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第6話 狩りをしない生き物

 悪魔がじろじろと男性を見るもんだから、すぐに気付かれてしまった。まだ火をつけて間もない彼のタバコからはゆるゆると煙が伸びている。指に挟んだそれをすっかり忘れてしまったかのように、名前も思い出せないその人は悪魔を見て、次に私を見た。


「気付いたようです」

「気付かせた、の間違いじゃない?」

「そんなことはありませんとも。しかしこのまま立ち去るのは失礼ですから、是非声をかけましょう。ええ、近づきましょう」


 いい香りがする、と漏らす悪魔を小突いて、仕方なく男性に会釈をした。戸惑いながらも片手を上げて応じた彼を置いて、何も無かったように立ち去ることはできない。

 気乗りしないまま近付く。ああ、こういうのは苦手だ。

 そもそも人と話すこと自体が苦手なのだ。それが小学校のクラスメイトだった人となれば尚更で、同窓会も徹底的に避けてきた。まあ、呼ばれることは少ないんだけど。


「どうも。あの、もしかして5年の時同じクラスだった……?」


 頷くと、彼はほっとしたように手を打った。

「ああやっぱり。誰かに似てるって思ったんだよなあ。全然変わってなくて助かった」

「そちらも全然変わりないね」

「あーそう? ガキん時は小柄でちょこまかしてたけどな、今じゃこんなにでかい図体になっちまって」

 確かに、小さくてすばしっこかった当時とは大違いだった。見ない間にぐんと身長が伸び、筋肉質になっている。隣でソワソワしている悪魔がいなかったら、間違いなく気付かなかっただろう。


「その点、そっちは全然変わってないなあ」

「根暗そうでしょ」

「大人しそうだ。で、なに、そちらは彼氏?」


 悪魔が嬉しそうに背筋を伸ばす。


「まさか。不動産屋の人」

「ああ、なるほどね。物件の下見か。そりゃご苦労さんだわ」


 心なしか不動産屋の背中が丸まった気がする。


「いやしかし懐かしいなあ。ここんとこ古い知り合いに会うことも少なくなってね、昔のことなんてぼろぼろ忘れていきそうでさ」

「私も、同級生に会うのなんて久しぶり」

「色々思い出しちまうなあ。俺らのクラスは騒がしかった」

 確かに、無駄に騒がしかった。私はそれに馴染むことが出来なくて、教室の隅で本ばかり読んでいた気がする。

 ふと気が向いて、彼の目を真っ直ぐ見てみた。



「みんなで図画工作の時間に作ったお皿、とか。懐かしいね」

「皿? そんなもんあったっけ」



 記憶力いいなあと呑気に笑っている。私も笑った。

「あとは……君が胃に穴を空けた時もあったっけ」

「あははは! あったあったそんな事! いやー懐かしい、あん時はみんなに馬鹿にされてなあ」



 あのお皿は一生懸命に作った自信作だった。休み時間になって私が手洗いに立った時、廊下ですれ違った彼はゲラゲラ笑いながら友達を追いかけていた。

 教室に戻ろうとすると入口に人だかりが出来ていて、誰かが先生を呼べと大騒ぎしていた気がする。嫌な予感がしていた。そしてそれは的中する。


 粉々になって見る影も無くなった私の皿を見ると、腹の奥が熱くなるような感覚に目眩がした。怒りなのか悲しみなのか、私には分からなかったけれど。



「悩みもなーんもないクソガキだったのにさあ、家に帰ったら腹が痛くて痛くて……病院行ったら、胃に穴だのストレスだの言われて俺がびっくりしたよ。分かんないもんだよな」


 ふふ、と笑う私の隣で、何も言わない悪魔は静かな笑顔を崩さない。

 私が覚えていて、かつ彼に投げかけられる話題はこのくらいだった。見計らったように男性のポケットから音楽が流れ始めたのに助けられて、じゃあまた、とあっさりした挨拶をする。

