第5話 命の味を知りたい
「おにぎりは……鮭と?」
「チャーハン」
「ツナマヨじゃないんですね。好みが変わりましたか?」
にこにこと問う悪魔を軽く睨んで、私はお茶を選ぶことにした。しっかり好みを把握されているのが腹立たしくて、2番目に好きなおにぎりを選んだのだ。
そんなこと、悪魔にはお見通しだろうが。
飲み慣れたお茶を選んで戻ると、悪魔はツナマヨをカゴに放り込んでいるところだった。それもなんだかムカつく。
「お菓子は選びましたか?」
「いいよ、子どもの遠足じゃあるまいし」
「ドライブと言ったらお菓子でしょう」
と、勝手にグミも放り込む。全て悪魔が経費で落とすのだが、それにしたってこれはどうかと思う。
昼食に、お茶に、レンタカー。
「これはどういうことなんだろうなあ」
過去最高に期限の良さそうなスーツの背中を眺めながら、聞こえるようにため息をついた。
天気は最高、これ以上ないドライブ日和だった。もちろん今日は海の色も美しいだろう。
朝早くに叩き起されたかと思えば、用意していたレンタカーに詰め込まれて今に至る。コンビニで買った朝ごはんのサンドイッチを死んだ顔で頬張りながら、休まず喋り続ける悪魔を横目で見た。
めちゃくちゃ楽しそうだ。
「いやしかし、天気に恵まれて良かったです。良いデートになりそうですね!」
「今デートっつった? 聞き間違いかな」
「はっきり申し上げましたとも。傍から見ればデートにしか見えないでしょう」
「いや、そんなかっちりしたスーツを来てるんだから、見えるとしたら不動産屋と内見しに行く客ってところだと思う。そうじゃなきゃ困るんだけど」
「そんなに嫌ですか?」
肩を竦めて返事をする。もちろん嫌じゃないわけがない。唯一の救いと言えば、海へ遠出をするなら高橋さんにうっかり遭遇してしまう心配がない点だ。
そして、高橋さんの彼女にも。
「向かっている町は高橋辰紀さんが生まれ育った場所です。彼はそこで学生生活のすべてを過ごし、就職をしました。一年後には転勤を熱望して引越し、グリーンハイツに住まいを移して今に至ります」
「またその場に行くの? 昨日の喫茶店みたいに」
「我々が映像資料を再生するには、資料がある場所に赴かなくてはならないのです」
何度目か分からないため息をつきながら助手席に沈む。目の前には否応なく青い空が広がっていて、自分がこのまま眠気とともに溶けていくんじゃないかとさえ思った。
高橋さんが生まれ育った場所、かあ。
自分で望んだことなのだから当然見てみたいと思う。それと同時に、彼の家庭事情を知ることは少しだけ怖かった。
私は悪魔のおかげで幸せな家で育つことが出来たけど、たまたま恵まれただけだと分かっているし、それがズルい事だとも理解している。もしあなたが過酷な過去を負っていて、私の中身を知って失望したり憎んだりしたらどう言い訳をしたらいいのか分からない。
こんな気持ちでいたらダメなのに。
「ねえ、悪魔に家族とかいるの」
「え」
「悪魔一家? なんかダサい」
「いませんよそんなの、馬鹿にしてるんですか」
言葉とは裏腹に、当の悪魔はおかしなことを言うなあと笑った。
「人間じゃないんですから、我々に家族も何もありませんよ。あるのは仕事と食事、趣味だけです」
「じゃあ母親も父親もいないわけ」
「あはは、あなたが我々に興味を示したのは初めてじゃないですか?」
遠回しにはぐらかされているのかとも思ったけれど、悪魔に限ってそんなことはなく、純粋に喜んでいるように見えた。
「悪魔に生殖はありません。我々はただ生まれ、死なないように活動する命。親はありませんが、言うならば悪魔は皆兄弟と言えるかも知れませんね」
「どうやって増えるのさ……もしかしてアメーバみたいに分裂して」
「残念ながらそんな面白いことは出来ません。我々は人から生まれるのだから」
ふむ、と頷く。
「アメーバと同じくらい、気持ち悪いね」
「人間から人間が生まれる方が気持ち悪いですよ」
不機嫌だったはずなのに、思わず笑みがこぼれた。
感情豊かで繊細だった母親と、弁が立ち真っ直ぐだった父親。2人がぶつかることもあったけれど、私は幸せな家庭で育った。
間違いなく幸せだった。間違いなく。
「ねえ、高橋さんは幸せな家庭で育ったのかな」
「見れば分かりますよ。悪魔はあなたが望むものを用意します」
「そうだね」
悪魔が私を裏切らなかったから、今もこうして生きているのかもしれない。願うたびにたくさんの幸せをもらったのだ。
なんだか楽になった気がする、と口に出してみた。延々と喋り続けていた悪魔はその時だけ返事をせず、そっと微笑むだけだった。
車は海へと向かう。流れていく高速道路の風景は穏やかだった。スピードは緩やかに落ち、私を乗せた悪魔の車は休憩のためにサービスエリアへと吸い込まれていく。
「さあ、早く降りましょう」
「……? いいけど」
車から降りて背伸びをするとやっと目覚めた脳に酸素が通うようだった。排気ガス混じりの空気すら清々しい。
たまにはこうして遠出するのも、いいかも。
のんびりサービスエリアへ歩き始めると、後ろを付いてきていた悪魔が「おっ」と愉快そうな声を上げた。
「ああやっぱり、見てください。気配がすると思ったんだ」
指さす先に目をやると、一台のトラックが泊まっていた。休憩中なのだろう、車体に寄りかかるようにして煙草をふかしている男性が見える。
「あれは……もしかして」
「ええ、そうです。彼を覚えているでしょう?」
「もちろん。名前は……ちょっと思い出せないけど」
「相変わず同じ人間に対する扱いが酷いな、あなたという人は」
名前は思い出せなくても誰かは分かる。あの男性は私と同い年で、同じ小学校に通っていた。
やんちゃだった彼が、私の工作作品を壊した。その時悪魔に願ったのだ。あの暴れん坊なクラスメイトをどうにかしてくれって。