6-1 仕方がないのでお手紙書いた
「だっるぅ〜い……」
べたーっと机に突っ伏し、エリスは言葉通り気怠そうに唸った。
グリムワーズ魔法学院内の、チェロの研究室。
仕事に必要な精霊の研究資料を受け取るためここを訪れたエリスは、チェロが準備している隙に彼女の机を占領し、だらけ始めた。
「大丈夫? 仕事の疲れ?」
本棚から資料を集めながらチェロが尋ねると、エリスは「うーん」と唸って、
「そんなに疲れてるつもりないんだけど……昨日寝たのが遅かったからかなぁ」
机に伏せたまま答えるエリスの言葉に、チェロがピクッと反応する。
ね……寝るのが、遅かった……?
そんなに疲れが残るようなことしたの……?
って考えたら、もう……原因は一つしかないじゃない……!!
「……エリス。あのね、お節介かもしれないけど……」
エリスに背を向けたまま、チェロは一度咳払いをし、
「何でもかんでもあの男の言いなりになる必要はないのよ? 仕事で疲れている時は拒絶すべきだし……イヤなことはイヤって言わなきゃ。エリスはハッキリ言うタイプだと思うからあまり心配していなかったけど、でも恋人だからこそ言いづらいことってあるじゃない? そのあたり、何か困っていたりしない? 私で良ければ相談に乗るけど……」
そう、投げかけた。
正直、まだエリスのことは好きだ。だからこそ、彼女の幸せを願いたい。
エリスがあの男を選んだことはもう受け入れている。しかし、奴のせいでエリスが辛い思いをしているというのなら、黙って見過ごすわけにはいかない。
そんなことを考えながら、チェロは本棚の方を向いたままエリスの返答を待つが……なかなか声が返ってこない。
まさか……そんな言いづらいような目に遭わされているのが……?!
「エリス?! 私から奴にキツく言ってやるから、悩んでいるなら言ってちょうだい! どんな変態プレイを強要されているの?! 詳しく教えて!!」
バッ! と振り返りながら、チェロが鼻息を荒らげ捲し立てる。
すると、
「………! …………ッ!!」
振り返った視線の先にいたエリスは……やはり何も言わなかった。
何も言わず……声を出さずに、困惑した表情で口をパクパクさせている。
椅子から立ち上がり、喉の辺りを指さし、必死に何かを訴えようとしていて……
「……エリス……?」
眉間にシワを寄せ、彼女の不可思議な行動を観察するチェロ。
……もしかして。
「…………声が、出ないの……?」
チェロの言葉に、エリスは無言のまま首を縦にぶんぶん振った。
* * * *
「──ガルニア熱?」
"中央"内の軍部の庁舎、正面玄関にて。
チェロから事情を説明されたクレアが、そう聞き返した。
あの後……
チェロはすぐに学院の保健医のところへエリスを連れて行き、診察を依頼した。
エリスの症状は、突然声が出なくなったことと強い倦怠感、そして発熱。喉の粘膜に白っぽい水疱が見られることから、ガルニア熱だと診断された。
……で。エリスを背負ったまま学院の隣にある"中央"の軍部庁舎を訪れ、クレアに事情を説明しに来たというわけだ。
チェロは神妙な面持ちで頷き、
「そう。突発的な発熱と喉の痛み、加えて声が出なくなることが大きな症状よ。と言っても風邪の一種だから、重篤な病気ではないらしいけど」
背中におぶったエリスをクレアに引き渡しながら言う。
熱が一気に上がったためか、エリスはぐったりと目を閉じていた。
「あとこれ、薬。"中央"の薬事科から貰ってきたわ。一般的に熱は一日で下がるらしいけど、感染力が強いから最低でも五日間は外出禁止だって。完治するまでは声も戻らないみたいだし、どっちにしろ仕事はお休みね。そっちの連絡はしておいたから」
「何から何まですみません。このまま家に連れて帰ります」
エリスを背負い、薬を受け取りながらクレアが礼を述べる。
しかしチェロは、彼をキッと睨み付けて、
「アンタ、この娘に無理な真似させていないでしょうね?! 昨日も、その……夜更かししたって言ってたわよ?! ソレが原因で疲れが溜まっているんじゃないの?!」
と怒鳴りつけるが。
クレアは、ぱちくりと瞬きをして、
「……あぁ。確かに昨夜は"架空の料理名しりとり"が白熱してしまったので、だいぶ夜更かししちゃいましたね」
……などと、意味不明なことを言うので。
今度はチェロが目を瞬かせ、
「か、架空の料理名しりとり?」
「えぇ。ありそうだけど実在しない、絶妙な語感の料理名を考えておこなうしりとりです」
