1.季節外れの雪合戦
ということで。
ノリと勢いで始めてしまった短編集にございます。
今回の時系列としては、本編の最終話・番外編の最後から二ヶ月後くらいです。
王都へと帰り着いたエリスとクレアは、次なる任務に出発するまでの間"中央"にて仕事をこなしながら、同棲生活をしています。
その、なんでもない一日の一幕を、山なしオチなしでお送りいたします。
「あーーん」
と。
エリスは、口を大きく開け、天を仰ぐ。
すると、彼女の舌の上に……
いや、それどころか額にも鼻にも頬にも、白くて冷たい綿雪が、あっという間に降り積もった。
「ぷわっ、冷たっ」
たまらず彼女は、ぷるぷると顔を振る。
舌の上に乗せた雪は、あっという間に溶けて水になった。
その日、アルアビス国の王都は、季節外れの大雪に見舞われた。
レンガ畳のメインストリートも、軒を連ねる商店の屋根も、一面真っ白。
大人たちは雪かきに追われ、子どもたちは嬉しそうにはしゃぎ回る。いつもとは違う情景が、日暮れ前の王都のそこかしこに溢れていた。
"中央"での仕事を終えたエリスとクレアは、雪を踏みしめながら帰路についていた。
大通りを抜けた、静かな路地の真ん中。髪についた雪を払うエリスに、クレアは微笑みながら尋ねる。
「どうですか? 雪のお味は」
「うーん……ただの水ね。あーあ、これが全部わたあめだったらいいのになぁ」
「あはは。それは確かに、夢のようですね。エリスなら、魔法でいつか実現できてしまいそうですが……」
「はっ。そうか! 粉砂糖を風で巻き上げて、上空で雪に振りかければ……あまーい味付きの雪が降ってくるはず! え、ちょっとやってみたい」
「って、いま粉砂糖持っていないでしょう」
「家から取ってくる!」
「えぇ……そんなことしていたら風邪を引いてしまいますよ。もう夕方ですし」
「だいじょぶだいじょぶ! ちょっとだけだから!」
「駄目です。大人しく家にこもりましょう。こんな雪の夜は、しっぽり身体を温め合うのが恋人の正しい在り方なのです」
「はぁ?! なにソレ却下!! こんなに降ること滅多にないんだもん! 次の冬まで待てなーい!!」
「子どもみたいなこと言っていないで、早く帰りますよ。お風呂に入って、その赤くなった鼻を温めなきゃ……」
と、スタスタ歩き始めるクレアの背中に。
──ぽすっ。
雪の玉が当たり、砕けた。
振り返ると、エリスが次の雪玉をにぎにぎ作りながら、ニヤリと笑っている。
「ふふん。子ども扱いするなら、とことん子どもになってやろうじゃないの」
つまりは……『雪合戦で勝負しろ』ということらしい。
クレアは、しばし無言で彼女を見つめてから……
「貴女がそのおつもりなら構いませんが……後悔しても、知りませんよ?」
夕飯の材料が入った袋を雪の上に置き、臨戦態勢を取った。
「相手を『降参』って言わせたら勝ちね。あたしが勝ったら、あまーい雪を作るの手伝ってもらうから!」
「私が勝ったら、そのカラダ……徹底的に温めてさしあげます。覚悟していてください」
ジリ……ッ、とヒリつくような緊張感が、真っ白な路地を支配する。
そして……
「──ふんっ!」
エリスが手にした雪玉を投げ、戦いの火蓋が切って落とされた。
まぁまぁな速度で投げられたそれを、クレアはあっさり回避。横に転がりながら自身も雪を掬い、素早く雪玉を生成。立ち上がると同時にエリス目掛けて投げつけた。
エリスもそれをなんとか躱す。やはり真っ正面からの投げ合いでは、圧倒的に速さで負ける。
エリスは後退して距離を取りつつ、右手で素早く魔法陣を描く。
「──ヘラ! お願い!」
呼び出した水の精霊を、クレアの足元へと放つ。
途端に彼の周囲の雪が融解し、すぐには雪玉を作れない状態になる。
「雪を奪えばこっちのモンよ! てりゃてりゃてりゃーっ!!」
エリスはここぞとばかりに、次々に雪玉を投げつける。
しかしクレアも、彼女が魔法を使うことは想定済みだ。腰から剣を抜き放つと、迫り来る雪玉をバッサバッサと斬ってゆく。
そして、エリスが次の雪玉を用意している間に一気に間合いを詰める。近付いてしまえば、彼女は水の魔法が使えない。自分の持ち玉となる周囲の雪も溶かしてしまうからだ。
