4-2 にゃん敵、あらわる
あの、イリオンでの一件以来。
シルフィーは、変わらず治安調査員を続けていた。
任命されていた地方での調査が終わり、報告をしに"中央"へ戻っていたところでエリスと鉢合わせた、というわけだった。
「──へぇ。それは大変ですね」
"中央"にほど近い場所にあるパスタ屋で。
向かいに座るシルフィーが、パスタをぱくつきながら平坦な声音で相槌を打った。
せっかく久しぶりに会ったので、そのまま昼食を共にし、エリスが顔色を悪くしていた理由を話していたわけだが……
シルフィーの反応にエリスは、ダンッ!とテーブルを拳で叩き、
「あんた、全っ然大変だと思ってないでしょ?!」
「だって、半分ただのノロケじゃないですか。ラブラブ同棲生活に、猫の邪魔が入ったってだけの話でしょう?」
肩を竦めて言うシルフィーに、エリスは「ぐぅっ」と言葉を詰まらせる。
シルフィーはさらに追い討ちをかけるように、
「ていうかソレ、普通にヤキモチですよね? クレアさんが猫に夢中で構ってくれないから、寂しいんでしょ?」
「ゔっ」
何故だ……そう悟られないよう話をしたつもりだったのに……!!
完全に図星を突かれ黙り込むエリスに、シルフィーは目を細め、
「……確かにその猫ちゃん、なかなかイイ性格していそうですけど。聞く限りだと、やっぱストレスが原因なんじゃないかなぁって思いますけどね」
水を飲みながら、澄ました顔でそう言った。
エリスは目をぱちくりさせ、
「な、何が……?」
「全部ですよ。クレアさんに甘えるのも、壁で爪研ぎしまくるのも、あちこちにマーキングするのも……私の家、猫を飼っているからわかるんです。飼い主さんと急に離されたストレスで、そういうイタズラみたいなことをしているんですよ」
あ……
言われてみれば、そう考えるのが必然だ。
自分だって最初は、ストレスで食欲が減退していないか心配していたのに……
あたし、いつの間にか、自分のことしか考えていなかった。
エリスの胸が、マリーへの申し訳なさと自己嫌悪で、ズキンと傷む。
シルフィーがさらに続けて、
「クレアさんは飼い主さんから直接マリーちゃんを引き渡された人物だし、何より食事を提供してくれる人だから、信頼して甘えているんですよ。逆にエリスさんは、後からポッと出てきて同じように食事を与えられている人だから……言わば同列の、ライバルだと思われているんでしょうね」
「同列?! ライバル?!」
「それから、よく猫パンチ食らうって言ってましたけど……まさか、猫の真上から手を伸ばしたりしていないですよね?」
「えっ」
「……まじですか」
「だ、だって、そうしないと頭撫でられないじゃない!」
「はぁ。エリスさん、考えてもみてくださいよ。自分よりも何倍も身体の大きい生物が、突然真上から手を振り下ろしてきたら……怖くないですか?」
「……こわい」
「猫も同じです。だから、慣れていない内は正面じゃなくて横とか後ろから撫でていかなくちゃいけないんですよ」
そ、そうだったのか……
珍しくエリス相手にマウントが取れ、いつになく得意げなシルフィーには腹が立つが。
それ以上にエリスは、自分の無知さを呪った。
マリーの行動の理由を、知ろうともしなかった。
ただ、醜い嫉妬心に駆られていただけ。
だから。
「……ありがとう、シルフィー。帰ったらさっそく、いろいろ改めてみる」
エリスは、素直にお礼を述べた。
シルフィーはなおも「ふふん」とドヤ顔を浮かべて、
「いえいえ。しかし、あのエリスさんがまさか猫相手に嫉妬するとは……すっかり乙女ですねぇ。で?あれからアッチの方はどうなりましたか? 近況について、詳しく教えてくださいよ♡」
「うん、ほんとにありがとう。それじゃ、ご馳走さま」
と、エリスはシルフィーの話を適当に流すと、未だ食べ途中の彼女を置いてスタスタと店を出て行った。
そのあまりの素早さに反応が追いつかなかったシルフィーは、店のドアが揺れるのをぽかんと眺め……
テーブルの上に置き去りにされた未払いの伝票に気が付き、
「…………奢らされたっ?!」
ようやく、その身に起きたことを正しく理解したのだった……
* * * *
その夜。
エリスが帰宅すると……
先に帰っていたクレアが、いつもとは違う装いで待ち構えていた。
それは、エリスも数回しか見たことがない……彼の、ガチな仕事着で。
「ただいま、って……どしたの? そんなカッコして」
首を傾げるエリスに、クレアは申し訳なさそうな顔をして、
「アルの帰りが遅いので、私も応援でセイレーンに向かうことになりました。今から」
「えっ、今から?」
「本当に急ですみません。いちおう夕飯の食材だけは買い揃えてきたので、申し訳ないのですが何か作って食べていてください。あと、マリーの分も」
「う、うん……いつ帰ってくんの?」
「わかりません。仕事が片付き次第なので、長ければ五日くらいはかかってしまうかも……」
「五日……」
そんな短いやり取りをして。