「……例えば?」
「『マーミルガーのエピテ〜ポワトルソースを添えて〜』、とか」
「…………」
いや、『とか』と言われても。なんなんだ、そのゲーム。一体なにが楽しいんだ。
チェロは想像していた原因とのギャップに思わずこめかみを押さえるが、クレアが続けて、
「そんなしりとりをしていたら、夜中なのにお腹が空いてしまいまして。二人で夜食を食べてしまったので、さらに寝るのが遅くなってしまったのです。すみません、私がもっとちゃんとするべきでした」
「いや、まぁ……それならいいんだけど」
「ひょっとしてチェロさん、何か別のことが原因で夜更かししていると思いました?」
「えっ?! あ、いや……それは……」
「もちろんそういう日もありますが、必ず同意を得た上でコトに及んでいますのでご心配なく。無理のないようペース配分も考えています。ちなみに最近したのは二日前で、その時はエリスの方から……」
「ああああやめて! そんな生々しい話、アンタの口から聞きたくない!!」
ぎゅむっと耳を押さえながら、絶叫するチェロ。
そして、ビシィッ! とクレアに指を突き付け、
「兎に角! エリスが完治するまで、アンタも極力接触は控えること! 寝室も別! 食事も別! これは私の個人的な希望じゃなくて、医師からの指示だからね?!」
「そんな厳重に隔離しなければならないのですか?」
「そーよ! 考えてもみなさいよ! もしアンタに移って、それが軍部内に広まったら、みんな声出せなくなるのよ?! そうなったらこの国はおしまいだわ! いっそこれを機に別居したら?!」
「はは、ご冗談を。別居するくらいなら国が滅ぶことを選択します」
「ちょ、場所と立場を考えなさいよ!! アンタ一番それを言っちゃいけない人間だからね?! 」
仮にも国を守る軍部の庁舎前である。チェロはきょろきょろと周りの目を気にするが……クレアはにこりと笑って、
「こんなセリフ、私以外に誰が言うのですか。エリス以上に大切なものなどありません。ということで帰ります。ありがとうございました」
そう告げると、エリスを背負い直し。
スタスタと歩いて、"中央"の正門から出て行った。
その様を、チェロは呆然と見送り、
「…………アイツ、やっぱり嫌いだわ」
吐き捨てるように呟いて、自らも学院へと戻って行った。
* * * *
自宅へ帰り着くと、クレアはリビングを抜けて寝室に入り、怠そうな様子のエリスをベッドへ下ろした。
「大丈夫ですか? 今、水を持ってきますね」
キッチンでコップに水を汲み、それを持って再びエリスに尋ねる。
「どうぞ。起き上がれそうですか?」
エリスは無言でこくんと頷くと、のっそり起き上がり、ベッドに腰掛けコップを受け取った。
そのままちびちびと飲み始める様を見て、クレアはますます心配になる。
「喉、痛いですか?」
こくん。
「声、出ませんか?」
こくん。
「食欲はありますか?」
こくん。
「風呂に入る元気は?」
…………。
「では、布巾を濡らしてお持ちします。それで身体を拭いたら、寝ていてください。その間に私は食事を用意しますので」
こくん。
と頷いてから、エリスは口パクで、
「(あ・り・が・と・う)」
と言った。
クレアは、思わず顔を綻ばせ、
「いいえ、お気になさらず。では、少し待っていてください」
ぽん、と彼女の頭に手を乗せてから、一度寝室を出た。
そして布巾を濡らし、それを絞りながら、考える。
エリスを寝室に寝かせ、自分はリビングのソファーで寝るとして、問題は意思疎通の図り方だ。
エリスとは極力接触しないほうがいいらしいが、声が出せない今、直接彼女の反応を見ないことには何もしてやれない。
会話せず、接触もせずに、意思疎通する方法。
そんな方法、一体どこに……
「…………あ」
ふと、クレアの頭に妙案が浮かぶ。
彼は布巾を一度はたくと、リビングの棚から必要なものをかき集め、再び寝室へと戻った。
「自分で身体、拭けますか?」
濡れた布巾を受け取りながら、こくんと頷くエリス。
クレアは彼女の目線の高さに屈むと、覚悟を決めたような表情で真っ直ぐに見つめ、
「エリス……貴女が完治するまで、家庭内別居しましょう」
「……!?」
突き付けられたその言葉に、エリスはあからさまに動揺する。
「もちろん私だってしたくはありません。ですが、もしこれで私まで倒れたら……一体誰が貴女のご飯を作るのですか?」
「……!!」
た、たしかに……!!