そのことに気が付いたエリスは、次なる魔法陣を描く。
「──ウォルフ! キューレ! 交われ!!」
暖気と冷気、二つの精霊を混ぜ合わせ、強風を生み出しクレアにぶつける。
その風圧に彼が後退りしたところで、再びエリスは距離を開けた。
やはり、そう簡単に近寄らせてはくれないか。
と、クレアは周囲を見回すと……商店の裏口と思しき場所に置かれた酒樽を見つけた。空になった中身に、降り積もった雪がたっぷりと溜まっている。
……これだ。
クレアは剣を納め、エリスの繰り出す雪玉を躱しながら酒樽に近付く。
そしてそれを掴み上げると、脇に抱えてエリスに対峙した。
「ふふ……これで雪が確保できました」
「くっ……」
樽の中の雪を掴むクレアに、エリスは奥歯を軋ませる。
彼の抱える樽を魔法で破壊することは困難だろう。スピードでは彼に勝てない。魔法陣を描いている間に、射程外まで距離を取られる。
エリスが次なる手を考えている間に、クレアが動き出す。樽の中の雪を掴むと、素早くエリスに投げつけてきた。
彼女は身を翻して避け、魔法陣を描く。
「──キューレ! 凍らせて!!」
手から放たれた冷気が、先ほど雪を溶かし水たまりになったクレアの足元へと飛んでゆく。
命中するなりパキンッ! と高い音を立てて、地面に鏡のような氷が張った。
クレアは咄嗟に大きく後退し、直撃を避ける。踏み込んだら間違いなく滑る、氷のリンクの完成だ。それを挟んで、再び両者は対峙する。
これでお互い、容易には距離を詰められなくなった。
クレアは雪玉を、エリスは雪玉プラス魔法を放っての攻撃が可能。分は、エリスにあった。
「(加えて、クレアの持ち雪は樽の中の分だけ。このまま時間を引き伸ばせば……勝てる!)」
エリスは口の端を吊り上げ、雪玉を握る。
そして……
「……ぅおりゃぁあああ!!」
ひたすらに、雪玉を投げまくった。
クレアも樽の中から雪を掴み、対抗する。
かなりの距離が保たれているため、エリスにもクレアの素早い攻撃を避ける余裕があった。
しばらく雪玉と雪玉が行き交うシンプルな雪合戦が続き……
「(……よし、クレアの樽の中身が無くなってきた!雪が無ければ、雪合戦にならない!)」
雪玉を投げながら、エリスが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ほーらクレア! そろそろ『降参』した方がいいんじゃない?!」
そのセリフを投げかけるのと同時に、クレアの樽の中身が底を突いた。
勝った。
手玉のなくなったクレアに、エリスが渾身の雪玉を投げつけようと振りかぶった……その時。
クレアが……ニヤリと笑みを浮かべた。
彼はエリスの放った雪玉を避けると、樽を抱えたまま一直線に彼女の方へと駆けて来る。
「(はぁ?! この勢いで突っ込んで来たら、間違いなく氷で滑るのに……!!)」
エリスは困惑しながら、自身が張り巡らせた氷のリンクを見下ろす……と。
そこには……いつの間にか、雪が積もっていた。
時間が経ち空から降ってきたものに加え、先ほどまでの雪合戦で投げつけた雪が砕けて積もったのだ。
そうか……通りでクレアの雪玉がこちらに当たらないはずだ。彼が本気を出せば、間違いなくエリスに命中するはずなのに……
ヤツは、このリンクに"雪の足場"を作るために、わざとエリスの雪玉に自分のを当て、相殺していたのだ。
気付いた時には、クレアはリンクに積もった雪を足場にして物凄い勢いでエリスに迫っていた。
彼女は咄嗟に水の魔法陣を展開。クレアへと放つ。
この寒さの中、水をかぶれば確実に凍え死ぬ。もはや雪合戦ではないが……『降参』と言わせれば、こちらの勝ちだ。
迫り来る水の魔法。
それを、クレアはギリギリまで引きつけ……
ぶつかる直前で、抱えていた樽を盾にし、高く跳躍した。
魔法が直撃し、砕け散る樽にエリスは思わず目を瞑る。
「……!! しまっ……」
慌てて目を開けた先に、クレアの姿はなかった。
気配を感じ、後ろを振り返ると……
ガッ!と、彼に両手首を掴まれ、頭の上に高く固定されてしまう。
やられた。完全に……捕まった。
