花と引っ越し
三日後の朝、きれいに片付けられた部屋を見て小太郎は一人で満足していた。掃除するまでは億劫に思うがやりはじめたら徹底的にやるのが小太郎の性格だった、そのため部屋は見違えるほどにきれいになっている。これでいつでも雨音を向かえ入れられる。
雨音は今日の正午ごろやってくる予定だ。荷物は段ボール二つほどにまとめられて先に小太郎の家に送られてきている。
その段ボールと共に一通の手紙が送られてきた、それは小太郎の兄とその妻からだった。手紙には小太郎に対する感謝がつらつらと書かれており文の最後に娘をどうか頼むと締め括られていた。
未成年のましてや兄の娘、小太郎の責任は重大である。人様の大切な子供を預かるからにはきちんとした生活を保証せねばならない、もう今までのような自堕落な生活は送れまい。
そうこうしているうちに軽やかなインターフォンの音が部屋に響いた、きっと雨音だろう。
「はい」
ドアを開けるとそこにはやはり雨音が立っていた。雨音は小太郎を見るとにっこりと笑った。
「こんにちは!今日からよろしくお願いします!」
こんなにも溌剌とした人間としばらくの間関わりを持っていなかったのでどう接してよいか分からずに「お、おう……」としか言えなかった。
雨音はあまり兄に似ていないと感じた。きっと母親に似ているのだろう、会ったことがあるはずだが顔を思い出すことはできなかった。もう何年も会っていないからだろう。そういえば正月でさえもしばらく実家に帰っていない、ブラック企業での働きづめで心身ともに疲れ果てようやくの休みが正月くらいだったのだ。行きたくてもいけない状況だ。
両親には一応電話で新年の挨拶くらいはしたがたまには顔も見ておきたいものだ。だから今年の正月は会いに行こうと計画している。
雨音を中へ通す、空き部屋だったところを雨音の部屋にすることになった。
「ここが君の部屋になるから、荷物置いていいよ」
「部屋ですか?いいんですか!?」
「うん使ってない部屋だったしね」
「ありがとうございます!」
雨音は手に提げていた赤色のボストンバッグを床において部屋を見渡して「わあ~」と感嘆の声を上げている。喜んでもらえてなによりだ。
さすがにお互いプライベートの空間が必要だと思い入居してから一度も使っていなくて埃だらけのこの部屋を昨日掃除しておいたのだ。
「好きに使っていいからね」
「はい!」
何だろう、見た目は母親に似ているが中身は限りなく父親に似ていると思う。喜び方や溌剌とした所など昔の兄とそっくりだった、いや今も兄は全く変わっていないと思うが。
「雨音ちゃん、お腹すいてない?」
「大丈夫です、家で食べてきましたから」
「そうか、喉は渇いてない?」
「あー……少し渇きました」
「じゃあこっちおいで」
「はい!」
何かジュースとかあっただろうか。そう思いながら冷蔵庫を開けると残念ながら何もなかった。小太郎はそっと扉を閉めた。
結局紅茶が飲めると言うのでパックの紅茶を入れて渡した。
「ありがとうございます、いただきます」
きちんとお礼を言って飲む辺り育ちが良いなと思った。
「あのさ、敬語とか使わなくていいから」
「へ?何でですか?」
「いや、俺と雨音ちゃんは身内だろ?だから敬語とかやめよう」
「……はい!そうですねっ……じゃなかった、そうだね!」
小太郎はそんな雨音を見て何度も頷いた。堅苦しいのは嫌いだ、ましてやこれから一緒に暮らすのだから他人行儀なのも息が詰まりそうで嫌だ。雨音がどう思っているのかは知らないが少なくとも小太郎はそう考えていた。
そういえば雨音に会うのは何年ぶりだろうか。少なくともこんなに大きくなった雨音を見たことはない。最初会ったとき誰か分からなかった。
「雨音ちゃんは今何歳?」
「十五歳」
「十五歳かあ……若いなあ」
「叔父さんもまだまだ若いっすよ」
「いやいや俺なんてもう三十路だよ?」
「お父さんに比べたらまだまだ若いっす」
ふと雨音の口調に違和感を覚えた。
「なんかこの短時間で話し方変わったか?」
「何かいきなり砕けた話し方もあれなんで……ちょっと敬語を柔らかくしてみたんすよ、どうすかね?」
一見してみれば見た目と話し方がちぐはぐな気もするがまあ悪くはないだろう、何より敬語をやめろと言ったのは自分だ。
「まあ、いいんじゃない?」
「本当っすか?」
「ああ」
「あーよかった!」
雨音は紅茶を一気に飲み干すとため息をひとつ吐いた。その行動がおよそ十五歳の少女のするものではなく中年男性のようで少し笑えた。頭の中で元上司のビールを飲んでいるときの場面が浮かんだ。
「ちょっと不安だったんすよ、断られたらどうしようって」
「まあ本当は断る予定だったんだかな」
そう答えると雨音は苦笑した。
「私高校は絶対にここにいきたいというところがあって……無事受かったんすけど急にお父さんの転勤が決まってそれで子供みたいに駄々をこねたんすよ、どうにかわかってもらえて訪ねてきたのが叔父さんの所ってわけなんすよ」
「なるほどねぇ」
いきたかった高校にようやく進学できたのに転校するのは辛いだろう。また父親である兄も娘の悲しむ姿は見たくなかったのだろう、だからあそこまで必死に弟である小太郎にお願いしたのだ。
「だから叔父さんのお陰なんすよ!本当に感謝してるっす!」
「お、おう……そうか」
ここまで人から感謝されることは今までになかったので何となく照れ臭い。
「今日からお願いします!」
「こちらこそ」
こうして二人の共同生活が幕を開けたのだった。