294.カリスマ
いよいよ迎えた演奏会の当日。
俺は朝から空の上を飛び回っていた。
空の上、国境のレッドラインに沿って、何周も何周もグルグル飛んでいた。
『それをいつまでつづけるのだ?』
朝から飛び始めて、太陽が真上にくる昼になったころにラードーンが聞いてきた。
「みんなが会場に入りきるまでのつもりだ」
目標というかゴールははっきりと決まっているから、俺は飛び続けたまま即答した。
『魔物が全員ということか?』
「ああ。魔物達だけじゃなくて、スカーレット達人間とか、あとデュポーンにピュトーンも。この国の『全員』だ」
『そしてお前が最後にはいるというわけか』
「ああ」
俺は大きく頷いた。
レッドラインのまわりにはしかけた魔法や罠が多くある。
多く存在するが、俺はどんな些細な異変も見逃さないぞという気概で国境を巡回していた。
「今はいわば最後の仕上げだ。ここまできて邪魔されることほど馬鹿らしい事はない。だから最後まで気は抜かない」
『ふふ』
「どうした?」
ラードーンが妙に楽しげな感情を飛ばしてきた。
いたずらっ子のような感情だ。
『いやなに、もしも時をさかのぼることができる、人生をやり直す事ができるのなら、一つやってみたい事ができたと思ってな』
「何を?」
『お前がここまで念入りに準備してきたそれを直前でぶち壊したらどうなるのかとおもってな』
「あー……」
なるほどそういうことか、と納得した。
その話を聞いて、ラードーンがわずかに見せたいたずら心――稚気みたいなものにも納得がいった。
俺は少し考えて、答えた。
「うーん、たぶん期待してるようなのにはならないと思う」
『ほう。そのこころは?』
「たぶんだけど、アメリアさんとはじめて会ったときに、トリスタンに強制されてのあれを期待してると思うんだけど」
『うむ』
ラードーンはあっさり認めた。
アメリアと出会った時、彼女はトリスタンかその部下に強制されて、俺に色仕掛けをしかけてきた。
女を使って、相手の懐に飛び込んで色仕掛けする――というやり方は理解できるが、それをよりにもよってアメリアに強要したことに俺はぶち切れた。
それをラードーンは「もしやり直せるのなら」とした前提で、一度演奏会をぶち壊したらどうなるのか、といってきたのだ。
「あれはアメリアさん本人にあり得ない事を強要したから。だけどこの演奏会はどっちかといえば俺がアメリアさんに頼み込んでやってもらうことだから、ぶち壊しても被害はおもに『俺』なんだよ」
『ふむ。言われてみればそうだったな』
「だからたぶん、まあ多少は怒るけどそこまでじゃないと思う」
『納得した』
ラードーンは言葉通り、すんなりと納得した。
『やはり我は人間の機微には疎い、いや』
ラードーンはそれすらも愉快、という感じで続けた。
『そもそもが真逆に間違えてしまうようだ』
「そうなのかな」
『ここしばらくそれがつづいているから、そうなのだろう』
「なるほど」
俺は小さく頷いた。
このあたり、ラードーンの心の機微の方が面白いとちょっと思ってしまった。
人間の事が分からない、そもそも真逆に行ってしまう。
でもそれさえも楽しいと思う――っていうラードーンがちょっと面白かった。
俺はその間も、国の上空をぐるぐる、ぐるぐると回っていた。
しばらくして、【リアムネット】から連絡が入った。
俺はとまって、滞空したまま【リアムネット】を開く。
連絡はレイナからのものだった。
『ご報告申し上げます。全国民会場に入場完了致しました』
という、レイナの落ち着いた声が聞こえてきた。
「全部はいったか」
『うむ』
「俺も行くか」
『このまま行くのか? それとも最後にもう一手なにかをしかけていくか?』
「ああ……」
なるほど、と少し考えた。
最後にもうひとつ何かしかけていく、というのは確かにありかもしれない。
もう既にいろいろしかけてきたからこれ以上はいらないといえばいらないし、念の為にもうひとつ何かあれば安心といえばその通りだ。
俺は少し考えて、ラードーンに聞いた。
「ラードーンはどう思う?」
『ふむ? 人間がどう思うのかは今となってはわからん――が、ここまではずすことが多かったのでな、逆張りで何もしなくてもいい、と答えておこうか』
「わかった、じゃあ何もしない」
『よいのか?』
「わからないから逆張りだとしても、俺の判断よりは確かなはずだ」
『ふふ、それは外れてしまわないか緊張ものだな』
ラードーンは愉しげに笑った。
俺も笑いながら、街の方に向かって飛んでいった。
直ぐに街に戻ってきて、その反対側、街外れにある会場にやってきた。
会場の外からも、ものすごい熱気が渦巻いているのが分かる。
俺は着地しないで、入り口をくぐるようにして「飛んで」中に入った。
入り口から通路を通って、開けた空間に出る。
そして――これは特権だが、舞台の真っ正面にある一番いい席の前に着地した。
舞台の上にはアメリアの88弦琴が鎮座していて、あとは本人が登場してくるのを待つばかりとなった。
俺もさっさと座って、開始させよう――
「「「うおおおおお!!」」」
――とおもった瞬間、会場から歓呼が沸き上がった。
まだアメリアが登場していないのになぜ? と思ったが、直ぐに違うと分かった。
9割9分魔物達で埋め尽くされた会場の中、その歓呼は俺に向けられたモノだった。
それはそれで悪い気はしないが、このままではアメリアが出てこれない。
俺はすっ、と手をあげた。
歓呼をやめてくれ、という意味をこめたジェスチャーだ。
これがダメなら――とは、無駄な心配だった。
俺が手をすっとあげた瞬間、歓呼がピタッと止まった。
本当にピタッと止まって、1万を越える魔物に人間がいるのにもかかわらず、会場内は耳が痛くなるほどシーンと静まりかえった。
『ふふっ』
何故かラードーンが笑った。
どういう事だ? と聞く間もなく。
舞台の袖から、アメリアがしずしずとその姿を現した。