87.ロープのベッド
「では、それがし達はいったん街に戻るでござる」
夕方、そろそろまわりが見えなくなってくるくらい暗くなると、ギガースらを始め、舗装工事の手伝いをしてくれた者達を街に帰らせた。
「ああ、俺はこのままここにいる。何かあったらいつでも連絡をくれ」
「承知いたしたでござる」
魔物達はぞろぞろと引き上げていった。
それを見送ったあと、俺はまわりを見回した。
少し離れたところに数本の木があって、そこで一晩明かすことにした。
『大変だな、アリバイ作りをするというのも』
ラードーンは楽しげで、ややからかう感じで言ってきた。
「仕方ない、この一件が終わるまでの辛抱だ」
『それはいいが、我と話してて良いのか? それを見られたらまずいのではないか』
「それなら大丈夫だ……多分。声が聞こえる程度の距離に魔力の気配はない」
『ほう』
ラードーンはやや感心した様子で。
『それも分かるようになったか』
「ちょっとだけな」
『相手が魔法を使えぬ輩かもしれんぞ』
「魔法を使えない人間の魔力のパターンも覚えた。こんがらがった毛糸の玉みたいな感じだ」
『ほう』
そうこう言っているうちに、野宿を予定した木々の間にやってきた。
アイテムボックスを呼び出した。
適当な薪を取り出して、たき火を熾す。
そして別途用意した一本の縄を取り出して、木と木の間に、腰の高さで結んだ。
『なんだそれは』
「ベッド」
『何を言っている』
ラードーンはちょっと呆れた様な、そんな声色で更に聞き返してきた。
「そんな『なにこいつ、とうとう頭おかしくなったか』みたいな言い方は傷つくからやめてくれ」
『そんな事を言い出せばそうもなる』
「別に変な事は言ってないって。ほら」
俺はそう言って、縄に「あがった」。
最初は尻を乗せ、その後に背中を乗せて寝そべって、最後に二本の足を器用に一本の縄の上にのせた。
一本縄のハンモック、その上に寝そべった。
「むっ、くっ……よっと。意外と難しい」
『ほう……』
一変、ラードーンから伝わってくる感情が変わった。
呆れが完全に反転して、称賛になっただけじゃなく、魔力探知の時以上に満足げな感情が伝わってきた。
『我の訓練か』
「そういうこと」
俺は縄の上で、まだちょっとふらつきながらも、はっきりと頷いて答えた。
ラードーンの訓練。
アナザーワールドの中でやってくれたそれは、体の各所に、のぞむ割合で魔力を分配・維持すること。
その過程で、俺はひとつ知った。
魔力を魔法ではなく、肉体にそのまま乗せると、物理的な力――あるいは重量とも言うべき物に変化する。
そこでこれだ。
一本縄の上に寝そべる、綱渡りの変形。
縄の上では、絶えずバランスを取っていなければならない。
俺は全身に魔力を分散させた上で、バランスを取って落ちないようにしている。
「ラードーンのあの訓練、あれってきっと、延々と続けた方が良いものなんだよな」
『うむ、基礎はやればやるほど魔力の使い方が上手くなっていく』
「よかった」
俺は少しほっとした。
確実にそうなんだろう、という確信めいたものはあったけど、ちょっとだけ、「でも違ってたらどうしよう」とも思っていた。
ラードーンから確認を取れて、ほっとした。
「ああいうのを、もっと続ける方法を考えてたんだ。で、思いついたのはこれ。これなら慣れてしまえば、寝てる間も魔力の鍛錬が出来る」
『よくそんな発想が出てくるな』
称賛半分、呆れ半分って感じでラードーンが言ってきた。
「魔法は憧れだから。この先どんな魔法に出会えるか分からないけど、基礎はやっておいて損はないはずだ」
『ふふ……』
笑うラードーン。
直接的な返事じゃないけど、俺の考えは正しいってお墨付きをもらった気分だ。
俺は縄の上で揺れた。
風に吹かれて揺れる度に落ちそうになる。
実際、落ちたこともある。
その都度魔力の配分を調整して体勢を立て直したり、起き上がって再び縄に乗ったりする。
ラードーンの訓練より、更に難しかった。
分配がより細かいだけじゃなくて、風という大自然の気まぐれなそれは完全に読めない。
ラードーンの指示はまだ、難しくても、「意図」は分かる。
風に意図はない、ただ吹いているだけ。
それがまったく読めなくて、その瞬間の調整で対応するしかなくて――逆に俺をレベルアップに誘った。
難しい対応、魔力の分配を細かくやっていくにつれ、魔力の使い方がドンドン上手くなっていくのを自分でも感じる。
『少しは余裕ができたか?』
俺の中にいるため、ラードーンは完全にお見通し、って感じのタイミングで聞いてきた。
「ああ、ちょっとな」
『魔力の扱いがまた少し上手くなったな』
「素直に褒められるのはちょっと意外だ」
『ふふっ……今なら分かるのではないか?』
「分かる?」
何をだ?
ラードーンがそういう時は、何もないって事はない。
俺は彼女の言葉を思い起こす。
やりとりを一つずつさかのぼって思い起こして、何かないかと探す。
一つ、引っかかった。
ラードーンがまともに答えなかったのが一つ。
魔力感知について俺が言った後、ラードーンは肯定も否定もしなかった。
これか? ――そう思い、縄の上に寝そべったまま、魔力感知を広げる――すると。
「なっ」
『気づいたか』
「二つ、今までに分からなかったのが……これは?」
『今のレベルアップで気づけるようになったろう。片方は意図的に「絶っている」もの、もう片方は「自然と同化している」ものだ』
「な、なるほど……」
『大した連中じゃないから、このまま放っておいてもよかったのだが……ふふ、あっという間に気づくようになってしまった。やるではないか』
そう話すラードーンは、この日でもっとも、満足げな感じで話したのだった。