114.記憶の玉突き
朝になって、陣地を引き払ったジャミール軍は行軍を再開した。
先行させた斥候が持ち帰った情報では、一キロ先の地点に二百人のエルフの部隊が待ち構えている事がわかった。
正面こそエルフ200名だが、左右の林の中にそれぞれ同数と思われる魔物が潜んでいる。
この報告を受けた指揮官は斥候をねぎらいつつ、浅はかな待ち伏せに冷笑した。
とはいえそれなりに戦歴のある指揮官である。
斥候に更に慎重に、他に伏兵はいないかと探らせた上で、進軍を続けた。
ほどなくして、ジャミール軍はエルフの200人隊と接触。
指揮官は左右の伏兵に対処をさせつつ、突撃を命じた。
戦闘が開始――となった途端、エルフ達は魔法を放った。
200人が一斉に放つまったく同じ魔法。
あたりは一瞬にして暗闇に包まれた。
早朝なのに、まるで深夜の様な暗さ。
日蝕でももうすこしは明るいであろう暗闇の中、ジャミール軍は混乱に包まれた。
早朝なのに瞬時に闇、どれほど優秀な指揮官であろうと、この急変に兵が動揺することを完全に抑えきるのは不可能である。
パニックになった途端、魔法がジャミール軍に降り注いだ。
暗闇の中からは見えないが、それは左右の魔物達が一斉に放った、放物線を描いて飛んでくる氷の槍だった。
集団戦闘、特に軍に於いては、一斉射にはファイヤボールを採用する事がほとんどだ。
炎の魔法は氷の魔法に比べて才能を持つものが多く、ファイヤボール程度ならば術者を揃えやすいという事からそうなりがちだ。
軍集団においては、数が一番の力であるというのは紛れもない事実である。
しかし、とんできたのは氷の槍だった。
暗闇に包まれている事もあって、ジャミール軍はそれにまったく反応出来ず、あちこちから悲鳴と怒号が沸き上がった。
闇が晴れたあと、ジャミール軍は死屍累々の上、陣形もばらばらという惨状を晒した。
その中、指揮官はさすがにいち早く落ち着きを取り戻した。
暗闇で一瞬頭から離れてしまった、左右の伏兵の対処にそれぞれ部隊を割いて、攻撃に向かわせた。
しかし、別働隊が本隊から離れた途端、進軍が止まって、隊列が乱れ、遠目からでも分かるほどパニックになった。
幸か不幸か、パニックは長く続かなかった。
別働隊はバタバタと倒れていき、瞬く間に立ってるものがそれぞれ一人だけになった。
片方は巨漢のギガースというモンスター、もう片方は雌型の人狼と呼ばれているモンスター。
指揮官は気づいた、あの暗闇の中で別働隊に潜り込まれていたのだ。
そして一緒に別行動し、本隊の救援が間に合わなくなった位置で、正体を明かし、別働隊を殲滅した。
指揮官は悩んだ末、撤退を命じた。
あの暗闇の間に、潜入者とは違う、さらに何かがしかけられているかもしれない。
この状況ではまともに進軍、戦闘は出来ないと、指揮官は撤退を命じた。
ほんの一瞬で、ジャミール軍は二千人の兵を失った。
☆
俺は遠くからテレスコープの魔法でジャミール軍が撤退していくのを見つめていた。
『こちらアルカード。敵指揮官の周囲に潜入した』
「相手はどんな感じだ?」
『悔しそうにしてるが、まだ冷静のように見える』
「わかった。そのまま潜入を続けて。正体がバレないようにするのを最優先」
『わかった』
暗闇に乗じて、潜入を命じたノーブルヴァンパイアのアルカードとのテレフォンを切った。
ノーブルヴァンパイアは人間と非常に近い見た目をしている。
それを利用して潜入をさせた。
『あんな魔法をいつの間に開発したのだ?』
「あんな魔法?」
『暗闇の事だ』
「ダークか。ライトと同じタイミングだ。ライトが明るくするのと同じで、ダークも暗くするだけ」
『そんなのよく、作る気になったな』
「徹夜明けの経験で。完徹した後、疲れてるのに朝日のせいで寝れない事があるからな」
『ふふ、なるほど、人間ならではの発想だな』
ダークの魔法をラードーンに褒められた。
『しかし、上手くやったものだ』
「ダークのこと?」
『ガイとクリスのことだ』
「ああ」
ジャミール軍がこっちの伏兵を対処させるために送った別働隊。
その中に、暗闇に紛れて単独潜入させた、ガイとクリスを紛れ込ませていた。
二人とも単独で動く方がもはや得意になってきてて、更に互いに対抗意識を持っているから、こういう命令は大喜びで受けた。
『うまくはまったものだ』
「人間って、一つの事しか考えられないみたいなんだ。パニックになった時とか、集中する時とか」
『ほう?』
「だから、ほとんどの人は魔法を一度に一つしか使えない。その性質を利用させてもらった」
俺はそこで一呼吸おいて、さっきの流れを一度頭の中で思い浮かべる。
「最初は意識してた伏兵でも、暗闇でパニックになったら忘れる。その伏兵が一斉射してきたら、今度は暗闇で何かをされたかもしれないってのが頭から抜ける。古いことはどんどんどんどん頭から押し出されてしまうんだ」
『なるほど。不便なのだな、人間というのは』
「でも、何回かやられたら今度は疑心暗鬼になる、そして思考がちょっとさかのぼる」
『ほう?』
「今頃、昨日の夜襲を思い出して警戒しているころだろう。せっかくだから、疲れててもらう。音だけを出す魔法をこの後しかける手はずになってる」
『やるではないか。ふふ、ここまでされると、相手の事がかわいそうになってくる』
魔法の事じゃないから、密かに不安だったのだが、ラードーンのお墨付きを得て、俺はまた少しだけ安心した。