174.お前の様な人間がいるか
俺は戸惑った。
目の前にいるのは、どう見ても幼い、無邪気な感じの女の子にしか見えなかったからだ。
「えっと……」
「……?」
「リアム・ハミルトン」
「そっかー。あたしはピュピュ、よろしくね」
「ぴゅ、ピュピュ?」
「うん」
「……えっと」
目が泳いだのが自分でも分かった。
自分の中にいる、ラードーンに助けを求めた。
『……』
ラードーンからの返事はなかった。
そこにいて、この状況を見ているのは気配で分かるのだけど、救いの手を差し伸べてきそうな気配はまったくない。
自分でこの状況をどうにかしなきゃいけないんだと観念した。
なら、まずは――。
「えっと、まだ眠い?」
俺はまずそれを聞いた。
眠りのガス、寝起きの悪さ。
どれをとっても、ピュトーンがまだ眠いかどうかをまず確認するのが最優先事項だと思った。
「ううん、全然。すごくすっきり爽やかだよぉ」
「そうか、それなら良かった」
「……あれぇ?」
「ど、どうした」
ピュトーンは急に何かに気づいた様子で、俺に近づいてきた。
つま先が触れあう位の至近距離まで近づいてきて――スンスン、と鼻を鳴らして俺の匂いを嗅いできた。
「な、何?」
「ラーちゃんの匂いがする。なんでぇ?」
「ラーちゃん……ラードーンの事か」
「うん。あっ、もしかしてラーちゃんに噛まれたとか?」
「物騒すぎるぞ!?」
なんでそんな発想になるのかとびっくりした。
ラードーンに噛まれる――俺の頭の中で、元の姿にもどったラードーンに頭から丸かじりにされる、そんな光景が浮かび上がってきた。
「噛まれてないの?」
「噛まれてない」
「えー、でもでもぉ、ラーちゃんの匂いが……あれれぇ?」
「こ、今度は何だ」
「デュデュの匂いもするよ?」
「デ、デュデュ……って、デュポーンか」
「うん」
「どうして二人の匂いが同時にするの?」
「えっと、説明するのは難しいけど、今はラードーンとデュポーン、二人と仲良くしてるんだ」
「そうなのぉ?」
「ああ」
「何万人死んだのぉ?」
「どういう事!?」
ノータイムで、けろっとした顔で返ってきた質問に、俺はこれまたノータイムで脊髄反射並みに突っ込んだ。
声が裏返ってしまう位の勢いで突っ込んだ。
「ラーちゃんとデュデュが一緒にいるってことはぁ、色々あって何万人は死んでるはずだから」
「お前らの関係どんなんだよ!?」
声が裏返る程突っ込んだ。
いや仲が悪いのは知ってるけど、そんなレベルで仲が悪いの?
……あっ。
「三竜戦争……」
その言葉を思い出した。
それはあくまで人間側が作った言葉で、実際はラードーン、デュポーン、そして目の前にいるピュトーン、この三頭の竜の「ケンカ」でしかない。
それでも、人間視点からしたら「戦争」に見えてしまうくらいデカいもの。
戦争、って考えれば、何万人死んだ? というピュトーンの質問もそんなにおかしい物ではなかった。
「……」
「な、なんだ?」
俺が納得している間にピュトーンはじっと俺の事を見つめていた。
「仲良くしてるのぉ?」
「え? あ、うん」
「あなたのおかげ?」
「そう、かな?」
曖昧に頷いたけど、なんだか自信がない。
俺のおかげ……なのかな。
などと、困惑していると。
「むっ!」
魔力の波動をかんじた。
パッと空の彼方を向く。
この波動――デュポーンか!
