316.三つから二つへ
夜、俺の部屋の中。
やってきたスカーレットが部屋に入ってくるなり深々と頭をさげた。
「申し訳ありません、主」
「一体どうしたんだ?」
「おそらくですが……追い詰めすぎた結果かと」
「追い詰めすぎた?」
俺は首をかしげ、この一件の顛末を一度頭の中に広げた。
「トリスタンをいじめるくらい追い込むって話だったっけ」
「はい……」
『うむ、我との合意でそうなった』
「それが行きすぎたって事か?」
「ご説明いたします」
「ああ」
俺が頷くと、スカーレットは深呼吸して、腹をくくった表情で語り出した。
「パルタ大公家、トリスタンへの追い込みは効果的でした。このままでは数年もしないうちに致命的な結果になるのは火を見るよりも明らかな状況――なのですが」
「あ?」
「それは同時に、トリスタンの下についている伯爵や男爵達にも同じようにみえたようです。このままでトリスタンのしわ寄せが我々にまできてしまう、と思ったのでしょう」
「……ふむ」
『賠償金を揃えるために上納金をもっとよこせ、となるのだろう』
「ああ」
なるほど、と俺はまた頷いた。
こういう会話をしている時、俺が常にラードーンから解説を受けているのはスカーレットも知っている。
だからそれっぽい「間」を常にあけてくれるし、俺がラードーンにする相づちにもいちいち気にしたりしない。
そのままスカーレットは続けた。
「賠償の責任はあくまでパルタ公のもので、下についている貴族達にはありません」
「逃げ出せば俺には関係ない、ってことか」
「ご明察でございます。そしてここからが問題です」
「ふむ?」
「伯爵以下の貴族が完全に独立することはほとんどありません。出来なくはありませんが、伯爵以下ですとどこか上位の貴族の傘下にはいって、その庇護を受けるのが一般的です」
「どこか上位って?」
「その流れを察したキスタドールとジャミールが、パルタから離反した者達を取り込んでいます」
「なるほど……このままだと、どうなるんだ?」
「おそらくですがパルタ公国が消滅します。パルタ大公の位はいわば借金まみれですから、主のご存命中はだれも手をつけず空位となるでしょう。そしてパルタの領土はキスタドールとジャミールに吸収されるでしょう」
「はあ……なんかややっこしい話だな」
『そうでもないさ』
ラードーンはそういった。
俺はどういう事だと意識を向けると、それを察したスカーレットがまだ黙ってくれた。
そしてラードーンが語り出す。
『借金を背負った父親と絶縁して、息子達が全員他の家の養子にはいるのと同じ話だ』
「あー……わかりやすい……」
子供なら親の借金を返す義務がある! って借金とりに詰められることもあるだろうけど、他の家に養子にでちゃうとさすがにそれはほとんどやられない。
さすがラードーン、一発でわかりやすく例えてくれる助かった。
「極めて裏技に近いですが、とがめられる理屈はほとんどございません」
「そうだろうな」
「ですので慌てて主の指示を仰ぎに参りました」
「俺の?」
「はい」
スカーレットははっきりと頷いた。
表情ががらっと変わった。
さっきまではどこか申し訳なさを感じて、それが一気に反転して、まるで親の仇の話をする時のような顔つきに変わった。
「このままではトリスタンの破滅が一瞬の出来事になってしまうので、本来の目的でもあります長く苦しんでもらうから離れてしまいます」
「ああ……」
俺はなるほどと頷いた。
つまりはこれが今日の本題だという事だ。
このまま放っておいても「トリスタンの破滅」という事は動かない。
でもそれだと、たぶんスカーレット基準でぬるく感じるんだろう。
俺の事を俺以上に怒っているスカーレットはトリスタンをとことん苦しめたいと思っている。
だからこの流れは歓迎していない。
話が全て分かった。
俺はどうするかを考えた――が。
「うーん」
「主?」
「どうでもいい、かな」
「どうでもいい、ですか?」
「ああ、びっくりする位どうでもいい」
俺も一時期――というかアメリアの「あれ」の瞬間は目の前が真っ赤になるくらい怒り心頭だったけど、今となってはもうどうでもいいと思ってしまう。
アメリアのあの歌を、あの瞬間に立ち合ったことでトリスタンのことなんてどうでもよく思えてしまった。
「さようでございますか」
『ふふっ、どこまでもお前らしい』
「俺らしい?」
『もとよりそうなるのではないかと思っていた。お前の怒りからネチっこさをいっさい感じなかったからな』
「そうなのか?」
怒りのネチっこさっていわれてもピンとこなかったが、ラードーンがそう言うのならそうなんだろう。
『魔法で新しい扉を開けばなおのことあの怒りなんてどこへやらだろうさ』
「それは……そうだな」
こっちは間違いなくそうだろうなと自分でも思う。
トリスタンへの復讐と、新しい魔法のなにか。
両方目の前にあったら間違いなく魔法の方を選ぶ。
俺はスカーレットをみた。
「もうトリスタンの事はいいんじゃないのか?」
「かしこまりました。主がそうおっしゃるのなら」
『ふふっ、我らの動きが分裂、そして消滅に繋がったのだ。このあたりで手じまいでよかろう』
前回はトリスタンを苛めると息込んでいたスカーレットとラードーンは納得して引き下がった。
二人の分析はたぶん当る。だからトリスタン、パルタ公国は近いうち分裂して消滅するだろう。
それで一件落着――パルタ公国との長いいざこざがおわった。
☆
が、だからといって人間の国とのいざこざが終わったわけではない。
数日後、キスタドールからシーラが久々に訪ねてきた。