クレアはすぐに、任務へと出かけて行った。
どうやら相当に急を要する事態になっているようだ。
残されたエリスは。
リビングのソファーの上で優雅に毛繕いをしているマリーに目を向け。
「………………」
……とりあえず、夕飯を作ることにした。
クレアの買ってきた食材は、ちゃんとマリー用の食事も作れそうな品揃えになっていた。
精霊たちに邪魔されてしまうため、エリスは相当な気力と集中力を発揮しながら料理をしなければならない。
自分ひとりの食事なら多少コゲたってよかったが、今は違う。
マリーのために、ちゃんとしたものを作ってやりたかった。
やがて出来上がった魚料理を、エリスはマリー用の器に丁寧に盛る。
「マリー、ご飯できたよー。一緒に食べよー」
クレアが出て行ってしまい警戒を強めているのか、マリーはなかなかソファーから降りて来ようとしなかった。
エリスはしばらく待ってみたが……動き出す様子はなし。
仕方なくテーブルに着き、自分用の食事の前で「いただきます」をしようとして。
「…………」
合わせかけた手で、フォークと、料理の乗った皿を持ち。
テーブルの横……マリー用の器が置かれた床に座り込み。
「いただきます」
そこで、食べ始めた。
これが猫と距離を縮める方法として正しいのかはわからない。
だけどエリスには、『仲良くなる』と言ったらこの方法しか思いつかなかったのだ。
一緒に、顔を付き合わせて、ご飯を食べる。
そしたらきっと、猫とだって仲良くなれる……はず。
「……うん、我ながら美味しい♡」
なんて自画自賛しながら食べ進めていると。
マリーは、その様をじぃっと見つめた後……
──ストッ。
と、ソファーから床へ降り立ち。
エリスの前に置かれた器に近付くと、中に盛られた魚料理のにおいをふんふんと嗅ぎ。
……もそもそと、食べ始めた。
エリスは、そばに来てくれたことと、自分が作ったものを食べてくれたことに、たまらなく嬉しくなって。
「……今日からしばらく二人っきりだってさ。よろしくね」
黙々と食べているマリーに向かって、そう微笑みかけた。
マリーは、エリスの作った料理を残さず食べ尽くすと、元いたソファーの上へ再び鎮座した。
そのままエリスが寝支度を整えた後も動かなかったので。
エリスは、寝室のドアを僅かに開けたまま、眠ることにした。
一人で眠るには、広すぎるベッド。
急すぎてちゃんと考えていなかったが……アストライアーの隊員がなかなか帰ってこないような危険な現場に赴いて、大丈夫なのだろうか?
まぁ、クレアに限って変なしくじりは起こさないだろうと思うが……
……けど、もし。
"水瓶男"の時のような、イレギュラーな事態が起きたら……?
「…………っ」
駄目だ。考えたって不安になるだけなのに。
わかってる。それが、クレアの仕事なのだ。
だから、信じて待つしかない。
「……いってらっしゃいのキスくらい、しておけばよかったかな」
そう、小さく呟いて。
クレアの匂いがほのかに残る枕を、エリスはぎゅっと抱きしめた。
すると、その時。
いつの間にか寝室に入り込んで来たマリーが、ぴょんっとベッドの上に飛び乗り。
エリスの隣……いつもクレアが寝ている位置に、丸くなって寝始めた。
それに、エリスは驚きながらも微笑んで、
「……ごめん、やっとわかったよ。マリーも、こんな気持ちだったんだね。ご主人さまと急に離されて……このまま、もう二度と会えなかったらどうしようって、不安だったんだよね」
言いながら、そっと、マリーを撫でようと手を伸ばして……やめた。
今はまだ、なんとなく猫パンチを食らいそうな気がして。
エリスは、引っ込めた手を布団の中にしまい、
「……来てくれてありがと。一人で寝るのは寂しいなって思っていたところだったの。ひょっとして、マリーも?」
なんて尋ねるが、返事がもらえるはずもなく。
エリスは、丸くなって目を閉じる小さな彼女の姿に目を細めると。
おやすみ、と言って、瞼を閉じた。
* * * *
翌日。エリスのオフの日だ。
いつものように、マリーの朝のバタバタで起こされ。
クレアに代わって朝食を用意し、床で一緒に食べ。
休みの日恒例である、部屋の掃き掃除を始めると。
箒の動きに合わせて、マリーが首を左右に忙しなく揺らし始めた。
エリスは、あえて気にしないふりをしていたが、やがて……
我慢できなくなったマリーが、ソファーから飛び降り、箒に思いっきりじゃれついてきた。
「おぉっ、すごい! 猫っぽい!」
箒を小鳥か何かに見立てているのか、前足を懸命に振りかざすマリーの動きが楽しくて。
エリスは「うりゃうりゃ」と、夢中で箒を振るった。
一通りの家事を終え、エリスが本を読みながらベッドにうつ伏せに寝転がると。
マリーがテトテトと寄ってきて、エリスの背中に乗ったかと思うと、腰のくぼみに丸まって寝始めた。
「……って、そこで寝んの?」
人肌が恋しいのだろうか。それとも単純に、暖を取るのに使われているのか?
