390.拡散する恐怖
不日。
パルタ公国領前線の街ビシデリ。
「大公陛下、ご入来」
庁舎の中に急遽作られたという玉座の間にシーラが俺を携えて入室した。
室内には既に十人ほどの様々な格好の男達がいて、それが玉座の向かいである、謁見する者達がならぶ位置で跪いていた。
それらの者達には一目もくれずに、部屋に入ったシーラは一直線に玉座に向かっていった――のだが。
シーラが立ち止まった玉座の前。
その「玉座」に俺は少々驚いた。
『席が……二つ?』
魔剣リアムとしての声は他の者達には届かずに、シーラの耳にだけ届いた。
そのシーラは婉然と微笑んで何もいわなかった。
玉座は二つあった。
跪く男達の真っ正面にある、国の主――つまり大公たるシーラが座るべき豪華な作りの玉座。
もうひとつはその玉座の斜め前にあり、向きも斜めに向いていて、作りがやや質素というか、素人の俺の目でも分かる位ワンランク落ちるように作られた玉座。
『ああ』
俺はハッとした。
依り代の中じゃなくて人の姿だったら手をポンと叩いているであろうくらいハッとした。
大公夫人とか――この国にはいないけど皇帝に対する皇后とか。
そういう立場の人間の玉座なんだろう。
そう思うとその作りは納得できた――のだが。
またまた俺は驚かされた。
なんとシーラは俺――魔剣リアムを大公が座ると思っていた玉座に丁重におき、自分はもうひとつのサブ的な玉座にすわった。
跪いているが、顔をあげてこっちを見ている男達はシーラの振る舞いにざわついた。
「しずまりなさい」
シーラが物静かに――本当に物静かにそういうと、男達は身じろぎして、体を強ばらせて黙ってしまった。
「魔王様の前ですわ」
続けてそう話すシーラ。
俺は「ああなるほど」と納得した。
これもシーラの演出の一環かと納得した。
あくまでシーラは俺、つまり「魔王リアム」に付き従う存在だと主張している。
そしてその魔王リアムから「魔剣リアム」を授かっている。
いわば魔剣リアムは魔王の名代。
だから魔剣を主座にして、自分はその下に座った。
なるほど徹底している。シーラのこういう所、ブレない所はやはり見習わないとなとおもった。
そのシーラの演出に跪く男達が目に見えて飲まれていた。
玉座に座った白い手をすぅと出し、手招きの仕草をした。
すると部屋の隅にひかえていたシーラの部下が小走りでやってきて、シーラに何か紙を手渡した。
シーラは悠然としたままその紙に目を通す。
「ワイエロ、レオルーバ、レオラーダ、ヴガ――いずれも音に聞こえた土地の有力者たちですわね」
「きょ、恐縮です」
シーラの言葉に、男達は跪いたまま深々と頭を下げた。
「それで、本日はどんなご用ですの?」
シーラがいうと、男達は顔を上げた。
顔をあげて、全員がちらりと俺の方をみた。
距離が離れていてもはっきりと分かる位、俺に向けられたのは恐怖の眼差しだった。
「お、おい」
「わかってる」
全員が恐れながら俺を見つめていると、男の一人が他の者達に背中を押されるような形で口を開く。
「我ら一同、ま――大公殿下に恭順を示すため参上いたしました」
「あら?」
男達が俺を見ている間に、肘掛けに頬杖を突いたシーラが微かに目を見開いた。
驚いたような表情をしたが、明らかにちょっとしたからかいのニュアンスが入っている、わざとらしい驚き方だった。
「そんな事のためにわざわざ来たんですの?」
わざとらしく驚いた後、これまたわざとらしく口元を押さえてクスクスと笑うシーラ。
「皆様は爵位こそもらってはいませんが、いずれも大公領内の実力者ではありませんか。今まではかなわず仕舞いでしたが、いずれはお会いするつもりでしてよ――」
シーラはそういい、すん、と無表情になった。
「――こちらから出向かせていただいて、ね」
「「「――っ!!」」」
跪く男達がいっせいにのけぞった。
シーラの言葉に全員が顔を強ばらせて、半数が青ざめ、半数が脂汗をだらだらとたらしていた。
話が何となく見えてきた。
権力者の中には、シーラのいう「爵位を持たない」つまり貴族じゃないものもいる。
村長とか町長とかもそうだし、複数の街に店を構えている大商人とかもそうだ。
そういう人間の中には貴族よりも実際に権力を持つ人間もいるというのは――まあ、村に住んでいたら何となく分かる事だ。
そういう者達は権力をもつが、貴族ほどの地位はない。
だから大抵の場合、新しい貴族ができたら権力者達は呼ばれていってそこで色々と力関係を確認したり忠誠を誓ったりしなかったりするもんだ。
今の話からすると、そういう人達はシーラが大公になっても呼び出しに応じなかったんだろうな。
それが急に来た、慌てて、怯えながら。
『……ああ、恐怖か』
なるほどとハッとした。
直前に全員が俺を見る視線を思い出す。
魔剣――いや魔王の恐怖。
シーラは先の戦いで敵兵に植え付けて回ったけど、それが噂として広がったって訳か。
そう俺が理解し、つぶやくと。
シーラは玉座にある俺を見て、俺にだけ聞こえる小声で。
「ええ、あなたの力のおかげですわ」
といったのだった。