 口元を隠すような仕草をした彼は、そそくさと車内に戻っていった。

「満足しましたか?」

「そちらは?」

「私はもちろん、大満足ですとも」


 今にも舌舐めずりをしそうな悪魔を睨みつけて、サービスエリアへ歩き始めた。

 小さな皿のことなんて、壊された本人しか覚えていない。彼が胃に穴を空けたのを覚えているのは、私の悪魔がやったことだからだ。


「彼が死ぬのは、いつ?」

「今から50年後くらいが妥当だと考えています。胃ガンで命を落とすでしょう」

「ええー、なんで胃ガン?」

「私の趣味です」

 少し休んでサービスエリアの中を見物する間も、悪魔はずっと鼻をひくつかせていた。やめろ、と何度注意しても聞いてくれない。



 皿を割られたあの日、泣きながら包丁を畳に突き刺した。あの横暴なクラスメイトを何とかしてくれと頼み込んだ次の日、彼はなんと入院していたのである。

「内臓に穴を空けるくらい容易いことです。ええ、彼にはストレスのスの字も無いでしょうが、周りの大人は何やかんやと彼に構うようになると思いますよ。煩わしくて、多少は大人しくなるのではないでしょうか」

 というのが言い分だった。全く無茶苦茶だと子どもながらに思ったが、願いを叶えた悪魔があんまり上機嫌だったので、文句も何も出るはずがなかった。


「あなたがどうにかしてくれと願った人の命からのみ甘い香りがするのです。それはそれは、食欲をそそるようなね。その命が尽きる時に、我々は頂くことが出来る」

「私が選んだ生贄が食事だなんて」

「悪魔も大変でしょう? しかし何度も言いますが、願いを叶えたそばから殺して食ったりはしませんとも。その命が尽きるべき時に尽きさせ、頂くというのが決まりなのですから」


 故に彼が死ぬのは50年後というわけだ。



 車に戻って海へ再出発すると、悪魔の瞳は青空を写し取って微かな青色に染まる。

「しかし酷いですよ、何も本当に不動産屋にすることはないと思いますが」

「嘘でも彼氏だなんて言いたくないですー」

「私に対する扱いが酷いと思いませんか? あなたの貴重な理解者だというのに」

「あなたは、私のお願いを聞くことで食料調達をしたいだけでしょ」

 先程買ったご当地の飴を手に取ると、悪魔は片手だけで器用に袋を破った。

「それはそうですが、あなたは悪魔を呼べる貴重な人間なのです。その寿命が尽きるまで、我々はあなたの願いを叶え続け、いずれ食料となる命を確保し続ける」


 一生の付き合いなら理解者になるのも当然でしょう、と穏やかに口にして、そこへ飴を放り込んだ。



「あなたのような人との契約によって命を売ってもらわなくては、途切れることなく転生を続ける魂を食料にすることはできない。人間代表の願いを叶え、命を買う……まさに取引です」

「誰かに許可を貰わないと食事もままならないなんて、不便だね」

「神に愛されていない我々は、可哀想な生き物なんですよ」

 冗談めかして馬鹿なことを言う彼を無視して、目を閉じた。この話をすると整理がつかなくて混乱してしまうのは、魂とか転生とか、見るからに信憑性のない単語がばんばん並ぶからだ。



 この人の命は悪魔にあげてもいい、この人の命はダメなんて判断を下すことは出来ない。命の行く先なんて知ったこっちゃなくて、人の魂は延々と輪廻転生を続けていく、なーんて馬鹿馬鹿しい。

 私は今を生きていて、死んだ後の魂なんてものに現実味は一切ない。あなたは転生できませんよ、なんて告げられても大したショックはないだろう。記憶も何も引き継げない別人になるのなら、あってもなくても同じだ。

 だから、命を悪魔が食べようと食べまいと何も変わらない。

 他人の命を悪魔に渡すことに罪悪感もない。


 そう、罪悪感なんて私には。



「……いたた」

「どうしました?」

「いや、なんか頭が痛くて」

「無駄なことばかり考えるからですよ。今あなたがするべきなのは、高橋辰紀さんの過去を見る心の準備を進めることです」

「自分の過去のことも忘れちゃうのに、他人の過去と向き合えるかなあ」

 くすくすと笑う悪魔は、果たして私の心苦しさを理解しているのだろうか。


「案外好きな人の過去の方が、向き合いやすいのかも知れませんよ。ああそれにしても——」


 甘い香りを思い出すように、うっとりと言葉を紡ぐ。



「面白かった。あなたも先程の彼も、お互いの名前を思い出せないものなんですねえ」







○資料請求届

  資料番号 No.211bV

  資料タイトル 『高橋辰紀タカハシ タツキ

  請求理由 提示資料No.301b の補完の為

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