296.歌と詠唱
舞台の裏、控え室の中。
まだまだ会場の方から魔物達の大歓声が聞こえてくる中、俺はアメリアがいる控え室にやってきた。
「本当にありがとうございました!」
部屋に入るなり、開口一番で大声でお礼を言って、腰が直角に曲がるほどの勢いで頭を下げた。
「陛下……」
それを受けて、座って息を整えていたアメリアは静々とたちあがって、俺とは正反対の、嫋やかな所作で頭を下げた。
「私こそ、こんな場を与えて頂いてありがとうございます。自分の歌が多くのものに、しかも魔物の皆様にまで届くだなんて思いもよらなかったことです」
「俺はずっとこの光景が見えていました」
「はい……陛下はずっとそうおっしゃってくださっていました。本当に……」
アメリアの言葉は尻すぼみのように、空気に溶けて聞こえなかった。
ありがとう、といったようにも聞こえるが、それならそれでなんで今更聞こえないような言い方をするんだろうと不思議がった。
だけど、何を言ったにせよ。
アメリアの表情が穏やかで、嬉しさをかみしめているように見えるから、その表情をしているという事実だけで何もかもが充分だった。
「今日はこの後ゆっくり休んでください。たぶんですけど、アメリアさんの歌をきいたエルフのメイド達が大喜びでお世話しにくると思いますから、なにか必要ならなんでも言いつけてあげてください」
「ありがとうございます……陛下はこの後どうなさるのですか?」
「俺は――」
『いつも通りに振る舞えばよかろうに。魔法の事だ、やせ我慢しないで協力してもらえ』
「アメリアさんはつかれてるから、今すぐにじゃなくても」
ラードーンが口を挟んできたので、やんわりと言い返した。
いつもどおりじゃない、というのはラードーンの言うとおりかもしれなかったが、相手が相手だからすぐに頼みづらいのが先にきた。
そして「いつもどおりじゃない」事がもうひとつあった。
「今のは……神竜様? とお話ししているのですか?」
「え? あ、うん」
俺はちょっと戸惑いつつも、頷いて答えた。
今のように、誰かと話している時にラードーンが割って入ってくることがたまにある。
この街の住人や、ブルーノのような事情をよく知っているものは、俺がラードーンと話している事をよく知っているから、こういう時は遠慮してか会話にはいってこないことがおおい。
この街の住人じゃないアメリアがセオリーではない、こういう話の入り方をしてきたからちょっとだけ戸惑った。
「神竜様は私になにかしてほしい事がおありなのでしょうか?」
「いやラードーンはというか、俺がというか……」
さっきのアメリアとちがった感情で、今度は俺の言葉が尻すぼみになって、もごもごしてしまうハメになった。
が、「俺が」というところはアメリアの耳にしっかりと届いたようで。
「陛下が私に何かお望みですか? でしたらなんでもおっしゃってください」
「でも」
「陛下のお力になりたいのです」
『ほれ、本人もそういっている。それ以上の一方的な気遣いはやぼ、いや押しつけの自己満足だぞ』
「むっ……」
ラードーンの言うとおりかもしれない。
そう思った俺は観念して、アメリアと向き直った。
「実は、さっきアメリアさんの歌を聴いている最中、俺の魔力が上がったんです」
「私の歌で魔力が?」
『それでは一般人につたわらん。前詠唱の仕組みから説明してやれ』
なるほど、と俺は思った。
確かにアメリアさんは魔法に詳しくないから、ラードーンの言うとおり前詠唱の事を説明しないと意味不明だなと納得した。
「実は魔法にはそのまま使うのと、前詠唱に設定したキーワードを唱えてから使うといった二つのやり方があります。前詠唱した方が魔力を高められて強い魔法を使えるんです。その……ああっ! ジャンプする時に助走をつけたりするような感じです」
「そうなのですね。私たちが歌う前に喉をならすのと同じような感じなのでしょうか」
「多分そう……かな?」
アメリアさんのいう事は分かる、理屈としてはそうかもしれない――が歌のことは詳しくないから返事は曖昧なものになった。