何にしても、ここまでの接触は初めてだ。
少しは……心を許してくれたということだろうか?
と、少し嬉しく思いながら、マリーの体温を腰にじんわり感じていると、エリスまでウトウトきてしまい……
気が付いたら、一緒に昼寝をしてしまっていた。
そうして、あっという間に夕方になり。
「はい、どうぞ」
今夜も、エリス特製の猫まんまを器に移す。
マリーは迷うことなくすぐに寄ってきて、ガツガツと食べ始めた。
その様子を、エリスはゴクリと喉を鳴らして見つめ。
……今なら、いける気がする。
と、横に並ぶようにしゃがみ込んで。
マリーの、頭から背にかけてを。
優しくゆっくりと……撫でてみた。
するとマリーは、猫パンチではなく……
エリスのことを、静かに見上げ。
これ、なかなか美味いわよ、とでも言うように、舌なめずりをした。
その表情が、仕草が、たまらなく可愛くて。
エリスは思わず、ときめいてしまう。
「……あんたって、可愛かったのね」
つい、思ったことをそのまま口にし。
そのまま、クレアがやっていたみたいにあごの下をコロコロと撫でてやる。
すっかり毒気の抜けたマリーは、気持ち良さそうに目を瞑った。
エリスは、口元に笑みを浮かべながら、
「……やっと、仲良くなれたね」
自分の心からも、毒気が抜けてしまったことに気がつく。
嗚呼、可愛い。
猫って、こんなに可愛かったのか。
これは、クレアがデレデレになるのも仕方がない。
今度は両手を使って、うりうりと顔の両脇を撫でてやり、
「……あんまり可愛いからって、あたしの恋人を取らないでよ?」
なんて言うが。
その声は、どこか楽しげで。
「あたしは……あんたみたいに甘えるの、上手じゃないんだから。手加減してもらわないと困る。羨ましくて……つい、ヤキモチ妬いちゃったじゃない」
マリーがあまりに気持ち良さそうな顔をするので、エリスも気を良くして撫でまくり、
「ねぇ、どうやったらそんなに甘え上手になれるの? あんたの甘えるタイミングって絶妙よね。不意をつくというか、自然というか……あたしなんか『好き』って言葉さえ、お膳立てされないと言えないのよ? おかしいでしょ? 恋人なのに……いまだにドキドキしちゃうんだもん」
そして。
ぽんっ、と頭に手を置いて。
「……はぁ。寂しいね。早く帰ってこないかな。あんたのご主人さまも……あたしのご主人さまも」
あいつが、無事に帰って来たら。
その時は、素直に……甘えてみようかな……
と。
マリーと見つめ合いながら、エリスがそんなことを思った……
…………その時。
──ゴトッ!!
と、背後で大きな音がして、エリスもマリーもビクッ!と震える。
エリスが、恐る恐る振り返ると……
……クレアが、血を吹き出しながら、倒れていた。
「くっ……クレア?! え、もう帰って来たの?!」
エリスが困惑しながら叫ぶと、クレアはプルプルと震えながら起き上がり、
「はい……一晩で、百人規模の違法薬物組織を一つ潰して来ました……今ごろアルも、"中央"に帰還しているかと……」
「えっ?! だ、大丈夫なの? 吐血してるけど、どこか怪我でも……」
「いえ、これは…………今しがたの、貴女の独り言を聞いて、心の臓が耐え切れず破裂してしまって……」
……って。
今の恥ずかしいセリフ、聞かれてた?!
