りさんに。」
狂騒の夜が更けていく。
「それでェ!それでねぇライルくぅん!コイツったら女のゴーストの尻追いかけて谷底に落ちてったわけよ!もう傑作でしょお!あはははは!」
「あははは...」
リリアさんはお酒を呑みすぎたせいか先ほどまでの優しげな雰囲気とはまるで別人になっていた。
「おい、リリア。そろそろ勘弁してくれんか?」
「うるさぁい!まだまだアンタの馬鹿話はあるんだから付き合いなさぁい!」
「しかしだなぁ...俺も過去の馬鹿さ加減に恥ずかしくなってきてなぁ。」
「ライルくぅん、ご飯のおかわりまだあるよぉ。もっと食べるぅ?」
「ありがとうございます...。でも、もう満腹なので、大丈夫です。ご馳走様でした。」
「そお...。良い食べっぷり見せて貰えて私も楽しかったよぉ。」
リリアさんが頭を撫でてくれた。
それがなぜかとても嬉しかった。
「えへへ...。」
「あ~あぁ...。坊主よぉ...。お前さんってやつは免疫がねえんだなぁ...」
「人をぉバイ菌扱いするんじゃああなぁい!」
空になった大瓶がドランの頭をぶった。
大瓶の破片が綺麗に舞う。
「あはははは!あんたの頭、一体何でできてんのよ!オリハルコン!絶対オリハルコンね!」
「兄ちゃん見ろ、こういう女だぜ?」
「ライルくんにはそんなこと絶対しません~。あんたみたいな頑強馬鹿にしかしません~」
カウンターを乗り出したリリアさんが僕の顔を胸に抱き締める。
信じられないほど顔が熱くなった。
「そうか。坊主、お前さんは俺以上に丈夫かもしれんからリリアの扱いには気を付けるんだぞ。」
ドランに肩を優しく叩かれた。
リリアさんがきょとんとした後盛大に吹き出した。
「あはははは!ドランあんたもたまには面白いこと言うのね!追加のお酒持ってきてあげるわ!」
そう言いながらリリアさんは千鳥足で厨房へ消えて行った。
「やれやれ...。リリアは間違いなく良い女なんだが、こういう所がな...。まあ誰しも短所はあるってこったな。」
ドランは困ったように言った。
僕の頭はまだリリアさんに抱きしめられた余韻でふわふわしていた。
ふと、店内の客の中に妙な雰囲気が流れていることに気づいた。
皆、店の外で起こり始めた喧騒に注意を向けているようだった。
「なんだ?外が騒がしいな...。」
ドランが言った。
その時、店のドアが開け放たれる。
「おい!!王が、王が帰ってきたぞ!!」
店に入ってきた男はそう言い残してすぐに去って行った。
男がいなくなった店の中には歓声が響き渡った。
「おおおおお!!!」
「やったぁ!!」
「私たち運よすぎ!!!」
口々に王の帰還を歓迎する言葉を口にする客たち。
この国の王様は大人気のようだ。
「へえ...。みんな王様の事が大好きなんですね。」
「いんや、それはちょっと違うな坊主。」
ドランが楽しそうに言った。
「この国の王は放蕩王とも呼ばれていてな。大抵はこの都にはいない。世界各地をぶらぶらと旅して、前触れもなくふらっと帰ってくる。そんで、王が帰ってきたら祝いの祭りをやる事になってるわけだ。その祭りの盛大さたるや、詩人が謳い継ぐほどよ。祭りを見るためにこの街に何年も居着く奴も居るくらいだ。俺も実際に見るのは初めてだ。」
ドランが立ちあがり大きく伸びをした。
「坊主、ちょっくら放蕩王のご尊顔でも拝みに行こうや。」
ニヤリとドランは笑った。