265.反省
「リアム様?」
「……はっ!」
どれくらい呆けていたんだろうか。
それさえも分からなくなるくらい、気がついたらアメリアの演奏はもう終わっていて、彼女はおそるおそるといった感じの表情で俺の顔をのぞきこんでいた。
目の前に「急に現われた」アメリアの顔に、俺は弾かれるようにのけぞって、後ずさった。
「す、すみません!」
「いえ、私の方……こそ……?」
アメリアはそういい、複雑そうな表情をした。
「何か至らぬ点がございましたでしょうか」
「――ッッッ!!」
俺はブンブンブン――と、ちぎれるかってくらいの勢いで首を横にふった。
余りの勢いにアメリアは一瞬戸惑ったが、そうじゃないと言うことははっきりと伝わったみたいで、くっつきそうになっていた眉間が少しだけ緩んだ。
「では……どうなさったのでしょう」
「聞き惚れていました! です!」
『――ぷっ』
俺の中でラードーンがこらえきれずに噴きだした。
彼女がこうして噴き出すのはかなり珍しいこと。今までほとんどなかったことだ。
それで一気に恥ずかしくなって、耳の付け根までカーッと熱くなった。
よく見ればアメリアも困ったような顔をしている。
さっきまでとはまるで違う感情。
俺の反応に、アメリアも困っているのがありありと見て取れた。
☆
「……ふぅ」
応接間の中で俺一人になった。
さすがに恥ずかしくなって、ギガース達を呼んで88弦琴をアメリアに泊まらせている迎賓館に運ばせた。
大事な物だからという理由で、運搬設置に本人も指示があった方がいいということで、アメリアをいったん帰らせた。
そうして一人になって、ホッとして、たっぷりと抱え込んでしまった羞恥を必死に胸の中で消化しようとした。
『ふふっ、あれではただのファンだな』
「ただのファンだよ、最初から」
俺は困った顔のまま、ラードーンに言い返した。
そう、ただのファン。
元からそうで、だから「あれでは」もなにもない。
『そうか。ならあの娘の境遇がすこしかわいそうになってくる』
「え? アメリアさんが? なんで?」
『渦中の魔王が自分の一ファンだった、大公が親を人質にとってでもなんとかしたい悪の親玉がただのファンだった。その心境はいかばかりか――だ』
「うっ……」
そういう風に言われると確かにそうだ、と思った。
「またアメリアさんに迷惑かけてしまったか」
『まあ気にするほどのことでもあるまい。複雑な心境になるだけで、悪い気はせんだろ』
「そ、そうか」
そうだといいな、と思った。
「しかし……失敗だな。大失敗だ」
『あの娘の歌う姿を初めて見る――だったか』
「ああ」
俺は頷く。
今までは塀の向こうから盗み聞きだった――とは、いろんな意味であえて言うまでもないと思った。
『それで目を奪われたというわけか』
「ああ。……それはこの際もういいんだ」
『ふむ?』
「アメリアさんの本当の演奏を知らずに、得意げになって演奏の………………助け、に」
その言葉が恥ずかしくて出てこなくて、ここしばらく記憶にないくらい口籠もってしまった。
『ふふっ、我もお前との付き合いがそれなりに長くなってきたが、だからこそ面白い』
「へ?」
『つまる所あの娘が初めてお前の魔法を失敗に追い込んだ人間、ということになるのだろう?』
「そうだな。……はずかしいよ」
『冗談だ、ばか者が』
「へ?」
冗談? と、俺は首をかしげた。
目の前に誰もいなくて、ラードーンは俺の中にいる。
俺はまるでそこにラードーンの幻影が見えているような感じで、首をかしげて聞き返すような仕草をした。
『そもそもその魔法の理論自体に問題はなかったのだろう』
「魔法の理論自体……?」
一瞬なんの事をいわれてるのかと、理解しきれずにどう答えていいのかと頭がとまってしまう。
『「簡単に演奏する」という意味では今でも間違ってはいまい?』
「……ああ、それはそうだ」
そうだ、と小さく頷いた。
ラードーンの言うとおり、簡単に演奏する、というのは失敗ではない。
失敗なのはアメリアの演奏と歌にいらないものをいれかけたという俺の考えの甘さってだけで、仮に別の人間が88弦琴を簡単に演奏しようとしたらこの魔法で間違っていない。
『つまりお前の失敗は魔法そのものではない、前提条件となる情報が足りていなかったというだけのはなしだ』
「……つまり?」
どういう事だ? と聞き返す。
『なんだ、察しがわるいな』
「…………?」
『あれをみて、簡単に演奏する方法はありがた迷惑だと知った』
「むしろ冒涜だろ、あれ」
『うむ。しかし今は知った。そもそもお前はあの娘の最高の歌を魔物達にも聴かせたいがためにあれこれやっていたのだろう?』
「そうか……あれのフォローになるような事をすればいいのか」
『うむ』
「しかし、ああまで完璧な演奏と歌に俺が何かする余地なんて」
『直接魔法ではないのだから気づかなくとも無理はない』
「え?」
『我の感想を言ってやろうか?』
「あ、ああ」
『たしかに歌も演奏も群を抜いていた。我でも分かる位の出来映えだった。かなり傑出した奏者にして歌い手だ』
「ああ!」
俺は大きく頷いた。
ラードーンから紡がれる、アメリアを認める言葉にはすごく興奮する。
『が、だ』
「え?」
『楽器の職人というわけではないようだな』
「……あ」
俺ははっとした。
ラードーンが俺の中で頷いた。
『独特な楽器を開発したのはいいが、職人というわけではない』
「88弦琴は道具としてはクオリティが低い……」
言葉にしてみて、自分でもそうかもしれないと思った。
ならば――。
「いや」
俺はすんでの所で思いとどまった。
『うむ? どうした。あれは道具の品質でいえば三流なのはまちがいないぞ』
「だとしても、アメリアさんがあえてそうしたかも知れない。それをアメリアさんに聴かないで突っ走るのは演奏魔法と同じことのくり返しだ」
『……うむ』
ラードーンは一呼吸ほどの間をあけて、感心した様に言う。
『よく気づいた、さすがだ。我もすこし反省しよう』