空の向こうから、ものすごい速度でデュポーンが飛んできた。
デュポーンは、飛んできた勢いでタックル気味に俺に抱きついてきた。
「ダーリン!!」
「うわっ!」
タックルされた勢いでたまらず尻餅をついてしまう。
それでも勢いが殺しきれなくて、シールドを貼って体を守った。
それで体にダメージはなかったけど、殺しきれなくて周囲に逃れた力が、俺を中心に半径十メートルくらいのクレーターを作り出した。
「ダーリン大丈夫?」
「え?」
そのクレーターの中心で、タックルしてきた姿勢のまま、俺の腰にしがみついたままのデュポーン。
彼女は上目遣いで、俺をじっと見つめてくる。
心配そうな表情だ。
「大丈夫って?」
「ダーリンのそばに良くない力を感じたから飛んできたの」
「よくない力……」
俺はピュトーンの方を見た。
彼女は相変わらずのポワポワした感じでこっちを見つめて――いや。
眺めている。
「ピュトーン!?」
「あー、デュデュだー」
「あんたなんでここにいるのよ」
「なんかね、ここがすごく寝心地良かったのぉ」
「寝心地が良かった?」
「うーん、なんでだろ、すっごく温かかったのぉ。いいにおいがして、ふかふかしてて」
ピュトーンがそう言うと、俺は空を見上げた。
良い匂い……ふかふか。
その言葉からは、うららかな陽気――と言うのを連想したけど、今日の天気はそこまでじゃなくて、そもそも野外だからふかふかしてるって言うのもよく分からない。
俺は分からなかったけど。
「くんくん……なーんだ、そういうことか」
デュポーンは鼻をならして何かの匂いを嗅いだ後、納得した。
「ダーリンの匂いじゃん」
「だーりん?」
「そう、ダーリンの匂い。今ので強くなったじゃん?」
「すんすん……本当だぁ」
デュポーンに言われて、同じように鼻を鳴らして匂いを嗅ぐピュトーン。
たちまち顔がほころんで嬉しそうになった。
「あなたの匂いなのぉ?」
「え? そ、そうなのか?」
俺はデュポーンに視線を向けて、聞いてみた。
「匂い」という言い回しを持ち出したのは彼女だから、彼女にそれを聞いた。
「そだよー」
「俺には感じないけど……どんな匂いなんだ?」
「あっ、そっか人間にはわからないか」
「そういうものなのか?」
『いいや、お前にならわかる』
「ラードーン?」
俺は首をかしげた。
それまで沈黙を守り続けていたラードーンが俺の心の中で口を開いた。
「俺には分かるって、どういう事だ?」
『我らがいうその「匂い」とは、魔法を行使した後の魔力の残滓だ』
「魔力の残滓……あれか」
俺はなるほどと頷いた。
魔力の残滓というのは、今までも結構出てきた言葉だ。
具体的な生成物もある。
別名ブラッドソウルの、魔晶石だ。
そして、今となっては「リアムネット」と呼ばれているあれを代表する、町のインフラを動かすのもその魔力の残滓だ。
「なるほど、それをお前達は匂い、って呼んでるのか」
「えー、そんなの嘘だよぉ」
俺が納得した直後に、ピュトーンがそれはないと否定してきた。
口調こそ彼女らしくぽわぽわした物だけど、内容はかなりの断定したものだった。
「嘘って?」
「だって、人間一人がそんな匂いだせるわけないよぉ」
「本当だもん、ダーリンの匂いだもん」
「うそだぁー」
「むぅ……ねえダーリン!」
ピュトーンの否定に拗ねたデュポーン。
彼女はパッと俺の方を向いてきて。
「ダーリン、魔力は大丈夫? まだある?」
「え? まだある……けど」
「わかった!」
デュポーンは頷いた――直後。
なんと! 自分の右手で左手をつかんで、引きちぎってしまったのだ!
左腕が肩から丸ごとちぎれて、大量の血が噴き出す。
「デュポーン!?」
「戻してダーリン」
「――っ!」
一刻の猶予もなかった。
俺はとっさにほぼ全魔力を練り上げて――。
「『タイムシフト』!」
ほとんど全魔力を使って、時間を三秒巻き戻した。
すると、デュポーンが自分の腕を引きちぎる直前に戻った。
だが、既に彼女は自分の左手を掴んでいる。
俺はとっさに彼女の手を掴んだ。
「もういい、戻ったから」
「うん!」
デュポーンは満足して、満面の微笑みを浮かべた。
まったく躊躇無しに自分の腕を引きちぎった彼女は、俺がすぐにタイムシフトで時間を巻き戻した後だとすぐに理解した。
そして、そのままピュトーンを向いた。
「これでどう?」
「くんくん……ほわぁ……」
デュポーンに言われて鼻を鳴らしたピュトーン。
たちまち、マタタビを嗅いだ猫みたいになっていた。
「本当だ、匂いが濃くなった。人間なのに……」
「でしょ」
デュポーンは得意げな、勝ち誇ったような顔をした。
一方で、「匂い」にとろけそうな顔をしたピュトーンは、俺をみつめて。
「あなたすごい……本当に人間なのぉ?」
と、言ってきたのだった。