292.商人の企み
「それはどういう事だ?」
「恐れながら、地に這うものの視点から申し上げます」
「ふむ」
ブルーノは二重の意味でのへりくだる言葉を口にしたが、ラードーンは息をするようにそれを受け止めた。
「天上人とは直接仰ぎ見てはならないものと私は思います」
「……間に何かを挟めという事か?」
ラードーンは少し考えて、一つの答えを出した。
知識にはなかったが、方向性を示せばすぐに理解することが出来る。
このあたり、魔法の一点突破のリアムと違って、全てにおいて超越している神竜ラードーンならではとブルーノは密かに思った。
思ったが、それをおくびにも出さずに、下手なよいしょもせずにつづけた。
「はい、直接仰ぎ見ることが出来てしまってはありがたみが薄れますし、上限もございます。それよりも直接見る事はかなわず、あの大物さえもが仰ぎ見るほどの存在、という形の方がより『格』が高くなると感じるのが人間です」
「なるほど。その発想はなかったが、言われてみれば人間どもはいつもその形を作っていたな」
「恐れ入ります」
「我々は神秘性を口では嫌いますが、その一方で密かにありがたがることが往々にしてございます」
「だからあやつと凡人の間に『大物』を挟む、と?」
「ご明察にございます」
ブルーノは小さく頭を下げた。
気分一つで自分の命を簡単に奪える存在であるラードーン。
そんなラードーンが相手だが、ブルーノは必要以上に慇懃にはならなかった。
尽くす礼に度合いがあり、それを仮に数値化した場合、リアムには100の礼をつくし、ラードーンはそれにやや劣る95といったところだ。
これにはブルーノの計算がある。
あくまで尽くす相手はリアムであり、ラードーンではない。
ラードーンはリアムも一目置いている相手だから、その付録として敬意を示している――という形だ。
ただ地位を振りかざすだけの愚か者だと、「敬意が目減りしている」という一点だけで沸騰することもあるが、ラードーンならばリアム本位のこのやり方を理解するであろうとブルーノは推測している。
そもそもが敬意の度合いなど気にもしない可能性が高いとも思っている。
それでも、「あくまで従っているのはリアムのみ」という演出をし、ラードーン相手でもそれがブレることはない、という事で間接的に自分の格を上げるという戦略だ。
そういう計算もあって、ブルーノは腕力や魔力といった意味の力は皆無にちかい身でありながら、曲がりなりにも今ラードーンと同等に渡り合っていた。
「それがあの娘か?」
「おっしゃる通りでございます。歌人というのは上手く包装を施せば凡人に最も理解されやすい類の大物となります」
「ふむ」
「幸運にもアメリア様はリアム様に惹かれているご様子。ただ利用するだけでもいいですし、私の真意を知ったとして、私の事を嫌悪しつつもやることには協力してくださるでしょう」
「それで協力的なのか。我はてっきり、お前もあの娘の才能に目をかけて力を貸しているのだと思っていたぞ」
ラードーンはそういって笑った。
ブルーノは逆にゆっくりと首を振った。
「私の本質は商人です。商人は芸術を能力で判断致しません。商品価値で判断します」
「ほう?」
「画家が最もわかりやすい形となります。多くの画家は死後ようやく商品価値が上がり、商人が群がって行きます。能力だけで判断するのであれば画家はすべからく生前に売れているはずでございます」
「あくまで金か」
「はい。順序が前後いたしますが、アメリア様は『魔王リアムさえも虜にするほどの歌姫』という商品価値がございます」
「ふふっ、確かに前後しているな。その歌姫が仰ぎ見る魔王という図式に当てはめてしまえば矛盾にもほどがある」
「それでも成り立つのでございます」
「ふむ、人間とは面白いものだな」
ラードーンはそういい、知識を得た人間特有の満足した表情を浮かべた。
神竜といえど、人の姿をしている時は同じような表情をするのだなとブルーノは密かに感心した。
「あの娘に芽生えかけた恋心も利用するのか?」
「それは致しません」
ブルーノは即答した。
「ほう? 商人なのにか?」
ラードーンは意外そうな顔をした。
今まで聞いた話であれば、ブルーノは女一人の恋心も容赦なく利用するような商人だと判断していたために意外だと感じたのだ。
「陛下は偉大なお方です。自然体で振る舞っていても女性の心を虜にする魅力をお持ちです」
「ほう」
「アメリア様の場合、部外者が干渉せず、ご本人が自分で育てた恋心だと感じさせるのがもっとも効果的だと判断いたしました」
「なるほど、そういう計算をするか。よほどあやつのことを信じ切っているのだな」
「陛下は偉大な方でございます」
ブルーノは迷うことなく、同じ言葉を繰り返した。
それを聞いたラードーンはふっ、と嬉しそうな顔をした。
「話は分かった、邪魔をしたな」
聞きたい事は聞けた、と。ラードーンはそういって、すぅ、と消えた。
おそらくはリアムの所に戻ったのだなとブルーノは思った。
「想像以上に陛下の事を気に入っている、か。……まったく、奇跡のようなご縁だ」
ブルーノはそうつぶやいてから、しばらくドアをじっと見つめて、その後何事もなかったかのように歩き出した。