173.そういうことにしておこう
ピュトーン。
確かにその名前は初めて聞くけど、ラードーン、デュポーンと肩を並べる「三竜戦争」のもう一頭の竜だという事はずっと前から知っていた。
『好奇心にしてもだ』
「え?」
『お前の好奇心は魔法に全振りしているものな。普通の人間なら、我の時とまでは言わぬが、デュポーンが現われた時点で残りは? と気になるところだ』
「うっ……」
これまた何も言い返せなかった。
たぶん、ラードーンの言うとおりだ。
そもそもが、魔法に置き換えてみたら俺もそう思う。
サラマンダーを呼び出せて、ウンディーネも呼び出せて。
なら他にもっと精霊がいるんじゃ? って実際思った。
そして俺は、魔法の中でも特に精霊召喚魔法を探して、最優先に覚えた。
それと同じことだ。
……同じこと、なんだけど。
どうしてか、まったく気にならなかった。
魔法じゃないからな、ってのが素直な気持ちだけど、今はそれを言うとますますからかわれる。
俺は気を取り直して、眠り姫のような女の子――ピュトーンを見た。
「幼い感じだけど、ピュトーンも転生してるのかな、これ」
「いいや。そもそも我からしてあの見た目だろうが」
「あっ……」
そういえばそうだった。
ラードーンもデュポーンも、人間の時の見た目は幼い女の子だ。
デュポーンが「転生」してるって言ったから、ピュトーンもそうなんだって思ってた。
『ふっ、相変わらずだな、こやつも』
「そうなのか?」
『この眠りの霧は、こやつが眠っているときに自然に放出されるものだ。本人の意思にまったく関係なくな』
「意思は関係ないのか」
『そして、さっき我が言ったことを覚えているか? この霧に抵抗できたのは――』
「えっと……俺で三人目?」
慌てて思い出して、言った。
『うむ、その通りだ。我と、デュポーン。我ら以外の生物は、寝ているこやつに近づけない。近づくと皆寝てしまうのだ』
「へえ、なんというか……平和だな」
俺は素直にそう思った。
ラードーンともデュポーンとも戦ったことのある俺は、寝ている間に近づいてきた相手を眠らせてしまう――という能力はものすごく平和そうに感じられた。
『ふふっ、そう甘いものでもないぞ』
「え? なんで?」
『こやつの睡眠期間は一定ではないのだ』
「そんなのみんな同じなんじゃ?」
『睡眠、期間、だ』
ラードーンは「期間」を強調していった。
「期間?」
『我が知りうる限りでは、最大で三年寝続けたことがある』
「三年!?」
『うむ、ねぼすけなのだ』
「いやいや、そういうレベルじゃないだろ」
『さて、ここで問題だ』
「うっ」
俺はびく、っと身構えた。
この流れで「問題」って言われるとどうしても身構えてしまう。
魔法にまつわる問題だと分かるんだけど……。
『こやつが三年間、同じ場所で寝続けた。さてなにが起きる』
「……近くの生き物も三年間寝かされた?」
『よくわかったのう』
「眠りの霧を魔法で再現できたから」
『ふふっ、なるほどな』
ラードーンは楽しげに笑った。
『うむ、正解だ。こやつが寝ている間は、近くにいる生き物、近寄ってきた生き物をすべて眠らせてしまう。そして、こやつの眠りの霧に包まれている限り起きることはない。生き物というのは、寝ている間も体力――エネルギーを消費する。介護無しで寝たきりになれば、大抵の生き物は一週間ともたんよ』
「……」
俺はぞくっとした。
ピュトーンを見た。
こうして見ても、あどけない寝顔に見える。
丁度このタイミングに、空から鳥が落ちてきた。
鳥はふらふらと地面に「墜落」して、そのまま眠りにおちた。
安らかに、眠っているだけ。
しかし眠りに落ちた小鳥はピュトーンが目覚めない限り寝続けてしまう。
それはもはや、死への眠りにしか見えなくて、俺はぞっとした。
「……こわいな」
『眠りというのはこういう使い方もあるのよ』
「……覚えておく」
なるべくそういう風に使いたくないな、と思った。
そして、改めてピュトーンを見た。
すやすやと眠りながら、眠りの霧を出し続けている彼女を見た。
「なあ、ラードーン?」
『うむ?』
「この眠りの霧って、広がっていくのか?」
『いいや、この範囲で留まり続ける。放っておけば害はない』
「……いや、そうだとしても偶然入ってしまうことがあるからな」
俺は寝ている小鳥を見た。
「一定以上の力がないと見えないんだろ?」
『うむ』
「だったら、知らずに間違えて入ってしまう事がある」
『赤い壁でも張っていればよかろう』
国境のあれか。
それもいいんだけど。
「……起こそう」
俺はそう決意した。
このまま放っておくのは良くない。
なにをどう間違えて「事故」るか分かったもんじゃない。
だから起こしてしまおうと思った。
「起こせば霧がなくなるんだよな」
『うむ、それはそうだ』
「わかった」
『……』
俺はピュトーンに近づき、肩を軽く揺すった。
「もしもーし、おきてー」
「う……ん」
ピュトーンは可愛らしい眉をそっと寄せた。
ちょっと予想外だ。
何年も寝られるってラードーンがいうから、どんな手ごわい相手なのかって思ったけど、これなら普通に起こせそうな気がする。
「もしもーし」
そのまま更に、ピュトーンの肩をゆすった。
すると――起きた。
ピュトーンはうっすらと目を開けた――。
「うるさい死ね」
「――っ!」
無造作に手を振った。
とっさにアブソリュート・マジック、アブソリュート・マテリアルのシールドを二重に展開。
物理と魔法、どっちの攻撃だったとしても対処できるように二重展開したのだが、二枚のシールドは同時に砕け散った。
「なっ!」
驚愕しつつ、地面を蹴って後ろに下がる。
「二枚とも壊れた?」
『寝ぼけているからな』
「え?」
『ほれまた来るぞ』
「――っ!?」
ラードーンの警告に、今度は二重のシールドを多重に展開。
物理と魔法、両方とも十数枚を同時に展開。
パリパリパリパリーーーーン!
