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兆候

これくらいのスキンシップはいつものことなのだろう、二人とも別に喧嘩とかそういったものだとは思っていないみたいだ。兄弟もいない僕にとっては、二人みたいな関係は本の世界の中だけのものだったが、実際に見ると少しうらやましい気もした。


「えっと、だいぶ話がそれちゃったんだけど、質問はない。」


気を取り直した神崎さんが話し始めた。


「温泉って混浴か。」


泰介がまたしても質問した。こいつは学習能力がないのか、わざとなのか。きっとわざとだろうけど。でもきっと男女で温泉旅行などと言えば、これが当然なのかもしれないとも思う。


「温泉は、露天風呂が混浴だね。」


賀川岬が答えた。神崎さんは疲れたのか、さっきみたいに過剰反応は示さなかった。

温泉か、すごく楽しみだ。僕は温泉に目が無い。ひとたび旅行に行けば、一日5回は入る。

中学の旅行でも、一人で何回も風呂に入ったものだ。


「九州は観光名所もあるし、食べ物もおいしいから楽しみにしててね。」


神崎さんがまとめた。「それじゃあ旅行についてはまた追って連絡するね。」と賀川岬が締めた。



親睦を深める為に4人で遊びに行こうと言う神崎さんの提案を振り切って、僕は家路を急いでいた。

何故急ぐのかと問われれば、藤沢さんからの電話が来る日だからだ。


藤沢さんは1ヶ月に一回、必ず電話をくれる。

遺産の管理の話から、日常の生活の話を僕に聞くためだ。

この習慣は、僕が一人暮らしを始めてからずっと続けられてきている。


家についてから15分もすると、電話の電子音が鳴り響いた。


「もしもし。」


『藤沢です、総さん。』


藤沢さんは僕が5歳の時から「総さん」と呼ぶ。初めて藤沢さんにであった時は、いきなりの挨拶からすべてが敬語で、5歳の僕は苦手だったように思う。

藤沢誠(ふじさわまこと)さんは冴木グループ創設時からの専属税理士だ。確かなことはわからないが、40前後だったと思う。背が高く、全体的にほっそりした体格。そして真面目を絵に描いたようなメガネに、切れ長の目。当時の僕が苦手と感じるのには十分な条件が揃っている。


『今月はいかがお過ごしでしたか。何か不都合な点などなかったでしょうか。』


まるで業務連絡だ。いや、藤沢さんにしたら業務の一貫なのだろうから当たり前だ。


「そうですね、いつもどおり通院しましたし、生活のほうもこれといった不満はありません。」


お互いが仕事と割り切ったような会話は続く。5歳から続くこの一連の会話は、きっと端から聞いたらなんとも味気ない会話だろう。実際僕も最初のうちはこの電話が嫌でしかたがなかった。何か査定を受けているような、診断されているような気分になるからだ。

しかし、数年もこの行事が続くと、僕の感じ方は変わった。

両親が他界してからというもの、僕のそばには誰もいなかったし、寄ってくる人たちは下心あるような人ばかりだったから、世界に僕は一人だけなんだと感じずにはいられなかった。両親にこの世界に取り残されてしまったという感覚は抜けることはなかった。

そんな僕は、毎月くるこの電話が、「一人じゃない」って言ってくれているみたいで嬉しく思えるようになった。

決して感情を表に出さない藤沢さんだが、長く付き合えば彼がどんな調子なのかは、声からだけでも判断できるようにまでなってきていた。疲れていたりすればすぐにでもわかるし、喜んでいる時は最初はわかりにくかったが最近わかるようになった。


「藤沢さん、実は今度の夏休みに友達と旅行に行くことになりまして、少し入用になりそうなのでお金を下ろすことになりそうです。」


『・・・わかりました。旅行はどこに行かれるのですか。』


最初の間があるときは藤沢さんが少し意外に思った時に他ならない。僕は子供の時にテストで良い点を取った事を勇気を出して藤沢さんに報告したときのことを思い出した。あの時も今みたいに少し黙ってから返事をしてくれたからだ。


「九州に3泊ほどしてくることになったんだ、男女4人でいってくるね。」


『・・・そうですか。それではもう一つの口座にいつもよりも少し多めに入れておきます。』


少し声のトーンが上がった。これは藤沢さんの意外に思った事が良い事だった証拠だ。

思えば友達と遊びに行くって報告したのは初めてだったかもしれない。


『それでは、また電話します。』


「はい、藤沢さん。いつもありがとうございます。」


いつもは言わない感謝の言葉がさらっと出た。いつも間髪入れずに切れる電話が、少し間を開けてから切れた。僕は何か爽快な気持ちで受話器を置いた。




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