256.盗み聞き
翌朝、自分の部屋の中。
俺はデュポーンと二人っきりで向き合っていた。
「実験?」
デュポーンは不思議そうな顔で、ちょこんと小首を傾げて聞き返してきた。
「そう、新しい魔法を作った。その実験に付き合ってほしい」
「うん、いいよ」
「即答だけど、内容を聞かないでいいのか?」
「もっちろん! だってそれ、ダーリンがあたしに魔法をかけてくれるって事でしょ」
「まあ……」
「だったら断る理由はどこにもないじゃん」
デュポーンの上機嫌で、弾んだ声色。
語尾にハートマークがついているような、そんな感じの返事だった。
「そうか……いや、すごく助かる。先入観なしでどう感じるのかが分かると一番有難いから」
「うん! じゃあますます何も聞かない!」
「助かる――じゃあいくぞ」
「うん」
デュポーンはそういい、目を閉じた。
顔が俺に向かって上向きになって、小さく笑みを浮かべたままでいる。
『そうとうに色ぼけしているな、まるでキス顔ではないか』
ラードーンが俺の中から突っ込んできた。
言われてみれば確かに、キスを待っているような仕草にも見える。
しかしラードーンがそれを指摘したとデュポーンに知られると二人がまたバチバチやり始めるから、俺はあえて聞かなかったことにした。
その事を忘れて、目の前のデュポーンに集中して――魔法を唱える。
「【ノイズキャンセル】」
魔法の光がデュポーンを包む。
それは昨夜作ったばかりの、新しい魔法だった。
魔法をかけられたデュポーンはゆっくりと目をあけて、部屋の中を見回した。
「おー……」
「何か分かるか?」
「ダーリンの声がよく聞こえる!」
「いや、そうじゃなくて……」
俺は微苦笑した。
そんな効果の魔法じゃないんだが……。
「うそうそごめん。これ『声』以外の『音』、環境音を消す魔法だよね」
「ちゃんと消えてるのか?」
前説明なしでもそれに気づいたデュポーン。
説明をした場合以上に深く理解している事も含めて、俺は魔法の成功をほぼ確信してにわかに興奮しだした。
「うん! おかげでダーリンの声もよく聞こえるよ! 普段と違う聞こえ方だけどこっちのダーリンの声も素敵!」
デュポーンはそう言い、俺に抱きついてきた。
「普段とちょっと違う聞こえ方?」
「雑音がないからね」
「雑音がないから……」
どういうことなんだろう、と不思議がった。
俺が作った【ノイズキャンセル】という魔法はあくまで「音」を消す魔法で、「声」はそのままのはずだ。
目的がアメリアの歌声をみんなによく聞こえるようにするために作った魔法だから、「声の聞こえ方が違う」は致命的なミスだ。
だからそれがどういう事なのかデュポーンから聞きたかった。
「うーん、どう説明したらいいんだろ?」
『スープで考えればわかりやすい』
「スープ?」
「むっ、あいつが何か言ってるのね? ちょっとまって……スープ、スープ……分かった」
ラードーンに対抗しようとしているのか、デュポーンは指先でこめかみを左右から押さえる仕草で唸ってから、はっとして言ってきた。
「お酒ってあるじゃん?」
「お酒? スープじゃないのか?」
「お酒でいいの! お酒って醸造したばかりの濁り酒があるじゃん?」
「あ、うん」
勢いに押し切られて、デュポーンのいう酒で想像してみることにした。
「そういう濁り酒をこしたり、蒸留したりして、お酒本来の味になるいい酒になるじゃない」
「そういえばあるな」
「それと同じだよ。たぶんね、みんなが普段聞こえてるのは環境音ありの、雑味のある声で、ダーリンの魔法で雑音取っ払ったのが本来の声、雑味のない本来の物なんだよ」
「……なるほど!」
デュポーンの説明で俺ははっとした。
ということは――。
「俺が知っているのより、もっといい歌声が聞こえるってことか」
「ダーリンが何に使うのか知らないけどそうだと思う」
「そうか……よかった」
俺は安堵した。
確かに、理屈は通っている。
雑音を一切合切取っ払った、アメリアの歌声。
それは彼女本来の声、余計な物のはいってない声。
そういう風に気づかされたのは予想外で、俺は嬉しくなった。
「うーん、この魔法、ダーリンの声がよく聞こえるのはいいけど、余計なのも聞こえちゃうね」
「よけいなの?」
「雑音がなくなったから、隣の部屋とかちょっと聞こえるんだよね」
「あー……」
それもなるほどだと俺は思った。
声とか音とかはそういうものだ。
【ノイズキャンセル】というのは、要するに「静まりかえった」の究極系を作り出す魔法だ。
静まりかえった状況なら、想定してないところからの声もよく聞こえてしまうのは確かだ。
俺は考えた。
【ノイズキャンセル】自体はこれでいい、一つの魔法としてはこれで完成だとしていい。
だけど、アメリアが来たときに使う時はちょっと手を加えなきゃなと思った。
☆
次の日の昼頃、宮殿の前。
俺はアメリアを出迎えるため、ここに出てきた。
宮殿の正面は街の大通りと繋がっていて、大通りの向こうからパルタ公国の紋章がはいった馬車がこっちにゆっくり向かってきている。
一応は公国の使者、ということで宮殿にスムーズにはいってこれるよう、この時間帯は大通りをなるべく使わないでくれと国中の魔物にお願いしていた。
その甲斐あって、邪魔者が一切ない、広々な大通りを公国の馬車が進行している。
向こうには最低限の武装をした兵士が護衛についている。
これは俺が認めたものだ。
その程度の護衛兵はまったく脅威にならないし、アメリアの護衛とかお世話をするための人はいた方がいいとして認めた。
俺はそれを眺めながら、俺の横に立って、一緒に出迎えるために待っているスカーレットに聞いた。
「ア、アメリアさんはあの馬車の中か?」
「はい、そのように聞いております」
「そっか!」
俺はドキドキした、興奮しだした。
もうすぐあのアメリアと会える。
そう思うと興奮のドアが青天井の如く上がっていくのを感じていた。
「……そうだ」
俺は昨日の事を思い出して、【ノイズキャンセル】をつかった。
「主?」
「あっ、いや。ちょっとその……」
先取りというか、盗み聞きというか。
昨日デュポーンとのテストで屋敷の中の別部屋にいるメイドエルフ達の声も聞こえたということだ。
だから今使えば馬車の中にいるアメリアの声も聞こえるはずだと思って【ノイズキャンセル】をつかった。
スカーレットにはごまかしつつ、耳を澄ませる。
環境音が一切なくて、人の声だけが聞こえる。
集中すると、馬車の中らしき声をちゃんと耳で拾えた。
『いいか、しっかり魔王に取り入るのだ』
『……』
『言うまでもないが、下手な真似をするなよ。お前の両親の命はこっちが握ってるんだからな』
『分かって……いるわ』
「……え?」
聞こえてきた言葉――はっきりと聞こえてきた言葉は。
信じがたく、全くの予想外の言葉だった。