「それで、アメリアさんの歌を聴いていると、俺の魔力がその前詠唱をやったのと同じような高まり方をしたんだとラードーンが指摘してくれたんだ」
「まあ……」
「だからその……アメリアさんの歌を聴きながら本当に前詠唱するのと同じくらいの魔法を使えるのか、それをアメリアさんの疲れが取れた後に頼もうって思ってたけど、ラードーンに『魔法バカで魔法のことならすぐにやれ』ってしかられたんだ」
実際にそうはいってないけど、そういうことなんだろうと俺は自分なりの言葉を継ぎ足して、アメリアに伝えた。
それを黙って最後まで聞いていたアメリアは真剣な顔のまま俺を見つめて。
「光栄です、陛下」
「へ?」
「陛下の魔法、そのご協力が出来るのなら是非させてください」
「いいんですか? その、つかれているんじゃ」
「陛下のために歌える。そう思えば一切の疲れは感じません」
「そうなんですか?」
『精神が肉体を凌駕する。人間によく見られる現象だな』
なるほど、と思った。
ラードーンがそう言うのならそうなんだろうし、実際に見たことはないけどそういう話はよく聞く。
そういうことなら――。
「分かりました――お願いします」
アメリアに協力を仰ぐ、という事で、俺はまた深々と頭を下げた。
「はい!」
頭上からハキハキとしたアメリアの声が聞こえてくる。
確かに疲れを感じさせない声だった。
☆
魔物達が全員退出した後の、会場の中。
まるで祭りの後夜祭のように、アメリアの歌を聴いた街の住人達は街にもどって、宴を開こうとしているようだ。
その分、さっきまで賑やかだった会場が静まりかえっている。
それでも、熱気が冷めないまま空間に残っていて、それを肌で感じられて否応なく精神が高揚していく。
そんな会場の中、舞台の上。
俺はアメリアと二人でたっていた。
「まずは――【マジックミサイル】41連!」
俺は無詠唱で、会場の中央にむかって【マジックミサイル】をはなった。
魔力の矢が飛んでいって、一点に集束して爆音とともに弾けた。
撃った後、アメリアに振り向く。
「こんな感じで、同時に放てる魔法の数がそのまま魔力の高まりとリンクしてます。今の俺なら無詠唱で41、前詠唱で97――いえ、100を少し超えるくらいです」
「はい。では、私の歌で100くらいまで高められる、をためされるのですね」
「そういうことです」
「分かりました、では歌わせていただきます」
「お願いします」
アメリアは88弦琴の前に移動した。
さっきの演奏会の時と同じように、弦にそっと触れて、ポロンと奏でだした。
しっとりとした前奏の後、伸びやかな歌声が立ち上がる。
音と声が一つになって空間を満たしていく。
音が最高に鳴るように設計し魔法効果も加えたこの空間で、最高の歌が聴こえてくる。
やはりアメリアの歌はすごい、と俺は感動していた。
さっきほどは没頭しなかった。
今回はアメリアの協力を得ての実験、という意識が頭の中にあったから。
だから俺は自分の中の魔力を確認した。
確かにラードーンのいうとおりで、それは前詠唱ありの状態とほぼ同じだった。
さっきの演奏中は恐れ多くてできなかったけど、今は遠慮なく出来る。
「【マジックミサイル】――97連!」
叫んで、右手を突き出す。
右手の先から叫んだ通りの数の【マジックミサイル】が飛び出して、さっきと同じ場所で集束して、さっきの倍以上の爆発を起こした。
「おおっ!」
俺は感動した。
アメリアの歌声で、無詠唱なのに前詠唱と同等の魔力が出せた。
そして、こうなると。
当然のようにおもう、もしもこの状態で詠唱すれば?
「アメリアエミリアクラウディア――」
アメリアの歌を聴きながらの、前詠唱。
魔力が更に高まっていく。
気分がとてつもなく高揚した。
今までの限界をあっさりと、足元の小石をひょいと跨ぐ程度の気軽さで越えていったのが分かったからだ。
101……103……109――。
高まった魔力量をじっくり舌の上で転がすように確認しつつ、今の限界を確認する。
そして――。
「【マジックミサイル】199連!」
今までで一番多い数の魔法の矢が、かつてないほどの密集した勢いで放たれたのだった。