3.浮気の線引き
*ただひたすらにイチャイチャ。
*通常運転で甘い。
*「好き」の殴り合い。
*結局線引きできていない。
それでは、どうぞ。
「この浮気者ッ!!」
──パァンッ!!
……という音が響き。
王都のメインストリートを歩く人々が、皆そちらを振り返った。
見れば妙齢の女性が、一人の男性に平手打ちをしているところだった。
その男性の横には、平手打ちをしたのとは別の女性がいる。
要するに、恋人の男性が別の女性と一緒にいるところを目撃し、激昂したと……そんなところだろう。
「ま、待ってくれ! 違うんだ、これは!!」
と、何やら弁明を始める男性。
集まり始める野次馬と、その中心で激しく罵り合う男女を遠目に眺め、
「おお。あれが世に言う『しゅらば』ね」
エリスが、額に手をかざしながら呟いた。
休日の買い物を終え、家に帰る途中。ふいに遭遇した赤の他人の痴話喧嘩である。
隣で、買い物袋を抱えるクレアもそちらを振り返り、
「見物したいですか?」
「全然。早く帰っておやつ食べたい」
エリスは興味なさげに首を振り、再び歩き始めた。
「にしても、すごい平手打ちだったわね。めちゃくちゃ良い音してた」
「ですね。あれだけ綺麗に決まると、鼓膜が破れているかもしれません」
「えっ、平手打ちって鼓膜破けるの? 怖っ。ていうかなんで知ってんの?」
「昔、経験がありますから」
「……同じように浮気して、女に殴られた、ってこと?」
「まさか。違いますよ。仕事で潜入捜査した時にバレて捕まって、所属を吐けと殴られたんです」
「あー……なんかごめん」
「いえ、こちらこそすみません」
と、図らずも彼の闇を引き出してしまい、エリスは口をつぐむ。
クレアは、申し訳なさそうにしている彼女の横顔を、微笑みながら眺め、
「──例えば、ですけど。エリスにとっては、どこからが『浮気』ですか?」
そう、聞いてみた。
それに、エリスは眉をひそめてクレアを見返し、
「え? どーゆーイミ?」
「私が、他の女性とどんなことをしたら嫌だと……『浮気だ』と、思いますか?」
あらためて尋ねられ、質問の意図を理解したエリスは。
「へ………………」
暫し、フリーズして。
それからゆっくりと、順を追うように、クレアと自分以外の女がいる場面を想像してみて……
……少し顔を赤らめながら、ぼそぼそと呟くように、答え始める。
「…………まず、えっちなことはダメ」
「ぶふぉっ。……うん、そうですね」
「き……キスもやだ」
「……もちろんです」
「ぎゅってするのも……いやかも」
「……はい」
「手を繋ぐのも」
「……えぇ」
「二人きりで出かけたり」
「…………」
「見つめ合って、楽しそうに話すのも……なんかモヤモヤする」
「…………」
「あたし以外の女と二人で仲良くご飯食べて、半分ことかしてたら……すごく悲しい」
「…………」
「あと、下の名前を呼び捨てで呼び合うのもいやだし」
「…………」
「『可愛い』とか『綺麗』とか、褒めるのも……」
「ま、ま、待ってくださいエリス」
ばっ。
クレアは、ストップをかけるように右手を掲げ、
「さてはエリス…………私のこと、結構好きですね?」
「はっ?!」
赤くなった顔を左手で隠すクレアに、エリスも赤面して、
「えっ、なっ……なによ、何か変なこと言った?!」
「いや、いいです。何も間違っていません。今後一生、他の女性とは絶対に二人きりにならないので、安心して私を独占してください」
「ど、独占?!」
「まったく……『別に何したって気にしない』くらいのことを言われるかと思っていたら……めちゃくちゃ私のこと好きじゃないですか……」
「なっ……じゃ、じゃあ逆に聞くけど、あんたはどうなの?! あたしが何したら、浮気だと思うわけ?!」
茹で蛸のようになった顔で睨み付けるエリス。
クレアはそれを、爽やかな笑みで受け止め、
「あぁ。私の場合はエリスに少しでも下心を持って近付く男がいたら即抹殺しますから。浮気なんてさせませんよ、物理的に」
「抹殺?!」
「それに、もしエリスが私以外の男に好意を持ってしまったら……それは貴女を満足させられなかった私の責任ですので。潔く死にます。ですが、私の亡骸は貴女に食べていただく約束ですので、全身バラバラにしてちゃんと新鮮な内にご自宅へお送りしますね。よろしければ新しい彼氏さんと一緒にお召し上がりください」
「こっわ!! 大丈夫だから!! 絶対にそんなことにはならないし!! クレアのこと、ずっと大好きだから!!!」
そこまで言って。
エリスは、自分がとんでもなく恥ずかしいことを叫んでいるのに気が付き、ハッとなる。
道行く人々が二人のことを振り返り、「ひゅうっ」と口笛を吹く。
湯気が噴き出す程に全身真っ赤に染め上がったエリスを、クレアはじー…っと見つめ……
「……ちょっと、"中央"に行ってきます」
「は?! なんで?!」
「結婚可能年齢を十六歳に引き下げてもらうよう、王に直談判してきます。飲まないというなら、拘束して拷問してでも……」
「あほ! そんなことで謀反を起こすな!!」
「くそっ、なんで結婚できないんだ……一刻も早く娶りたいのに……あと二年も待てない……!!」
「落ち着け!! 剣をしまいなさい!!」
王城の方へ向かおうとするクレアの腕をぐいぐい引っ張り、なんとか抑えるエリス。
「だっ、だってさ、クレア!」
ぐいっ。
エリスは、クレアの耳元に口を寄せて、
「……恋人でいられるのもあと二年しかないと思うと、ちょっと惜しい気がしない? その……夫婦になったらまたいろいろ違うだろうし……もうちょっと恋人期間を楽しもうよ」
と。
クレアを宥めるための言葉を、精一杯捻り出し、囁く。
思いがけない口説き文句に、彼は目を見開いて……
「……そういうセリフ、一体どこで覚えてくるんですか……? 私もうとっくにオーバーキルなんですけど……」
「へっ?! 別に、思ったことを言っただけだけど……」
「はぁ……わかりました。貴女の言う通り、今はまだラブラブカップル期間を満喫することにします」
「ラブラブカップル言うなっ!」
「でも、もし我慢できなくなったら……すぐに結婚できる国に亡命しますから。ちゃんと、ついてきてくださいね……?」
そう言って、顔を覗き込むクレアの瞳は真剣で。
エリスは、思わず目を逸らしながら、
「…………ご飯の美味しい国で、お願いしマス」
ぽつりと、返事をした。
クレアは満足気に笑うと。
エリスの手を引き、家に向けて再び歩き出す。
「これからは仕事中でも、女性と二人きりにならないようにしますね」
「べ、別に仕事中はいいよ」
「大丈夫です。そういう状況になりそうになったら、ちゃんと『エリスがヤキモチ妬いちゃうので』って断りますから」
「やめてよ! 恥ずかしい!!」
「エリスも、言い寄ってくる男には気を付けてくださいね? ご飯やお菓子につられて、ついて行っちゃ駄目ですよ?」
「ついて行かないわよ! 家に帰ったらクレアとご飯食べられるんだもん。お腹空かせておきたいじゃない」
「(…………やっぱり、亡命しようかな……)」
*おしまい*
ヤマもオチもなく、すみません……
ちなみに、この国の成人は18歳で、飲酒も結婚も成人しなければ認められていません。クレアにはもう少し我慢してもらいます。