113.夜襲と混乱
月明かりのない、静寂な夜。
草原の小丘の上から、俺は親指と人差し指で作った輪っかを通して、遠くを見ていた。
テレスコープ。遠くの景色が見えるだけの魔法。師匠のマジックペディアの中に入っていた、100の魔法の一つ。
それで見えているのは、即席の柵に覆われた、野営の陣地だった。
草原のちょっとした小丘だが、高低差で向こうの陣地が丸見えだ。
「テントの数からして……ざっと一万人ってところか」
『そのあたりだろう』
「というか、なんの躊躇もなく入ってきたな」
俺ははあ、とため息をついた。
陣地の向こうには、俺が張った結界、赤い国境の壁が見える。
それより内側に入ってきたのはジャミールの軍勢。
スカーレットが言った通り、侵攻してきたジャミールの軍だ。
『あの程度で止まるわけもなかろう』
「赤色って警告色、見ると警戒して止りたくなるって聞いたんだけどな」
『今の人間の軍隊は、隊列を組んで一斉に前進するスタイルであろう。ならば「皆で渡れば怖くない」という心理だ』
「なるほど……」
『もとより止まるとは思ってもいまい。本気だったら、今のお前であればもっと面白い結界も張れたであろう』
「それはそうなんだけど」
ラードーンの指摘通り、あんな結界で止まるとは思ってない。
あくまでこっちの主張を明確にするための結界だ。
ラードーンがいう「面白い結界」についてもそう。
純粋に侵入を拒む力比べのものとか、入ったら何かしら状態異常にかかるものとかもある。
そういうのはやらないで、ただの色のついた空気の壁にした。
ちょっと警戒するだろうけど、通れると分かったら目的のはっきりしてる相手は普通に通ってくる。
「まあ、しょうがない」
『で、どうする』
「まずは奇襲、損害ゼロでかき回す」
『ほう? どうやって』
ラードーンの楽しげな、興味津々って感じの感情が伝わってきた。
俺は魔法・テレフォンを使った。
「聞こえるか? ガイ、クリス」
『聞こえているでござる』
『ばっちりだよ』
二人は即座に応答した。
「じゃあ打ち合わせ通り、ガイは東から、クリスは西からそれぞれ単身特攻」
『承ったでござる』
『まかせて、脳筋より働くから』
『イノシシ女ごときに負けるほど落ちぶれておらぬでござる』
「あまり気負うな、そこそこでいい」
『そうはいうが主』
『別に殲滅しちゃってもいいんでしょ?』
直前までいがみ合っていたはずの二人は、同じ感じで俺に許可を求めてきた。
お前達、本当は仲が良いんじゃないのか? と思ってしまった。
「今回はダメだ。殲滅は禁止だ」
『えー、それじゃつまんない』
『承ったでござる。それがしがみごと主の命令を忠実に果たしてご覧にいれよう』
『あっ、ずっるーい。ってこの音、脳筋もう突っ込んでるな!?』
結局いがみ合ったまま、クリスはガイに少し遅れるようにして、突撃を始めた。
テレスコープから見える敵の陣地、左右――東と西の両方から混乱が起きた。
夜の奇襲、ガイとクリスの二人の突撃で、急に慌ただしくなり始めた。
同時に、明かりが次々と消えた。
ガイとクリスに、戦闘のついでに消して回れって命令してあったからだ。
『なぜそのような事をする』
「こっちがそれぞれ一人で突撃してるのを分からせないためだよ」
『ふむ、同士討ちを狙うのか』
「……」
『どうした、我がそれを察するのがそんなに意外か?』
にやり、って感じで聞き返してくるラードーン。
「いや、そういうわけじゃないけど」
『月のない夜、少数精鋭による奇襲で混乱と同士討ちを狙う。ありふれた作戦だ』
「そうなのか」
『しょげるな、ありふれているが悪くはない。特にそれが出来る、少数精鋭のコマを持っているのなら積極的に狙っていくべきだ』
「そっか」
俺は苦笑いしつつ頷いた。
魔法と違って、こういうのは自信がない。
思いついて、多分いけそうとは思っていても、魔法ほどの自信は生まれてこない。
だからラードーンに「悪くない」って言われるとちょっとほっとする。
そうこうしているうちにも、陣地の暗闇が徐々に広がって、混乱も広がっていった。
「そろそろだな」
『うむ?』
訝しむラードーンの声。
『まだ何かあるのか?』
「ああ」
『誰にも命じてなかったな……ということはお前が何かをやるのか?』
「大した事じゃない、二人を撤収させるだけだ」
『ふむ?』
「ガイ、クリス。一旦止まれ」
『承知』
『分かった』
二人がそう応じた直後、俺は二人を呼び戻した。
ファミリアで契約した使い魔を、一瞬で呼び戻す魔法。
「ご主人様だ」
「主? ここはどこでござる?」
「二人ともご苦労様……うん」
俺は二人をねぎらいつつ、テレスコープ越しにジャミール軍の陣地をチェックした。
ガイとクリスの二人を引き上げたのに、混乱は続いている。
そのまま、二人に聞く。
「二人がいたとき、同士討ちはあったか?」
「あったでござる」「なかったよ」
声が重なった二人、正反対の答えが返ってきた。
ある事を期待した俺は、驚いてクリスに聞き返した。
「なかったのか?」
「うん! そんなのもったいないじゃん、ご主人様の敵、味方同士でやり合う前にあたしがぶっ潰しといた」
「ああ、そういうこと……」
俺は苦笑いした。
「やっぱりイノシシ女でござる」
「なにを!」
二人はいがみ合いを再開。
それを放置して、テレスコープで観察。
東も西も、まだまだパニックが続いてて、同士討ちが続いてた。
『なるほど、超少数精鋭の突撃、機が熟したところにお前の魔法で瞬時引き上げ』
「うん」
『ふふ、面白い。その戦術、必殺級となりうるぞ』
ラードーンに思いっきり褒められて、それまで不安だったのが一気に嬉しさに変わっていった。