人間も自然?
私は思考することが大好きである。
気力は使うし、苦しいことも多いけれども、好きなのである。
なぜかって?
そんなことは分かりません。
「分かっちゃいるけど、止められない」というやつかな?
ただ、たまには楽しい発見がある。
今日は「人ってなんだろう」っていうことを、なんとなく考えていた。
というのも、生きているとなんだか、社会だとか、対人関係だとか、そういう壁にぶち当たることがある。
そして、なぜ、人はそれのことを、そこまで悩み、考えてしまうのかというのがはじまりである。
順番に考えていこう。
まず、「人間は生物で、生まれてしまったら、いつかは死ぬ」
これは確定事項であろう。
どういうわけだか、「このよく分からない世界に生まれ、生きているということ」も事実であろう。
人間は科学というものを思考し、研究し、その「どういうわけだか」という部分を説明しようとしている。
ただ、よく考えてみてほしいのだが、脳をいくら解剖や最先端技術で研究したとしてもだ、その人が何を思い、何を考えているのかは分からないのではないだろうか?
ということは、「人智を超えた何かなのでは?」ということである。
心だって、あなたならどう説明しますか?
苦しい時、辛い時、悲しい時、胸のあたりが切なくなるのはなんでですか?
私は最近、うつ病を経験し、身体が思うように動かないとか、自分自身の調子を思ったようにできないことを痛感している。
そうすると、次第に「やっぱり人間も自然の一部」なんだということを感じる。
だって、自分の意志で生まれてきたわけではないし、生きていても、自分ですら思ったようには動いてくれないのだ。
そうすると、「人間がこの地球の自然の一部」であることも事実である。
ということは、他人もまた自然の一部なのだ。
自分自身すらも制御できない人間が、他人をどうこうするのは、そりゃあ、到底無理な話ですね。
だって、自然が相手なのだから。
まずは、自分自身とある程度、上手くお付き合いできるようにならないとですね。
「今日の天気は雨ですね」とそれにケチをつけても始まらないのと同じである。
「雨を突然、晴れにしてくれ」と何かを思って、行動したとしてもどうにもならないでしょ?
ただ、相手が自然だと思えば、もう受け入れるしかないし、怒りようも、悲しみようもない。
自然が相手なら「晴れたらラッキー」くらいの気持ちになれるし、感謝したくもなるものだ。
人間はたまたま、どういうわけだか知能が他の生物とちょっと違うだけという話だ。
「人間が自然の一部であること」は間違いないわけだ。
実際はこんな単純ではないが、だからこそ、人間はおもしろいのですよ。
せっかく思考する機能があるのだから、あらゆることを考えないのは損なような気がする。
こんな他愛のないことでも、考えはじめたら、無限に思考できる。
分からないから、人間は考えるのです。
ただ、答えは存在しません。
それでも思考してしまうのが、「自然の一部としての人間」なんだと思うし、なんともいえない可笑しさなのかもしれない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回の内容は、本日、ついさっき思いつき、書いたものです。
自分で書いておいて、こんなことを言うのは変かもしれませんが、「自分も他人も自然の一部」と思い至った瞬間に、妙な納得感がありました。
「そっか、そっか、そりゃあそうだ」というような感じで、納得すると同時に、思わず笑ってしまいました。
あくまで、今回の内容は私の考えに過ぎません。
この世界には色々な方がいるので、考えも千差万別だと思います。
ただ、もし対人関係に悩む方がいたなら、こんな考え方もありなんだと知っていただけたらと思い、キーボードを叩きました。
私も正直、対人関係はかなり考えてしまう方の部類の人間です。
ただ、私は、この考えに至った時、スッと肩の力が抜け、楽になったような気がしました。
こういうこともあるものだから、自分で思考することは決して無駄にはならないと私は思います。