拘束から逃れようと身をよじるエリスに、クレアはぐっと顔を近付ける。
「私の勝ちですね、エリス。甘い雪は、諦めてください」
「…………くっ……」
「あれぇ? おかしいなぁ、『降参』の声が聞こえてきませんねぇ」
「……うぅ……」
「……言わないのなら……」
──スッ。
と、彼は拘束しているのとは反対の手をかざし、そこに握られた雪玉を見せつけ、
「この雪の塊を……胸の谷間に、突っ込みます」
にこぉっ。と笑って、言い放った。
想像しただけで背筋が凍り、エリスはガタガタと震え出す。
「あ……あわわ……」
「ほぉら。早く言わなきゃ、入れちゃいますよ〜……?」
「ま、待って! 言う! 言います! だから、それだけは……」
「残念。時間切れです」
「うそ、待っ………に゛ゃぁぁああああっ!!!」
雪の降りしきる路地に、エリスの悲痛な叫び声が響き渡った……
* * * *
その後、完全に敗北したエリスは大人しく家まで連行され。
びちょびちょに濡れた服と下着を脱がされ、熱いシャワーを浴びせられ。
温かいココアを飲まされながら、タオルで髪を念入りに拭かれて。
「じゃあ、私は今からシチューを作りますので。そこで大人しく温まりまくっていてください」
彼女を布団にくるんでから、クレアはキッチンへと向かおうとするので、
「……へっ? 待って、『カラダを温める』って……こういうこと?」
エリスは思わず、彼の背中にそう尋ねる。
するとクレアは、ゆっくりと振り返り、
「他に、何があるのですか?」
「え゛っ。そ、それは……」
「……もしかして、何かいやらしいコトでも想像していました?」
「はぅっ!? ま、まままさかそんな……」
「はぁ……まったくエリスは。私はあくまで貴女が風邪を引かないよう、一刻も早く帰宅することだけを考えていたのですよ? そんないかがわしいことが目的だったわけではありません」
「ぅ……ご、ごめんなさい…」
「わかればよろしい。さ、シチューを食べてさらに温まったら、いやらしいコトして寝ますよ。明日も仕事なのですから、早くしなければ」
「って、結局そういうコトするんじゃん!!!」
「は? それはそれ、これはこれでしょう。ちゃんとデザートも用意してありますから、楽しみに待っていてくださいね」
そう言い残して。
彼は颯爽と、キッチンへ去って行った……
* * * *
雪は、夜になっても止まなかった。
窓の明かりもまばらになった街にしんしんと積もり、真っ白な静寂を闇夜に振りまく。
二人は、クレアの立てた予定通りに夜を過ごし、たっぷり温まった後……
ベッドの中で、静かに瞼を閉じた。
──その、一時間後。
「……んふふ。まだ雪降ってる……これならイケる♡」
キッチンの戸棚からコソコソと粉砂糖を取り出しながら、エリスが一人呟いた。
甘い雪を食べるという野望を、彼女はまったく諦めていなかったのだ。
粉砂糖入りの袋を手にし、そろ〜……っと玄関へと向かい、
「さて、クレアが起きる前にちゃちゃっと済ませて……」
「私がどうかしましたか?」
びっくぅう!!
突然、背後からかけられた声に、エリスは口から心臓が飛び出しそうになる。
ギギギ、と首を後ろに回すと……
そこには、にっこりと笑みを浮かべたクレアが立っていた。
「ぁ……く、クレア……これは、その……」
「エリス……一体何度言ったらわかるのですか。こんな雪の中出かけたりしたら、十中八九風邪を引きます」
「………ぅう……」
「……仕方がないですね。明日も仕事なので、先ほどは手加減しましたが……」
ひょいっ。
と、エリスの身体をお姫様抱っこすると、
「こうなったら、足腰が立たなくなるまで致しましょう。出かける気も失せるくらい……クッタクタにしてさしあげますよ」
「ひぇ……ちょ、待って!」
「駄目です、待ちません。ほら、また身体が冷えてしまったじゃないですか。もう一度、奥の奥まで、温まりましょうね……?」
「ごめんなさい! ほんとにもう諦めるから!! ねぇ! 目が笑ってないの怖い!! 許してぇぇええ!!!」
エリスの悲鳴を吸い込むように。
寝室のドアは、無情にも……パタンと、閉まった。
*おしまい*