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第1話 悪魔資料の欠点

「グリーンハイツ203号室に住み、猫とバスケットが好きな社会人、と。お名前は高橋辰紀タカハシタツキさんで間違いないですね」

「えっ」

「え?」


 いつの間にか小さな冊子を手にしていた悪魔は、驚いて私の顔を見つめている。

「あれ、もしかして間違ってました? まあ資料を作るのも同じ悪魔ですから、誤植くらいはよくあることですが……」

 しかし、と顔を歪める。

「こういう基礎データから間違いがあるとなると腹が立ちますよ。現地で使えない資料を寄越す役所はそも、役所として、」

「違う違う違う、そうじゃないのごめんなさい。間違ってないです」

「おや、ならいいのですが」


 コピー用紙で作られた粗末な資料を手にしている悪魔は、あっさりとストレスの元になっている役所への不満を収めてくれた。

「しかし、どうして驚いたのですか? 間違いがないとなると……」

「いや普通に知らなくて」

「何を」

「高橋さんの名前を」


 もちろん郵便受けには苗字しか記載しないし、殆ど接点を持たない私は、彼の下の名前すら知らなかった。

 タカハシ、タツキと心の中で言葉を転がす。馴染みのない響きに浮ついて、ぺしぺしを頬を叩いた。



 これが、あなたの名前。

 知った瞬間に、ぼやけていた彼の姿がくっきりとした輪郭を持つ。私は人間のことを知ろうとしている。



「落ち着きました? お隣の高橋辰紀さんで間違いないですね?」

「ない、ないです」

「宜しい。誕生日は5月5日、ちょうど今日ですね。もしかするとこれはご存知で?」

 頷くと、悪魔も淡々と頷いた。そういうこともあるでしょうと付け加える。彼は事実に柔軟だった。


 手にしている紙にはなにやらびっしりと文字が書き込まれていて、私では読む気などすぐに失ってしまいそうだった。そもそも悪魔はこういった資料を人間に見せようとはしないのだが。



「それでは早速仕事を始めたいのですが、何から何まで知りたいとなると……どこから情報開示をすればいいものか」

 人間の情報は一個人のものでも膨大なんですよ、と言う。

「本当にすべてを語るとなれば、あなたはすぐに死んでしまうでしょう」

「それは困る」



 何を真っ先に知りたいのかを探るため、私は改めて、高橋さんの姿を思い浮かべることにした。

 仕事から帰ってきて気だるげに階段を上がる姿。彼は大抵夜遅くに帰宅するので、その頃を見計らってコンビニへ出かけていた。

 ああ、こんばんはと小さく笑う顔、声。近くの古びた電灯には蛾が集っている。手から提げたビニール袋には何本かの缶と弁当らしきシルエットが透けていた。

 もごもごと返事をするしかなかった自分を毎回悔やんだ。笑顔のひとつも咄嗟に返せないのか、と。彼とすれ違うために外出したのに、いつまで経っても上手く出来ないなんて、不甲斐なくて。


 そんな日常がだらだらと続いて、いつかふっと途切れてしまった時に、死ぬほどじゃないけど虚しくなるような自分に吐き気がして。



「……じゃあ、好きなものとか」

「はい?」

「高橋さんの好きなもの……食べ物でもなんでもいいから、好きなものを教えて」

「なるほど、分かりました。まるで下手くそなお見合いですね」

「一言多いんだけど」

 失礼、と慣れたように謝りながら、悪魔は何枚か紙をめくった。


「それではお教えしましょう。彼の好きな物を、じっくりと」






 小学生の時は少年バスケットクラブに所属していた高橋さんは、何故か、中学に上がると頭を丸刈りにして野球部に入った。よくある周りの雰囲気とか友達と一緒にだとか、そういうものに流されたらしい。


 運動神経が良くてどのスポーツもそこそこ上手くできたけれど、高校生になるとバスケット部に所属して落ち着いた。大学に進んでもこのスポーツを続けていたあたり、やっぱり野球は気の迷いだったと気付いたのかも知れない。


