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プロローグ 悪魔を呼ぶ方法

包丁と畳を用意してからお読み下さい。

 近くに住んでいるのにほとんど関わりがない人間は誰にでもいるもので、私にとっては隣に住む高橋さんがそうだった。

 稀にアパートの通路ですれ違う時にしか顔を見ないその人は、部屋で騒ぐわけでもなく、取り立てて目立ったところがない。一体どんな性格で、何が好きで、必ずつけているイヤホンからはどんな音楽が流れているのかも知らない。ごく一般的な隣人というわけだ。


 ところで話は変わるけれど、私はなんと悪魔を呼ぶことが出来る。


 初めて呼んだのは確か、小学5年生の夏だった気がする。それ以来私は、部屋に他人さえいなければいつだって彼を出現させることが出来た。必要なものはたったの2つ。包丁と畳、それだけだ。

 いつもは主にキャベツを切り刻んでいる包丁を手に取ると、小さな和室の真ん中に座り込んだ。刃を地面に向けて両手で握りしめると、なんだか本当に人を殺すような気分になってくるから不思議だ。


 カチ、カチと掛け時計の音。上の階からは微かな足音。南向きの窓からは暖かな日差しが降り注ぎ、私のまつげを柔らかく包む。


 友達も彼氏もいない私だけど、時折身を焦がすような人恋しさに襲われることもある。誰かと一緒にいたいような、独りきりで死にたいような、曖昧でどっちつかずの感情。

 誰だって少しは味わったこともあるだろうそれに気が狂いそうになると、こうして包丁を手にしたくなる。何かを終わらせてやろうというやけっぱちな気持ちと、ここから何かが始まるんだという期待に刃先が震える。


 深く息を吸い込んで、汗で滑る包丁を軽く振り上げた。一瞬強く光を反射した刃に後悔が掠める。

 もう止められない。



 ザク、と音を立て、包丁は突き刺さった。



「まあ確かに、刺さった包丁っていうのはシンボリックかもしれないなあ……ああどうも、勝手に心を読んですみません。どうも、私は悪魔です」


 ぴしりとスーツを着た若い男が、いつの間にか包丁を挟んで向かい合うように正座していた。見慣れた人の良さそうな笑顔に胸焼けがする。


「今回もご利用ありがとうございます。我々悪魔は、あなたの願いを何でも叶えます」

「じゃあ、頼みがあるんだけど」

「どうぞどうぞ」


 確かに刺さったままの刃物はシンボルみたいだ。何の、と問われれば、間違いなく私の愚行のシンボルに他ならない。



「高橋さんのことが知りたいの」



 言ってしまった。

 口の中が乾いていて、言葉には感情がない。我ながら酷く無機質に言葉を紡いでいる。


「ほう……タカハシサンと言いますと、隣にお住まいの方ですね。どこまで知りたいんです?」

「何から、何まで」

「なるほどなるほど」

 結構です、と悪魔は微笑む。

「それでは、契約内容のご確認をお願いします」





 まず、と悪魔は口を開く。私としては何度も聞かされた話を繰り返すだけなので、かなり退屈な時間だ。


「我々悪魔は人間に関与することしか出来ません。明日の天気を雨にしろだとか、枯れたアサガオをどうにかしろとか言われても困りますのでお気をつけて」

「私のことまだ小学生だと思ってない?」

「良いですか、雨だったら運動会は体育館で行われますし、アサガオには毎日水をやらなければどうしようもないのです」

「話聞いてる?」


 まったく聞いていない悪魔は、次に、と勝手に話を進める。


「我々悪魔は、人間の過去、前世、現世、来世に関与することが出来ます」

「逆に言えば来来世はダメって言うんでしょ」

「その通り。前前前世はもちろん無理ですので」

「それは言ったらあかんやつ」


 さらっとボケた悪魔は、最後に、とさらに続ける。


「お代はいつも通り頂きます。なお、契約が完了した時点ですぐさまお支払い頂きますのでそのつもりで」

 私は無言で頷いた。もう何度も支払ってきた対価だ、いまさら何を恐れるというのだろう。


「確認は以上です。包丁を抜いて下されば契約は成立です。どうぞどうぞ、いつも通りスパッとどうぞ」

「なんか急かしてない?」

「まさか。契約はスピーディーに、というのが悪魔のモットーでして」

「クーリングオフは許さないくせに」

「良いではないですか、我々はきちんと報酬ぶん働きます」


 今まで何度悪魔に仕事を頼んだかは覚えてないけれど、この人の良さそうな生き物は嘘をつかない。対価さえ支払えば誠実で、そこそこ勤勉だった。人間よりもずっと信頼出来るのが、悪魔というものなのだ。


 そもそも、ここでやめる気にはなれなかった。私は自分を制御しきれていない。

 あなたを知りたいという欲求が、抑えきれない。


「分かってるよ、今抜くから」

「ではどうぞ」

 悪魔はにこにこしながら私を見つめている。包丁の柄に手をかけると、お早くどうぞ、と小煩く言葉で追撃してくるのは悪魔の悪い癖だ。そんなに急かさなくったって、結局私はこれを抜いてしまうし、また悪魔に頼るのだから。


 さようならと心の中で呟いて、包丁を引き抜いた。あまりに簡単に、呆気なく畳から離れた刃物は役目を失って、またキャベツを切り刻む毎日へ戻っていく。


 悪魔は微笑んだ。

「お代は頂きました。それでは早速始めましょう」


 恋をするための日々を、今ここから。






○資料請求届

  資料番号 No.000b

  資料タイトル 『高橋辰紀タカハシ タツキ

  請求理由 No.301b作成の為

  作成予定資料名 『綺麗な春の喰い方』

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