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八章

こんばんは。

 マルタは自身の体を覆うように展開する熱障壁によって攻撃を防いだ。


「ははっ! まさか、きみが第二世代ジェノサイドとはね」


 イヴァンはすれ違った時点で、マルタを凍り漬けにするつもりだったのだろう。驚きの声をあげる。


 それでも、珍しいものを見たという程度の反応だ。


 ありがたい、とマルタは思う。


 マルタの力は、より狭く、近く、範囲を絞れば絞るほど、その精度、温度が上がっていき、ふれた物であれば鋼鉄すら容易に溶かしきる。


 その数千度を超えた熱掌を、イヴァンの胴体へ放つ。


「その手には触れない方が良さそうだ」


 しかし、直前に腕を掴まれ、いなされ、マルタは腹に膝蹴りを喰らった。


 こちらの情報をなにひとつ持っていないはずだというのに。


「ぐうぅ…………!」


 あまりの痛みに嘔吐しながらも、マルタは全身から熱放射する。


 時間をかけられない。すべてを出し切って殺す。


 少ない手の内を知られれば勝ち目はない。


「!」


 とっさに氷の防護壁を展開させたイヴァンを追撃しようとするが、近くの部屋から物音を聞きつけた敵が出てきた。


 マルタは舌打ちして、近くのドアの電子ロックをショートさせ、室内へ飛び込む。


 口の中が気持ち悪いが、うがいなどしている場合ではない。


 マルタは、そのまま部屋の奥まで走り、カーテンごと窓ガラスを溶かしきるとベランダへ出る。


 どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする。


 先ほどの数手でわかったが、マルタとイヴァンの能力はそれぞれがお互いの長所を打ち消す。


 その上、不意を突けなければ、訓練された男と、ただの子供である。


 この圧倒的不利な状況でどう勝てばいい。


 勝てるはずがない。


 怖い。逃げ出したい。


『大丈夫。姉さんは大丈夫だから』


 まだマルタがひとだったころ、暴動が起こった最初の夜。


 外から狂ったような叫び声や悲鳴が聞こえた。


 そんなとき、妹は眠れないマルタを一晩中抱きしめてくれた。


 そうだ――――――――。


 自分はなにを勘違いしていたのだろう。


 勝てるとか、怖いとかおこがましい。


 ちがうのだ。


 マルタの目的はそういうのじゃない。


 部屋の中からサブマシンガンで発砲されるが、その頃にはマルタは下の階のベランダへ飛び降り、そのまま窓を溶かし部屋へ侵入している。


 そのまま騒ぐ宿泊客を無視して、廊下へ出るとエレベーターまで走る。


 ここまで少し予定が狂ったが問題ない。



 頬を火傷していた。


 力を使って防いだはずが、傷を負っていたのだ。


 イヴァンは空気中の水分を凍らせ、自身の防御に当てることができるが、あの少女はダメージを受けてなお、それを一瞬で蒸発させた。


 治安部隊が増援にかけつけなければ、深手を負っていたかもしれない。


 フロアは銃声や男の声が響いていたが、イヴァンはその場に立ちつくしていた。


 そんなはずがない。


 自分がたかが小娘に負けることなどあり得ない。


「おい、貴様どういうつもりだ」


 しばらくすると、味方であるはずの治安部隊隊員から銃を向けられた。


 隊員が出てきたのは、先ほどイヴァンが殺した隊長だったものが転がっている部屋だ。


 その死因などを見れば、彼に殺されたことなど一目瞭然だったろう。


 イヴァンを囲む隊員たちの表情は怒りに満ちており、間違った返答をすれば即刻蜂の巣にされてもおかしくはなかった。


 が、すでに隊員たちは、いやフロアのほとんどが、凍結し始めていた。


「くそっ、化け物がっ」


 言い残して男の首が砕け落ちる。


「ふざけるなよ」


 誰もいなくなった廊下で、イヴァンはつぶやいた。


「僕に勝てるやつなどいるはずがない」


 イヴァンは、まだ生きているはずの女を追うため、エレベーターへ向かう。


「聞こえているか」


 その間に、死体から奪った無線で、外にいる治安部隊の隊員たちへ有無を言わせず指示を出す。


「これから、ホテルの外に出る者は皆殺しにしろ。しなければきみたちを殺す」


 エレベーターの階数表示を見ると、フロントまで進み停まった。


 外の奴らがどれくらい役に立つかはわからないが、足止めくらいにはなるだろう。


 彼のなかで、階段を使って降りるという選択肢はなかったが、それが仇になった。


 ようやくやってきたエレベーターに誰もいないことを確認してからイヴァンが乗ると、扉が閉まった直後に、すさまじい浮遊感を感じる。


「へ?」


 その数秒後に彼はエレベーターごと最下層にたたきつけられ即死した。



「そう、殺せればいいのよ」


 それだけが唯一の目的であり、償いなのだから。


 エレベーターシャフトにあるはしごに、なんとかつかまったまま、マルタはため息をついた。


 ホテル内にはまだ敵が複数潜んでいてもおかしくはないが、疲れた。


 エレベーターシャフトから、扉を開けて一層下のフロアへ出ると、その場に座り込んでしまった。たった数分の出来事だったにもかかわらず、緊張が解けたからか全身に力が入らない。