「本心は分かりませんが、大学の友人には、やはり野球よりバスケだと話していたとの記録があります」

「悪魔の資料、すごい」

「そうでもありませんよ。穴だらけの資料を、さらに私がかいつまんで話しているのですから」


 えへんと咳払いをして、悪魔は話を続ける。

 好きな動物は猫で、嫌いな動物はトド。山より海、コーヒーより紅茶が好きで、趣味はUFOキャッチャー。

「UFOキャッチャー!」

「反応するのはそこですか」

「いきなり親しみある趣味が出てきて……まあ、ああいうゲームは苦手だけど、オタクに近い空気があると安心するっていうか」

「そういうこともあるでしょう。彼はインドアが好きな方ですよ。活発に出かけるよりは、家やカフェでのんびりすることを好んでいたようです」

「インドア寄りのアウトドアだ」


 ここ最近で一番テンションが上がっている私は、もっと話せと急かした。


「はいはい。そうですね……UFOキャッチャーが好きと言いましたが、獲得したものをコレクションとして並べて置くことも好きだったようです。手のひらサイズのフィギュアが多かったとか」

「おお……」

「好きなものの大まかなところは、このくらいでしょうか。言っておきますが、紙の資料は穴だらけです」

「十分すごいと思うけど……」

「いいえ、大切なものが抜けているでしょう?」


 特にからかっている風でもない悪魔の顔を見て、真剣に考えてみる。好きな食べ物にスポーツ、趣味も分かったし、海か山かみたいなありきたりな質問にどう答えるのかも知ってしまった。

 他に何が足りないというのだろう? あまり人とコミュニケーションを取らない私では、このくらいが限界なのである。


「ええと、好きな本とかあるのかな」

「活字は書くのも読むのも苦手としていたようです。日記はつけていたようですが、私とは趣味が合わなそうですね」

「ええーと、好きな音楽……」

「JPOPと類されるものですね。アーティスト名は、」

 羅列された名前が、いかにも一般人らしくて目眩がした。



 ダメだ、まったく分からない。そもそも人間では、悪魔の欠陥なんて見抜くことが出来ないのでは?

 大人しくそう告げると、悪魔は真顔のまま頷いた。



「ここには当人の感情が書かれていません。高橋辰紀さんが好きなものは、好んでいたという理由で記載されていますが、しかしどんな気持ちで好きだったのかはあまり書かれないんですよ」

「資料ってそんなものじゃない?」

「ええ、そうかもしれませんが、人間を記録するものとしては大きな欠陥なのです」



 ネクタイをきゅっと締め直すと、襟を正す仕草をする。いかにも、ここからが本題なのですとでも言いたげだ。


「そう、ここからが本題です」

「時折ひとの心を読むのはやめた方がいい」

「失礼。さて、早速ですが出かける準備を。今日は外に出るONの日ですよ、インドアな人間さん」


 今まで何度も悪魔を呼んだけれど、こんなにノリノリでどこかへ行けとか何をしろとか、私に意見を言うことはなかった。驚いて、外出の面倒くささが一瞬だけ吹き飛ぶ。

「どこ行くの?」

「高橋さんが通っていたカフェです」

「エッ」

 腹の奥の方がひゅっと縮こまる。もし、もしも高橋さんと鉢合わせしてしまったらどうするつもりなんだろう……!? 私は焦って何も言えないだろうし、悪魔に対応をお願いするのは危険すぎる。何よりこいつは普通に人間の目に見える生き物なのだ。

 彼氏とでも思われてしまったら……。


「死ぬやん……」

「まだ死にませんとも。さあ、席を外しますので準備をお願いします。紙資料には載っていない、人間の感情をお見せします」

「そんなこと出来るの?」


 いそいそと押し入れを(勝手に)開けて中に入りながら、悪魔は機嫌も良さそうに返事をする。


「紙資料の不足は映像資料で補うもの。思い出深いところへ行けば、当人の記憶を引き出してお見せすることが出来るのです」

「高橋さんの記憶を……?」

「ええ、ですから準備をお願いします。私はこの中でお待ちしておりますので。覗きとか、しませんので」

 私がしていることが何かを思い出させたところで、ピシャリとふすまは閉じられ、彼の純粋そうな笑顔も消えた。



「まさに悪魔の所業、でしょう?」


 押し入れの中から聞こえるくぐもった声を無視して、服を引っ張り出す。心を読むなと注意しても、さっぱり言うことを聞かないのが悪魔というものなのだ。






○資料請求届

  資料番号 No.277bV

  資料タイトル 『高橋辰紀タカハシ タツキ

  請求理由 提示資料No.301b の補完の為

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