と、障壁が砕け散る音が立て続けにこだました。
障壁が砕けて、魔力の残滓がきらきらと日差しを反射している向こう側で、ピュトーンがゆっくりと起き上がっているのが見えた。
半目になっているピュトーン。寝起きの人特有のぼけっとしたしまりのない表情だ。
同時に、その目と口は、寝ぼけながらもはっきりと「怒り」が感じられる程、つり上がっていた。
「……邪魔」
ピュトーンがぼそっとつぶやいて、両手をガッと天に向かって突き上げた。
すると、彼女の小さな体から膨大な魔力がほとばしり、一瞬で爆発した。
「くっ!」
魔力の爆発をシールドでやり過ごした。
多重の衝撃で、シールドの数がぎりぎりだった。
爆発が収まった後、辺り一帯は焼け野原と化していた。
「こ、これは……」
『あやつは寝起きが悪いのだ』
「えええ!? 聞いてないよ」
『聞かれなかったからな。我は霧の事しか聞かれなかったから、それを答えたまでだ』
「うっ」
『「それはそう」とも言ったのだがな……ふふっ、やはり魔法以外はとことん苦手のようだ』
ラードーンが小声で何かつぶやいたが、正直それどころじゃなかった。
寝起きで機嫌最悪のピュトーンは完全に俺を睨んでいた。
「眠りを妨げる愚かな人間よ――死ね」
「ーーっ!」
今度はさっきの範囲爆発と違って、明らかに俺に照準を定めて、魔力弾を放ってきた。
パワーミサイルと同じ原理の純粋な魔力弾。
それは重く、シールド越しにずしりと、体の芯まで突き抜けていく程の衝撃を与えてきた。
ラードーンやデュポーンと同じで、魔力の量は段違いだ。
このまま戦ってもきっと勝てない。
「――なら! アメリア・エミリア・クラウディア」
まずは詠唱した。
詠唱しつつ、最大の数のアブソリュートシールドを多重に張って、時間稼ぎをした。
それがピュトーンの魔力弾を防いでいる間に、イメージする。
イメージはすぐにできた。
普段から、毎日経験している事だったからだ。
「『ウェイクアップ』!」
即興で創作した魔法をピュトーンに向かって放った。
ピュトーンは冷笑した。
魔法をガードする素振りはない。
人間の魔法なんて――ってのが透けて見える。
それが助かった。
弾かれたら更に工夫しなきゃいけなかったんだけど、受けてくれるのならありがたい。
新魔法・「ウェイクアップ」はピュトーンに当った。
直後――ピュトーンは目をぱちくりさせた。
あれだけあった殺気がみるみる内に萎んでいった。
「……あれぇ?」
と、さっきまでとは打って変わって、とろけた様な口調でつぶやき、周りを見回した。
『ほう?』
「眠気を吹っ飛ばす魔法だ。寝起きが悪いって話だから、これでいけるって思ったんだけど、本当に寝起きが悪いんだな……」
まったく殺気のなくなったピュトーンと、一瞬で焼け野原になった周りを見回して、俺はちょっと苦笑いした。
「そうだ!」
俺はパッとかけ出した。
ピュトーンの近く、さっきまで俺がたっていた場所に駆ける。
「よかった、無事だ」
『うむ? それは……さっきの小鳥か』
「ああ、シールドの半分を割いたけど、守れてよかった」
『そうか、さすがだな』
「アブソリュートシールドが強かったからな」
『ふふっ、そうだな。そういうことにしておこうか』
「?」
ラードーンがなにやら歯にものが挟まったような物言いをしたが、それを気にする余裕はなかった。
「あなた、だれぇ?」
とろけたような口調で、ピュトーンが話しかけてきたのだ。