「いいい、いつからここにいたのよ?!」
「『あんたって、可愛かったのね』あたりから……」
「って、最初から全部じゃない!!」
「はぁぁもう……猫に嫉妬してたとか可愛いすぎるぅぅ……あぁだめだ、またリバイバルで死ぬ……」
「か、帰って来たんなら早く声かけなさいよ! もう!! ……ぅわぁっ!」
──ぎゅっ。
クレアは、少し強引にエリスを抱き寄せ、
「……ただいま帰りました。すみません、寂しい思いをさせてしまって」
「……お、おかえりなさい」
「急で申し訳なかったです。しかし、このままエリスにもマリーにもストレスをかけ続けるのは良くないと思い……アルの仕事を手伝い、早急に帰らせることにしたのです」
なんだ、クレア……
マリーのことも、あたしのことも、全部わかっていたのか。
「まぁ……まさかヤキモチを妬いているとは思いませんでしたが。単純に、猫が嫌いなのかと……」
「うっ……」
エリスは独り言を聞かれた恥ずかしさと、自分のことばかり考えていた事実に情けなさを感じるが。
それもこれも全て、抱きしめるクレアの温もりに、溶かされてしまう。
二人が抱き合っていると、その足に擦り寄るようにしてマリーが近付いてきた。
エリスとクレアは微笑んで、二人でマリーを抱き上げ、
「どうする? マリー。あなたのご主人、無事に戻って来たって。もう、今日にでもウチへ帰りたい?」
そう尋ねるが。
マリーは、じっとエリスを見つめると……
腕から抜け出すように飛び降りて。
夕飯の続きを、食べ始めた。
「……明日でいい、ってことかな」
「……ですかね」
二人はしゃがんで、ガツガツと食べるマリーの様子を、しばらく眺めていた。
* * * *
翌日。
マリーをアルフレドに引き渡すのに、エリスもついて行った。
アルを見るなり、マリーはクレアの腕から飛び降りて駆け寄った。よっぽど嬉しかったのだろう、何度も身体を擦り寄せ、気持ち良さそうに撫で回されている。
「……やっぱり、本物の飼い主には勝てないね」
そう呟くエリスの声は、少し寂しそうだった。
隣に立つクレアが、それに返事をしようすると……
マリーが、アルの元を離れて、二人に近付いてきた。
そして、
「……にゃぁああう」
と、一言鳴いて。
またすぐに、アルの元へと戻って行った。
間延びした、ただの、猫の鳴き声。
しかし、エリスには……彼女が何を伝えようとしたのか、なんとなくわかるような気がして。
だから、
「──うん。またね、マリー」
そう、『さよなら』ではない言葉を告げて。
エリスは、彼女と別れた。
「……こうしていなくなってみると、やはり寂しいですね」
帰宅後。
猫の消えた自宅を眺め、クレアが言う。
エリスも、彼女のために使っていた器を床から拾い上げながら、
「クレアには最初から懐いていたもんね。あたしとも、もっと早くに仲良くなれていたら……マリーもストレスを感じなかっただろうし、もうちょっと長く一緒にいられたかな」
「いいえ、それはないです」
しんみり呟くエリスのセリフを、しかしクレアはばっさりと斬り捨て、
「思うようにイチャつけない状況を、私がこれ以上引き伸ばすとでも? 正直限界でした。現場でアルを見つけた瞬間、思わず一発殴りましたから」
……って。
一番ストレス溜まってたの、お前かよ!!!
というツッコミを口にするより早く、
「……んむっ」
エリスは、クレアに唇を奪われる。
久しぶりに味わう、柔らかな感触。
それを一頻り堪能した後、
「……猫は、この一匹で十分です」
「誰が猫よ」
「そうですね。猫よりも可愛い、私の大事な大事な恋人です」
「…………」
「ご機嫌は、直りましたか?」
「べ、別に、もうヤキモチなんか妬いてないし」
「ふふ、ならいいのですが。さぁ、今日は休日です。久しぶりにご主人さまを独り占めできますよ? うんと甘えさせてあげますから……可愛く鳴いてくださいね?」
なんて、腰を抱き寄せながら囁いてきて。
エリスは、「もう……」と顔を赤らめながらも。
……まぁ、今日くらいは、猫みたいに素直に甘えてみようかな……なんて。
高鳴る鼓動に、声を震わせながら。
「………………にゃぁ」
と。
小さく小さく、鳴いてみた。
*おしまい*
お読みいただきありがとうございました!