という声が、彼女の表情から聞こえてくる。
「大変心苦しいですが、貴女は極力この寝室の中にいてください。もちろん、食事や必要なものは持って来ます。しかし今、貴女は声を出すことができないので、ドアを隔てていては私に要望を伝えることもできません。そこで利用するのが……」
じゃんっ。
と、クレアは小脇に抱えていたものを掲げる。
「"筆談"です。この便箋とペンを置いておきますから、私に伝えたいことや、持って来てほしいものがあればこれに書いて、ドアの隙間から外に出してください。ノックで知らせていただければ、すぐに内容を確認しに伺います」
でも……
と申し訳なさそうな表情でエリスが見つめ返してくるので、クレアは優しく微笑んで、
「大丈夫です。貴女はゆっくり休んで、治すことに専念してください。食事が出来たら声をかけますので、それまで寝ていてくださいね」
こくん、とエリスが頷く。
クレアは、箪笥から数日分の自分の着替えを持ち出すと。
後ろ髪を引かれまくる思いを断ち切って、寝室の扉を閉めた。
* * * *
──コンコン。
出来上がったスープと、チェロから受け取った薬、水差しとコップをお盆に乗せ、クレアは寝室のドアをノックする。
しかし、しばらく待っても返事がない。
そっとドアを開け中を覗くと……エリスはベッドの中ですやすやと眠っていた。
身体を拭いて寝間着に着替えた後、すぐに寝てしまったようだ。
クレアは起こさないよう静かに寝室へ入ると、ベッドのサイドテーブルにお盆を置いた。
そして一旦リビングへ出て手早くメモを書き、寝室に戻ると、それをスープ皿の横に添えた。
もっと寝顔を見ていたい気持ちに蓋をし、彼は寝室を後にして、そのまま風呂に入った。
──その、数分後。
「…………」
エリスは、目を覚ました。
鼻をくすぐる美味しそうな香りに身体を起こすと、サイドテーブルに野菜を煮込んだスープが置いてあった。
匂いから察するに、鶏ベースの出汁と塩で味付けしているようだ。喉にしみないよう、クレアが気を遣ってくれたのだろう。
さっそく食べようとスープ皿に手を伸ばし……その横に、小さなメモが置いてあるのに気が付いた。
『おかわりもあるので、足りなかったら教えてください』
その文字に、エリスは少し目を細めて。
両手を合わせ、目を瞑ってから、スープを食べ始めた。
* * * *
──コンコン。
というノックの音が、寝室からして。
風呂から上がったばかりのクレアは、髪を拭きながらそちらへ向かった。
「エリス、どうしましたか?」
そう尋ねると足元でカサッと音がし、一枚の便箋が現れた。ドアの下の隙間から、エリスが差し込んでよこしたのだろう。
クレアはそれを拾い上げ、中身をあらためると……
『ごちそうさまでした。おかわりは大丈夫です』
綺麗な字で、そう書かれていた。
さらに、
『とってもおいしかったです。ありがとう。
お皿は明日、クレアが仕事行った後に洗うから。
ベッド使っちゃってごめんね。
あたたかくして寝てね。
おやすみなさい』
そんな言葉が続いていて……
その、文字に起こされた彼女の言葉に、クレアは。
「…………んゲフッ……!」
胸がぎゅっとなり、思わず咽せた。
思えば、エリスからこうして手紙を貰うのは初めてだ。
なんか……いいな、これ。
瞬発的な口頭での会話と違って、一文一文考えながら丁寧に綴ってくれたことがわかる。
体調が悪いにも関わらず、こちらを気遣ってくれていることに愛しさが込み上げてくる。
そしてなにより、手紙だからこそ、いつもの口調と少し違うところがまた可愛らしい。
……返事を書こう。
クレアはリビングのテーブルで再びメモにペンを走らせ……
それを、寝室のドアの下から滑り込ませた。
『お皿は無理に洗わなくていいですよ。
ドアの近くに置いておいてくれれば、朝洗っておきます。
とにかく身体を休めて、ゆっくり寝てくださいね。
お返事は結構です。
もし何かあれば、居間のソファにいますので
ノックをして遠慮なく起こしてください。
おやすみなさい。愛しています』
……寝室でそのメモを受け取り、内容に目を通したエリスは、
「…………っ」
最後の一言で、顔を真っ赤に染め上げた。
いや、クレアは喋れるんだから口で言えばいいじゃん……!!
こんな、わざわざ手紙でよこして……
あらためて文字に起こされると、途端に恥ずかしくなるというか、むず痒くなるというか……
そんなエリスの困惑を知ってか知らずか、彼女がメモを受け取ったことを気配で察したらしいクレアが、
「おやすみなさい、エリス。愛していますよ」
と、ドアの向こうから言ってきた。
って、結局口でも言うんかい!!!
というツッコミすら叶わないことがもどかしい。
エリスは、受け取ったメモに再び目を落としながら、ベッドに腰掛けた。
クレアの言葉は、文字になっても優しかった。読んでいるだけで、あの声が聞こえてくるようだ。
喋ることができず、わざわざ筆談しなきゃいけないなんて、不便以外の何物でもないと思っていたが……
『愛しています』
こうして文字として残るのは、なんか……悪くないかも。
などと、少しドキドキしながらその文字を見つめ。
それをサイドテーブルに置いて、未だ熱っぽい身体をベッドに横たえると。
静かに、瞼を閉じた。
続きます。