266.怠ける熊
「という訳なんですけど」
翌朝、アメリアの所を訪ねた俺は、彼女の88弦琴の事について聞いてみた。
「88弦琴って、道具としてアメリアさんにとってどういう物でしょうか。これがベストなのですか? それとも道具としてもっといいものがあるとおもっているんですか?」
「リアム様のお気遣い、痛み入ります」
俺の言葉を最後まで聞いたアメリアは、楚々とした様子でお礼を言ってきた。
それで俺がちょっと焦ったが、アメリアは続けた。
「今の物は、私が少しずつ調整、改良をしてきたものです。その場その場で手を加えてきた、といいますか」
「あっ……」
そっちか、と思った。
ラードーンも俺の中で『ふむ』と声を漏らした。
そっちのパターンだった。
使う人間が長年にわたって、少しずつ手を加えて改良していったもの。
そういう場合、新しければいい、いい物だったらいい、という訳ではない。
それくらいの事は俺にでも知識としては分かる。
だから俺はこんな話を持ち込んできたことを謝ろうとした。
「すみません、変な事を――」
「ですが」
「え?」
下げかけた頭がピタッと止まって、おそるおそる、といった感じで上目遣いでアメリアをみた。
アメリアはちょっとだけ困ったような顔で先を続けた。
「やはり素人の域を出ません。88弦琴では試せたことはありませんけれど、7弦琴を用いていた頃は、自分が補修した物よりも職人の方の作の方がいい音色がでていました」
「……なるほど」
『ふむ、またすこし早とちりだったわけだな』
ラードーンがいい、俺は密かに同意した。
アメリアの言葉を最後まで聞かずにまた先走ってしまいそうになった事をちょっと反省した。
反省して、これ以上間違いがないように、ここまでの先走りを踏まえた上で、率直に聞く事にした。
「アメリアさん。シンプルに『いい』88弦琴がいいですか? 遠慮しないで本当の事を教えて下さい」
「……」
アメリアはしばらくの間、じっと俺の事を見つめた。
俺は見つめ返した。
これ以上の間違いを起こさないようにするには、アメリア本人の口から、忖度のない言葉をもらうのが一番だ。
だから急かさずに、じっとアメリアの言葉をまった。
アメリアはそんな俺の思いを理解したのかどうなのか。
「はい」
と頷いた。
「楽器として、質のよいものがあれば、リアム様によりよい歌と演奏をお聴かせできるとおもいます」
「わかりました! では、お任せ下さい!」
☆
「そういうことでしたら」
宮殿の中、俺の私室。
俺はブルーノとテーブルを挟んで向かい合って座り、テーブルの上にメイド達が注ぎ足してくれた深皿のティーカップセットが置かれている。
丁度ブルーノが来ていたので、俺はアメリアとのあれこれを全て話した上で、ブルーノに聞いてみた。
「最高の琴をアメリアさんのために作ろうと思う」
「そうでございましたか。88弦琴……ということですので、既存品は存在せず作るしかない、ということになりますか」
相変わらず兄なのに完全な敬語で話してくるブルーノ。
そう話した後、ブルーノはすこし考える仕草をした。
「どれが最重要なのかは今この場で判断しかねますが、間違いなく必須にはいるであろうポイントはわかります」
「それはなんだ?」
「弦……でございます」
「弦」
「質の高い弦――もちろん何をもって質が高いかという話もございますが、琴に最も適した弦、ということで間違いないでしょう」
「ふむ。その質の高い弦の心あたりは?」
「はい」
ブルーノははっきりと頷いた。
「一般的な琴であれば、シルクベアという動物から採取する糸で作った弦が最高級となります」
「シルクベア……熊ってことか? じゃあその毛でつくるのか?」
聞くが、ブルーノは静かに首を横に振った。
「いいえ、繭の方でございます」
「まゆ?」
俺はいぶかしんでききかえし、自分の眉毛を指さした。
ブルーノはゆっくりと首をふった。
「いいえ、繭――カイコはご存じでしょうか、生糸の」
「え? あの虫の?」
俺はびっくりした、ブルーノはまた頷いた。
「はい、あれです。シルクベアは非常に珍しい習性の熊で、一年の9割――いえ、9割5分は寝て過ごします」
「冬眠どころのさわぎじゃないな」
「おっしゃる通りでございます。そのためついた別名が怠け熊、もしくは食っちゃ寝熊――は、本筋ではありませんのでお忘れ下さい。そのシルクベアは、寝ている間はカイコと同じように、はいた糸で自分のまわりに繭を作って、その中で寝ております」
「へえ、そういうのがあるのか」
俺はびっくりした、感心もした。
まったく知らない獣の知識がちょっと面白かった。
「その繭の糸が琴の弦には最高の素材です」
「じゃあそいつを捕まえてくればいいのか?」
「はい、しかし問題もございます」
「言ってみて」
「シルクベアはカイコのような繭のなかで眠りますが、そこはやはり熊。外部からの危険を感じたらその豪腕で繭を破って逃げてしまいます」
「破るのか」
「はい。逃げるのはよいのですが、繭を破るのが問題です。当然、破られた繭は糸としての品質が――」
「まあ下がるよな」
俺はいい、ブルーノは頷いた。
「ですので、シルクベアを刺激せずに糸を回収する方法を考えなければなりません。ちなみ今現在、完全に成功する方法はなく――」
「それは問題ない」
「え?」
驚くブルーノ。
「なにかいい方法がおありなのでしょうか」
「ああ」
俺は頷き、まわりを見回した。
ちょうどテーブルの上にティーカップセットがあったので、それを使うことにした。
俺は【アイテムボックス】をつかって、ティーカップに注がれた紅茶、ちょっとの茶請け。
それを異空間に吸い込んだ。
そして俺の横で、異空間からそれを取り出した。
「繭の中に寝ている熊をこれでよそにどかせばいい」
「なるほど! さすが陛下! それなら完璧です!」
興奮気味のブルーノ。
そのお墨付きを得た俺は。
「じゃあそれの現物がある所を調べてくれるかな」
「お任せを!」
と、まずは弦を手に入れるべく、ブルーノに調査を頼むことにしたのだった。