437.あなたがいるから
東の空から完全に太陽があがって、対面する人々の互いの顔がはっきり見えるくらい明るくなった。
そんな中、街角で遭遇した人達は常に一瞬だけぎょっとした。
それもそのはず、ほとんどの者は、日常生活の中にある家財道具などから、「武器」に転用出来そうなものを持っている。
つまり、街角でばったり出くわした近所の知りあいが、互いに武器を持っている剣呑な状態ということだ。
ぎょっとするのも無理はない、むしろ至極当然のことだ。
しかし、それらは常に「一瞬だけ」だった。
ほとんどのものたちは互いを見つめ合って、真顔で頷き合って、合流して更に歩き出す。
それが繰り返されて、小川が大河になるかの如く、武器を持った住民たちが膨れ上がった。
「怒れる民衆、ですわね」
その光景を俺とともに映像魔法で見ていたシーラがつぶやいた。
『怒れる民衆?』
「ええ、為政者に不満をもち、立ち上がってそれに詰め寄る事がままありますわ」
『ああ、それか』
なるほど、と思った。
そう言われて改めて映像を見ると、たしかにシーラの言うとおりで、それなら俺も知っていることだった。
「あら、どこかで見た事がありますの? ハミルトン家は今の代になってから民が怒れる類の失政は確かなかったはずですけれど」
シーラが不思議そうな顔をした。
俺は苦笑いした。
魔剣リアムに憑依している状態だったから、出られるような顔がなかったのが幸いした。
リアムになってからはそういうのを見た事ない。
俺の事、ハミルトン家の事を相当に調べ上げたシーラがそう言うのだから、そういうことは実際にはないんだろう。
そうじゃなくて、リアムになる前の話だ。
リアムになる前の俺に、そういう記憶がある。
収穫前から確実に不作になるのが見えている年の事で、それを報告しても領主は税金を一切減らそうとしないから、村のみんなと一緒に領主の舘に詰めかけたことがあった。
なるほど……そういうヤツか。
『ってことは……とっとと降参しろ、っていいに行くって事だな』
「そういうことですわね」
『逃げ出す……は街の住民には無理か』
「逃げ出す? どういう事ですの?」
『ああ、農村……と、話にきいたところだと荘園とかでも。行き着くところまでいったら田畑や荘園を全員で放棄して、他所に逃げ出すことがあるんだ』
「ふふ、それは中々ですわね。そして中々の失態になりますわ」
『そうなのか?』
「ええ。わたくしの――たとえば下にいる男爵くらいの領地でそのようなことが起きたら、わたくしは迷い無く領地と爵位を取り上げますわね。即座に。農村も荘園も、畑を耕す者に逃げられるのは許しがたいことですわ」
『貴族でもそうなのか』
「だからこそですわ」
シーラはきっぱりと言い放った。
「領地を統治する者は、あらゆる手段を講じて労働力を田畑で働かせ続けなくてはいけませんわ。満足して逃げられるよりも、不満であってもつなぎ止めるべき」
『そっちの方が正しいってことか』
「正しいという言葉には語弊がありますわね。善悪の問題ではありませんの。それが職務ということですわ」
『なるほど』
魔剣リアムの中で頷く俺。
分かるような、分からないような話だ。
シーラはやはり、俺よりもこういうこと――貴族がどうであるべきかの事について詳しい。
『……ああ、そうか』
不意にハッとした。
詳しいからこそだ。
『こうなる風に誘導したんだな』
「ええ、そうですわ。極端な話なのですけれど、戦に負けてもまだ許されるけれど、民心が離れるのは許されざること。そうなってしまってはその者のみならず、次の領主までもが苦労しますもの」
『そうなのか?』
「多くの民にとって領主はあくまで『ただの領主』、どこの人間かとか、どの勢力についているかとか関係ありませんわ」
『つまり……例えばキスタドールからパルタに変わっても変わらないってことか』
「そうですわ」
『なるほどな……あっ、でもさ』
「なんですの?」
『それをやるとシーラが苦労するんじゃないのか? このラショークって街を支配するんだよな』
「ええ」
『だったらやり過ぎはよくないんじゃないのか?』
「かまいませんわ」
シーラはふっと笑う。
おどけているような笑顔だ。
「わたくしは恐怖と実益で縛りますもの、飴と鞭ですわ」
『それって……上手くいくのか?』
「ええ、確実に」
シーラは「だって」といい、またまた笑った。
「あなたがいらっしゃいますもの」
一瞬だけ、きょとんとなった。
俺がいる……俺の魔法がある。
それさえあればうまくいく、と。
シーラにそこまで言われて嬉しくなったし。
頑張らなきゃ、とやる気がでたのだった。