「あ…………」


 オーバーヒートするほど力を酷使したわけでもないというのに。


 こうしていても、助けなどこないが、腰が抜けて立つこともできなかった。


 それでもべつに良かった。妹に、エマに会えばまた怖がらせてしまう。


 それは嫌だ。


 ここで死んでしまえば、もう二度とそんなことはない。


 だから、その足音が聞こえたとき、マルタは動かなかった。


「まさか、お前が第二世代ジェノサイドだったとはな、たいしたルームサービスだぜ」


 その声には覚えがあった。


 エレベーターの前で警備をしていた男のものだ。


「撃ちなさいよ」


 マルタは男を見向きもせずにそういった。


「はあ? なんでだよ」


 だが、それに男の方が疑問を呈する。


「それがアンタたちの仕事でしょう。ほら、早く」


 マルタは男に向かって両手を広げるが、発砲するどころか銃を構えもしない。


「お前を殺す理由がない」


「アンタ敵でしょうが」


「俺の仕事は糞野郎のお守りさ。そいつもアンタが殺したろ」


 やる気がないにしてもほどがある。


「だいたい、俺にはお前くらいのガキがいるんだ。理由もなく殺せるか」


「私はもう何人もひとを殺してる化け物よ」


「ったく、近頃のガキはなんなんだ? 死にたがりか?」


 話しているうちに、もう片方のエレベーターの階数表示が動き、フロントからあがってきているのが見て取れた。


 すると、男はマルタに肩を貸す。


「ちょっと!?」


「化け物でもなんでもいい。なんせお前は仲間を仇をとってくれた恩人」


 しかし、男の言葉は途中でとぎれ、マルタはまた床に放り出された。


「!?」


 先ほどまで笑っていた男は、目を開けたまま血だまりに沈み、そして背後でアフリカ系の男が拳銃を構えていた。


 男は無言で発砲してくるが、マルタは無意識に熱障壁を展開させ、その弾丸を溶かす。


「困るな、そういうのは」


 男のラフな格好から、治安部隊には見えない。


 だが、マルタに殺意を持っているのはわかった。


「殺して欲しいんじゃなかったのか?」


「………………………………っ」


「お前たちみたいな化け物はこの世の害悪でしかないんだから。死ぬべきなんだよ」


 男は何度も何度も何度も何度も引き金を引いた。


 そうだ、なぜ自分は防いでいるのだろうか。


 ここで死にたかったんだろう。


 償いたかったのだろう。


 マルタが抵抗をやめると、弾丸がわきばらをかすった。


「なんだよ。最初からそうしろよ。弾が切れて、面倒だろう」


 それを見た男は弾の切れた拳銃を捨てると、なんの躊躇もなくマルタに近づき、その顔を殴る。


「本当は俺があの化け物を殺してやるつもりだったんだ。けど、まあいいさ、同じ化け物だ。殺せば世の中平和になる」


 そうかもしれない。


 少なくとも、エマに怖がられなくて済む。


 ………………………………………………………………………………………………あれ?


 男は倒れたマルタの上に馬乗りになると、その首を締め付けた。


 まるで、万力のような力で、息ができない。


 無表情で見下ろす男は、さながら死に神のように見えた。


 マルタはここで死ぬ。


 殺される相手こそ違ったけれど、結果に変わりはない。


 エマに地獄を見せた、その罪を償えるのであれば、それでいい。


 そして、エマは救われる。家族を得る。化け物ではない、人間の家族を。


 優しいひとたちだといいな。


 そうすればエマも幸せになれる。


『背丈で判断するなんて、いかにもガキだな』


 ふと、あたまをよぎった。


『俺のダチは、学生時代高下駄を履いて通学してたぞ』


 暖かい話。


『それで喧嘩してから一週間は口を聞かなかったな』


 聞いたこともない、話。


『家族ってのは、そういうモンだろ。お互い本音で、喧嘩して拒絶して』


 あのとき――――――――は、ひょっとしてマルタを叱ってくれていたんじゃないだろうか。


 不器用なひとだから、そういう方法しか知らなかったんだ。


 ああ、あのとき私ひどいこと言っちゃったな。


 私が怖がらずに、もう一度エマに会ってたら、許してくれたかな?


 ああ、でもだめだ。


 だってこのまま、私はしんじゃうんだから。


 エマのせい?


 それは、なんだか。


 それは、すごく。


「…………いあ、だよお…………」


 口角から泡を飛ばしながらも、気がつけばそう口走っていた。


 涙が止まらなかった。


 さんざん覚悟をしてきたはずなのに。


 自分は、何人もの命を奪ってきたはずなのに。


 このまま消えて無くなるのが怖くて怖くて、たまらなかった。


「ひとのフリか?」


「…………ひぐっ」


 それでも力がゆるむことはなく。


 マルタの意識が苦しみのなかに沈もうとしたとき、エレベーターの到着を知らせる音が響き――――――――――――。


 扉が開いた瞬間、けたたましいエンジン音とともに、覆い被さっていた男が消し飛んだ。



 ナセルは壁に埋まったまま気絶していた。


 なんでこいつここにいんの? いやまあ、結果オーライなんだが。


 放心してるガキがいたので、とりあえず頬を張っておく。


「痛いわね!?」


「なにのんきに寝てやがる。さっさとずらかるぞ」


「へぼ運転手…………?」


 とりあえずもう一度頬をはたいておく。


「どうして」


 まるで幽霊でも見たような面だ。つーか、よくフルフェイスごしにわかったな。


「わがままな糞ガキに説教するために決まってんだろ」


 俺は、購入したばかりのオフロードバイクにまたがると、タンデムシートをたたいた。


 だが、マルタは、壁に埋まったナセルを見たまま動こうとしない。


「まさか、腰でも抜かしてんのか?」


「私は…………」


 マルタは、座り込んだまま動かない。


「私は、いかない」


 そして歯を食いしばり、肩をふるわせて、告げた。


あとちょっとです。

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