394.ヘルアンドヘブン
深夜、明かりが月光のみ存在する、誰も彼もが寝静まる時間。
シーラは自分の寝室で静かな寝息を立てていた。
貴族にしては平均的で、しかし「大公」としては物足りなさを感じさせる寝室。
未婚ゆえ一人しか存在する事が許されないシーラの寝室に、二人目の人間が侵入して来た。
天井から音もなく落下する男は、暗闇によく紛れる全身黒ずくめの格好をしている。
布に覆われていないのは月明かりを反射する二つの瞳と、そして利き手に構えている鈍色の刃だけ。
その刃を構えたまま、そして足音を押し殺したまま寝台のシーラに忍び寄る。
完全に気配を殺しきっている手練れだな――と。
魔剣リアムは飛びかかるそいつを捕まえながら、感心していた。
寝台の横に置かれている俺の刀身から伸びる、夜よりも更に漆黒の魔力の腕が、暗殺者の口を塞ぎながら鷲づかみにして、締め上げる。
暗殺者はじたばたするが、当然、そんな程度で緩んだりするような魔法の腕ではない。
締め上げつつ、利き手が持っている短刀も取り上げた。
「…………あら」
そこで暗殺者がもがく物音に気づいたのか、シーラがゆっくりと体を起こした。
まだ細められている目は、直前まで熟睡していた証だ。
「しっかり現われたんですのね」
『ああ、シーラの言う通りだ。気配の消し方が上手かった、俺の探知魔法でも部屋の直上に来るまで気づかなかったくらいだ』
「あらあら、あなたの魔法でもそうなんですの?」
『ああ』
やり取りをしている間に完全に覚醒したようで、シーラははっきりとした表情で寝台から下りて、俺が口を掴んで暗殺者の前にたった。
前に立って、まっすぐ暗殺者を見あげる。
「なるほど、結構な手練れですわね」
『シーラの言う通り速攻で自殺しようとした』
「あら……では?」
『ああ、言われたとおり口を塞いで武器も取り上げた。何回かかまれたよ』
「やはりそうでしたの」
『で、どうする?』
「もちろんやらせて頂きますわ」
『わかった』
俺は魔法の腕で掴んでいる暗殺者を少し下げた。
口を掴んで拘束するのと同時に、そもそも行動を制限するから、動けないように両足を地面から離すように持ち上げている。
それを拘束しつつ下ろして、頭の高さをシーラの肩よりもすこし下くらいにした。
シーラは右手をすぅ、と伸ばして、暗殺者の頭のてっぺんに乗せた。
女の細腕を乗せて、鷲づかみの「まねごと」をした。
そうやって掴む仕草だけしながら、シーラは魔力を高め魔法を唱える。
「【ヘルアンドヘブン】」
俺が作った新しい魔法、シーラがここ数日最優先で覚えた魔法。
魔法の効果は三つ。
相手の生命力を吸い出しながらその場で放出して――無造作に捨ててしまう形にする。
更にその生命力の回復を遅らせる、回復阻害の「堰」を体の中に作る。
最後に快楽を与える。
シーラと話し合った、男の精気を吸い尽くす化け物と同じ現象を引き起こす魔法だ。
【ヘルアンドヘブン】をかけられた相手は快楽を得ながら徐々に力を失うという、相反する二つの現象を同時にその身に受ける。
暗殺者が震える、黒ずくめの格好から唯一出ている二つの瞳が恐怖の色に染まる。
「ふふ……怖がることはないのよ」
俺にではなく、はっきりと頭を鷲づかみにする暗殺者に語りかけるシーラ。
『おぉ……』
その語りかけに俺は感心した。
魔法は俺が作った。
生命力の吸い出しと快楽を与える効果の魔法を作った。
シーラはそれを使いつつ、更に婉然とした――色っぽい笑みを相手に向けた。
まさしくあっちこっちの伝承で語り継がれるような、男の精力を奪い取る化け物のような表情だった。
俺は感心した。
心底感心した。
シーラはことあるごとに自分は生娘だからと話すが。
これをみる限りその辺の娼婦よりもよほど色っぽくて、男を虜にするすべや表情が分かっていると感心した。
しばらくして、男が白目を剥き、びくんびくんとけいれんをしだした。
力を吸われて全身が脱力し、意識をうしなった。
俺が掴んだままの口、黒マスクの下では泡もふいているようだ。
『いっちょあがり、かな』
「ええ、あなたのおかげですわ」
シーラは暗殺者から手を離し、俺に向かってにこりと微笑む。
それはまた違う感じの、実に晴れやかな微笑みだった。