この夜空の、もっともっと彼方へと両手を伸ばしていって、あなたと手を。
この夜空の、もっともっと彼方へと両手を伸ばしていって、あなたと手を、
『繋ぐ。』
遠くに住むあなたの声が聞きたくなった。
ある日の夜、電話してみる。三つめのコールを数えるともしもし、の声。
「もしもし、まるくん? 私だけど、今だいじょーぶ?
部屋のカーテンを開ける。
夜空が目の前に広がった。
顔を近づけると、はふっと吐く息は、窓に白いもやもやをつけては、一瞬で消える。
夜空がもっとよく見えるようにと、窓の横にある、部屋の電気のスイッチを消した。
『ごめん、今はちょっと……
あなたのその言葉に。部屋を真っ暗にしたことが、たちまちに後悔となる。
夜のひとりは寂しい。
別に大して孤独を抱えて生きていなくとも、それでも夜の闇は心のちょっとした隙間に、足の先から忍び込んでくる。
『また後で、かけ直すよ
携帯電話の向こう側から聞こえてくるのは、わいわいと騒がしい声。その中に紛れ込むように、おーい丸山ぁとあなたの名前を呼ぶ声。
それはね。
あなたが向こうでうまくやっているんだという、その証になるのだというのにね。
あなたの近くにいられるというだけで、そんなただの友達にも嫉妬してしまう自分の狭量さにへこむ。
「わかった、また後で
携帯を切ろうとした瞬間。耳に滑り込んできた、「やだあ」という女の子の甲高い笑い声。
誰なんだろう。しかもなんで女の子?
不安の渦が洗濯機をONしたようにぐるぐると廻り始める。
「ばいばい
なんともならない焦燥と不快感の中、刹那の別れを告げて、震える指でなんとか携帯を切った。
真っ暗なまま。もやもやとしたまま。
窓を開けてみる。
カラカラとサッシの軽い音が、胸の中にできた空洞の中、虚しく響き。
こんなことがあった夜。こうして家の窓の桟にクッションを敷いて腰掛け、夜空を見上げてみるんだな。
それが汚れた自分を清涼にする、ひとつの方法だと知っているからだ。
綺麗な空気を肺に入れれば、身体もきんと冷える。
それでも。
「……まるくん
それでも、冷えた身体は自分では温められない。だから、一緒にいる時にそうしてくれていたように、あなたに後ろから抱き締めて、温めて欲しいのに。
遠い。
わがままだ。
遠すぎる。
遠すぎるよ。
直ぐには会えない距離が憎くて憎くて、辛い。
「お互い、がんばろーね。大丈夫、オンラインあるし
離れるときは、あんなにも前向きだったのに。その1ヶ月後には、あっという間に後ろ向き。
夜空を仰ぐ。
確かにこの夜空は、あなたに繋がっているだろうけど、あなたが今、この空を見ているとは限らない。
星がチカチカ瞬いて、薄っすらとかかる雲の切れ目に、ぼんやりと鈍い月の光。
その時、手にしていたスマホがブブブと震えた。
「……もしもし
『あぁちゃん、なにしてた? 今、いい?
「んー良いよ。別になんもしてなかったから
『そっかあ。さっき電話くれたでしょ。なにか用事だった?
あなたはそう言うと、すんと鼻をすすった。そっちもこれくらいに寒いんだろうか。
「別にとくになにも用事ってのはないけど
日本語おかしい? 平気なふりをしてみせる。
『あぁちゃん、もしかして……元気ない?
ああ、そう。声色でわかるなら、私の気持ちにも気づいてよ。
黙っていると、あなたが続けた。
『……あぁちゃん。遠距離、しんどい?
真剣な声。
「別にしんどくない
ぶっきらぼうに。
『怒ってる?
「怒ってない
『……一緒に住む?
その言葉。心臓をぐっと掴まれた。まだ同棲を考えていたわけではないだろうに、言わせてしまったんだね。
それが苦しい。涙がじわと目尻に滲む。
「ううん、2年、遠距離でがんばるって言った……
お互いの大学と仕事。やらなきゃいけないことが山ほどある。
それでも、直ぐにも会いにいきたいよ。スマホのオンラインで顔を見て話せるとわかっていても、温もりまでは伝わらない。いくらスマホをいじくったって、あなたの体温は伝わってはこない。
「さっきの……
言うつもりも訊くつもりもなかった言葉が突然、出そうになって、慌てて唇を噛んだ。
『ん? さっきの? なに?
「なんでもない
『大学の? 同じゼミの友達。さっきまで一緒にレポート書いてたから
訊いてない、訊いてないってば。
でも、女の子の声がした。
「そう、
『俺入れて、男三人、女の子二人
「ふうん
『でも大丈夫。みんな彼氏持ちだし
「ふうん
『それに安心して。あぁちゃんのことも、みんな知ってるから
「付き合ってるって?
『そうそう。写真とか、見せびらかしてるから
「やだ、恥ずかしいよっ
『大丈夫。三十三間堂で撮ったヤツだから
「もー、仏像の隣で撮ったヤツ‼︎
『そうそう、あのイケメン仁王さまなヤツ
嫌だもう、女心‼︎
私はスマホをスピーカー通話にしてから、降参ですとでもいうように、両手をあげ、そして広げた。夜空には変わらず、星が瞬いている。月が緩やかに、その軌道を進む。
夜空に白くぼやりと浮かぶ、二つの手。
「……それならいい
私が言う。
『絶対、浮気しない
あなたが強く言う。その力強さにスピーカーがびびびと振るう。
「あっそ
私は少し笑って、素っ気ない風に。
『信じていーよ
「わかったわかったってば
『絶対ぜぇったい浮気しないから。探偵でもなんでもつけてもらっていいから
そして、トドメ。
『寂しくなったらいつでもおいで
この夜空に。
『俺も行くし
あなたもきっと両手を伸ばしている。
「うん
伸ばした両手が、今。あなたの手に届いた気がして。
この夜空の、もっともっと彼方へと両手を伸ばしていって、あなたと手を、
『繋いだ。』