406.死ぬことも許されない
「これで三回目ですわね」
目の前で潰走していくジャミール軍を眺めながら、シーラが微笑みを湛えたままつぶやく。
まったくもっていつもの彼女の、上品さと不敵さをない交ぜにした微笑みだ。
それを間近で目の当たりにしたシーラの兵、パルタ公国の一般兵達の顔が一様に強ばっていた。
引いているというか、目の前の彼女に戦慄しているというか。
そんな顔をしている。
『俺の思いすごしかもしれないけど』
「なんですの?」
『ジャミール軍が撤退していくのが早くなってないか?』
「なっていますわね、明らかに」
『やっぱりそうか』
勘違いとか思い過ごしじゃなかったことにホッとしつつ、意識を前方に向けた。
撤退していくジャミール軍、それに「追いつけない速度」で追撃するアルカードら扮する死人兵。
初回は普通に追撃したのだが、それを見たシーラがやり方を修正して、二回目から追いかけるが追いつけないようにしてもらった。
魔王に操られる死人、足取りがふらつく形で登場しているのに追撃の足取りがちゃんとしているのはおかしいという理由だ。
それを言われて、俺もアルカードも納得した。
その後の二回目と今の三回目は現われた時と同じようにふらふらした足取りで追いつけない追撃をしている。
『これで更に恐怖がますってわけか』
「ええ、あの姿をごらんなさい。人間としての全てを取り上げられた、そうおもいません?」
『確かにな』
シーラの言う通りだった。
そしてその狙いはきっとちゃんと発揮している。
「「「……」」」
周りの兵、シーラの兵達でさえも怯える目をシーラに向けている。
味方でさえこれなら敵が感じている恐怖は更に強いはずだ。
『で、次はどうするんだ?』
「次といいますと?」
『向こうの撤退する時間が短くなった。何かの時間を短くしてくのは魔法でさんざんやったけど――』
いいながら、今までやってきた事を頭の中に思い浮かべる。
魔法の発動時間とか、そういうのを短くするのをたくさんやってきた。
だから、分かる。
『――短くとか小さくしていくのは限界がある、長く大きくするのよりも遙かに早い段階で限界が来る』
「さすがですわね。おっしゃる通りですわ」
『そうなったときとか、その前に何か別のことをしなきゃ行けないはずだ。そして』
「そして?」
シーラは小首を傾げる。
『お前ならもう考えているはずだ』
「……あらあら」
俺の指摘に、シーラは虚を突かれたような顔をした。
頬をほんのりと染めて、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「お見通しですのね」
『俺とちがって、お前ほどの女が考えてないわけがないからな』
「あなたは考えてませんの?」
『俺は予測とか予想するのが苦手だ、というかできない。起きてから何とかするのはできるんだが』
「それでいつも何とかしてきたんですのね」
『ああ』
「その方がすごいのですけれど」
シーラはそういってから、数秒、間を空けてわかりやすく話題を切り替えた。
「撤退が早くなったのは、噂が広まって、それでも何かの間違いだとおもって戦ってみた、でもやっぱり噂は正しくてこのまま戦えないから」
『そういうことになるな』
シーラの言う通りだと思った。
魔法で撤退中のジャミール軍の声を拾うと、シーラの推察を裏付けるような怨嗟の声が渦巻いているのが分かる。
「それはつまり噂が広まっているから」
『ああ』
「今各地に散っている負傷兵の中にも、偶然『死を恐れない者』がいたかもしれない」
『まあ……あんだけやれば何人かはいるだろうな』
シーラの言葉に同意した。
根拠があるわけじゃ無い、ただ普通にいるだろうなとおもった。
普通に兵を集めても、いくらかは勇敢な人間が混ざったりするもんだ。
今まで数千人の兵を治らないし死なない重傷者にして来た。
何千人もやってれば中には数十人そういうのが混ざってもおかしくない――というかいるだろう。
『それでどうなるんだ?』
「その人達が動き出しますわ」
『ふむ……?』
「この噂を聞けば、自分がこのままでは意識さえもなくなって周りの人間を無差別に襲ってしまう化け物になるかもしれないと思う」
『そうだな』
「そうなると、勇敢な者、死を恐れない者なら、まだ意識がはっきりしているうちに自分でケリをつけたいと思うようになる」
『自分でケリを?』
「自決ですわ」
『ああ……いやでも、死ねないぞ? 俺の魔法が効いているから、何をやっても』
「ええ、もちろん。しかしそれはあなたの視点ですわ」
『俺の?』
「彼らはそれを知りませんわよね」
『ああそうか、というか全員知らないよな。死なないのを知らないから薬とか無駄使いしてるんだっけな』
「そうですわ。さてお立ち会い」
シーラはおどけるような顔でそういうと、その表情は更に意地悪な笑みに上書きされていく。
「覚悟を決めて自決してはみたが、何をやっても死ねない。そうなったときの本人の気持ち、それを見た周りの気持ちはどうなると思いますの?」
『……もう、魔王に支配されている』
「正解」
『すごいな』
俺は感心した。
ものすごく感心した。
遠い所での動きが、遠い所にある物事の効果を更に強くさせるとは。
さすがシーラだと感心した。
「すごいのはあなたの魔法ですわ。あなたの魔法がなければこんな常識はずれなことはできませんわ」
そう話すシーラは、心の底からそう思っているような表情だった。
互いに感心し合っている状態で、ジャミール軍の撤退を眺める俺達。
この日を境に、ジャミール王国の村や町から、降伏の申し入れが加速度的に増えていくのだった。