199.手足がダメなら……
全身の魔力を一気に吹き出したあと、ラードーンの手から放たれた何かが俺を襲った。
俺は抵抗せずにそれを受け入れた。
次の瞬間、世界が一変した。
目の前の景色が光一色に変わった。
何もかもが無くなった。
光に見えているのも、本当に光なのかどうか自分の感覚さえも怪しく思えてくるような感覚に陥った。
ここは一体――と思っていると、更に驚かされることになる。
「自分」が見えないのだ。
通常、自分の顔は見えないものの、手足や胴体は視線を下に向ければ目に入ってくる。
それが全く見えない。
まるで自分というものが無くなってしまったかのようだ。
そして、更に自分の感覚を疑ってしまう事になる。
手足は動く――が、両手で自分の頬を触ろうとしても、触れない。
両手を触れ合わせようと思っても、動く感覚があるだけで何をどうやっても触れられない。
自分の体だ、例えどんな状況でも――目が見えなくなった状況に陥ろうと、「右手と左手を繋ぐ」事は出来る。
出来ないわけが無い。
なのに、左手も右手も動いている感覚はあるのに、何をどうやっても繋げる事は出来ない。
これはどういう状況だ? 俺は今どうなってるんだ?
頭で理解できない状況に、パニックになりだした。
見えないしどこにあるのかも分からない、手足の末端が冷たく感じてきて、意識しては止められないほどに震えだした。
それを止めようとして力を入れようとしても、拳を強く握ろうとしても、力を込められた感覚はなく、拳を握っているはずなのに手の平も指先もそういう感触がしない。
動かしているのに感触はないという不思議な状況が続く。
次第に、そうかこれは夢なんじゃないか、って思うようになってきた。
夢でもなければ、こうして手足が言う事を聞かないなんて不思議な状況にはならないはずだ。
いろいろやったが、どうにもならなかった。
仕方ない、諦めよう。
そう思ったその時だった。
手足が動かないなら――。
☆
リアムはソファーに座り、がくっとうなだれている。
知らない人が見れば、座ったまま寝落ちをしていると思うだろう、そんな見た目だった。
「さて、やるか」
「ダーリン!!」
ラードーンが深呼吸した直後、ドアが乱暴に開け放たれてデュポーンが部屋の中に飛び込んできた。
「あれー、ダーリン寝ちゃってる? えへへ、じゃああたしがダーリンに添い寝しちゃおっと――ダーリン?」
最初はハイテンションで飛び込んできたデュポーンは、二度見した位のタイミングでリアムの様子がおかしい事に気付いて、テンションが一気に下がった。
近づき、リアムの顔をのぞき込む。
「死んでる!? ダーリン!?」
手を伸ばすデュポーンだが、既の所でピタッと止まって、手を引っ込めた。
そしてまわりを見回す。
そこで初めて側にいるラードーンに気付いたようだ。
「ちょっとあんた! なんで外に出てるの? ダーリンはどうしたのよ!」
「恋は盲目というが、盲目もそこまでくれば感心に値する」
ラードーンはフッと笑った、デュポーンの剣幕とは裏腹にこっちは落ち着き払っていた。
リアムの側に立っているのに、「原因の究明」を始めるまで全く視界に入っていない事を言葉通り感心している様子だった。
もしもここに数百年前の一件を知っている人間がいれば、こんなに和やかに言い争う二人の姿に目を疑うことだろう。
「はぐらかさないでよ! なんでダーリンが死んでるの!? もういい! ダーリンが死んだらあたしも一緒に死んでやる!!」
「まあ待て、お前が死ぬのは止めんが、それでは後であやつが困ることになる」
「困る? ダーリンが? 一体何の事?」
「死霊魔法に手を出そうとしているのだよ」
「なんだ、さすがダーリン!」
そこはさすが三神竜の一人というべきだろうか。
ラードーンから「死霊魔法」という言葉を聞いた瞬間、デュポーンはすぐさま状況を理解し、感情が180度裏返った。
「そっかそっか……うん、たしかにダーリン仮死状態だね。ふう、びっくりしちゃったよ」
「離昇というのだ」
「知らないよ、人間が権威付けにつけた仰々しい名前なんて」
「ふふ、そういえばそういうものが嫌いだったな、閃光竜殿」
「はあ? なに、ケンカ売ってんの? 殺すよ?」
ビシッ、と部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。
気の弱い人間ならここにいるだけで心臓が止まるほどの殺気がデュポーンからラードーンに投げつけられた。
見た目はどちらも幼げな少女なのだが、空気はとんでもないの一言に尽きた。
当然、同格のラードーンはそんな殺気などどこ吹く風で涼しげな顔をしたままだ。
「我を殺すのに何十年かけるつもりだ?」
ラードーンが言うと、デュポーンはハッとしてリアムの方を見た。
「だったら早くやってよ! ダーリンが生き返った後に殺すから」
「ふふっ、承知した」
精神年齢の違いだろうか。
ラードーンは見た目こそデュポーンより年下にみえるが、立ち居振る舞いなどからは「幼げな老女」と呼ぶべきものだった。
それに対してデュポーンの見た目はラードーンよりも年上だが、こちらは見た目相応か、やや年下な感じがして、二人の見た目と振る舞いが逆転している。
それも含めて、ラードーンは楽しんでいるようなきらいがある。
ラードーンは楽しげな表情を浮かべたままリアムと向き合う、リアムが関わっているためデュポーンは素直に前を譲った。
そして、ラードーンが手をかざした、その瞬間。
「……むっ?」
「何よ、早くして――あれ?」
当事者であるラードーンに少し遅れて、デュポーンも異変に気づいた。
そして、「吸引」が始まる。
リアムの体を中心に、部屋中の空気を吸い込むような現象が起きた。
が、その場にいる三人とも、衣服の裾などはびくともしていない。
空気を吸い込んでいるように見えるが――。
「こんな……いやありえん」
「…………さすがダーリン!!」
ラードーンは驚き、デュポーンは歓喜する。
両極端な感情の発露が、二人の驚きの度合いをそのまま表しているかのようだった。