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四章

おいでやす

 最悪の気分だ。なぜこんなものを吸ってしまったのか。


 俺はしかたなしに二本目を取り出す。


「お、おい」


 それを目の前の神経質そうなアフリカ系の男がとがめる。


「すまない。灰皿があるからな」


 この国は公共の場所での喫煙が禁じられているから、こういう隠れ家的な場所は貴重だ。


 だが、この上なく不味い。


「ジンは?」


「アンタが心配しなくても、届けるさ」


 俺は一度しか吸っていない煙草をまた灰皿に押しつけた。


「化け物を、の、野放しに――――」


「そんなことより、アンタこの街を出た方がいい。それもできるだけ早く」


「なにを言っている? 情報が必要なんじゃ」


「もういい、せっかくの命だ。大事にしてくれ」


 言い残し、俺は席を立ったが。


「そうだ、ひとつだけやって欲しいことがあった」



 外へ出ると、やはり『積み荷』はすでに消えていた。


 人混みに紛れながら携帯を取り出す。数コールのうちに電話がつながり、さらに転送が二度ほどかかる。


「動きが知られてる。ラマーのアジトは無事なんだろうな」


『ヘイ、ビッグフレンド! いきなりご挨拶だな』


 陽気な男の声が鼓膜を揺らす。


「どうなんだよ」


『ゴロー。いつものカンってやつか? ただ、ラマーとはさっき連絡をとったばっかりだ。アンタが心配するほどのことじゃない』


 アフリカ系の男――――ナセルのSNS上アカウントを確認したところ、あいつは、SNSで知り合った人間からの指示、というか情報で動かされていた。


 その知り合った人間というのが、この国の不満を煽り、不安を水増しすることに励む、CIA工作員したっぱということになる。


 そしてここがまずいところだが、彼はそれを、志を同じにする親しい仲の友人たちに、打ち明けていた。


 アメリカにとってナセルのように現政権に家族を殺され恨みを持っているものなどは格好のリクルート対象だろう。


 それは同時に『アラブの春』におびえる政権側からすれば、警戒対象ということになる。


「それが確認できればいい、と言いたいところだが再確認を頼む」


 ラマーの工作員が無事なのであれば、やはり。


 それを見越してこちらも手を打ってはいるが。


 単純な方法ではあるが、SNS上でナセルからべつの指示があったことを友人たちに発信した。


 確認したナセルのSNS上アカウントでは、運び屋と化け物を誘導したと友人たちに雑談混じりに話していたし、前回直接相手の第二世代ジェノサイドから聞いた話を合わせれば、やってみる価値は十分にある。


 そのうちの誰がいったい敵なのか、それとも何人もいるのか、確認している時間もないので、全員分連絡を取らせた。


 指示通り動いていると思わせられれば、彼はその間に安全圏へ逃げることができるし、それ以外の方法で監視していなければ、上記ふたつとべつルートを行く俺たちが捕まることはない。


 当然、ナセルはかなり渋った。説得できたのは奇跡かもしれない。


『オーケイ、ゴロー。だがたとえアジトがどうなってようが、道がなかろうが『積み荷』は届けろ』


 第二世代を殺さないかぎり、革命は成功しないし、わざわざお得意様に楯突いて食い扶持を減らしても仕方ない。


「わかってるさ」


 もしアジトが潰されていようと、仕事は終わらせる。


 そのあとならば『積み荷』がどうしようが、どうなろうが知ったことじゃない。


 ただ、ひとつの違和感があった。


『ま、それに、あのかわい子ちゃんも、本望だろ。なんせ――――――――』



 細い路地はアーケードになっており、視界を埋め尽くさんばかりに、土産物であふれていた。

 

 どれにしよう。


 土産というのは選んでいるときが一番楽しいとマルタは思う。


 五郎からは、店の外で待っていろなどと言われていたが、せっかくこんな観光都市にいるのだから、土産物屋をまわらない手はない。


「これで飲んだらどんな味なんだろ」


 しつこく営業してくる店主をあしらいながら、精緻な銀細工のグラスや、店頭につり下がったカラフルなガラスのランプを眺める。


 もうすぐ、殺し合いがある。


 それも、化け物との、だ。


 けれど、こうしたひとときは、そういった恐怖を忘れさせてくれる。


 自然と笑みがこぼれた。


 そう、マルタは怖い。


 だから、安堵した。


 良かった。恐怖を感じる程度に自分はまだ人間だ。そして、できることならば、死ぬまでそうでありたい。


「勝手に動くなっつったろ」


 しかし、至福の時間は思ったより早く終わりを告げる。


 いつのまにか、景気悪そうな顔の五郎が背後に立っていた。


「げ、なんでここがわかったの?」


「二度目なんでな」


「はぁ?」


 携帯の電源も切っておいたのに、どうやってこんなに早く見つけたのだろうか。マルタは上から下まですっぽりと布に包まれているので、ぱっと見でわかるとは思えないのだが。


 スパイ映画よろしく、どこかにこっそりGPSでも取り付けられているのだろうかと、マルタは民族衣装アバヤをつまんでみるが、そこでぽろりと落ちてくるものでもない。


 いや、そんなことより。


「予定は明日でしょ? それまでには宿にちゃんと戻るわよ」


 いまは、邪魔をされたくないし、五郎は彼女の上司というわけでもないのでしたがうこともない。


「予定が変わったんだ。ここを出るぞ」


「どういうことよ」


「観光はまた今度にしとけ」


 スケジュールがかっちりと決まった仕事をしているわけではない。


 マルタの目的はあくまでも、敵を倒すことであり、何らかの理由ですぐに出発する必要性が出たのならば、当然そうすべきだ。


 だが、それでは困る。


「いま欲しいの」


「おい、遊びに来てるわけじゃ」


「今度っていつ?」


 五郎の言っていることは、まったくもって正しいし、反論の余地はない。けれど、いまでないと、選べないかもしれない。


 それは嫌だ。わがままだということもわかっている。


 マルタから知らず熱波が生まれ、五郎の前髪を焦がす。


 それをめんどくさそうに眺めていた五郎は、そのうちあきらめたように、ため息をついて、にらみつけるマルタを通り越し、店の奥へ消えた。


「ちょっと?」


 マルタは、強引にでも連れて行かれるものだと思っていたから、その行動に拍子抜けしてしまう。


 さすがに第二世代相手に喧嘩を買うほど彼は無謀ではなかったということだろうが、なぜ土産物を物色しているのか。


 あっけにとられて、その場に立ちつくしていると、ネックレスをつまんだ五郎がマルタのもとまで歩いてきた。


「なら、こいつでいいだろ」


 マルタは息をのんだ。


 シンプルな細工のネックレスだったが、少女の胸元を飾るにふさわしいものだ。


 これならば、喜んでくれるにちがいない。そう思えた。


 なぜ、これを選んだのだろうか。


 島津五郎と合流したのはこの国に入ってからだ。


 腕利きの運び屋と紹介されたが、陰気なアジア人でどうにも頼りないというのが第一印象だった。


 そうなると、少し意地悪をしたくなる。


「くれるの?」。


「誰が、自分で買え」


「わかった、アンタ本当にモテないでしょ」


 思わず、笑いがこみ上げてくる。なんて嘘をつけない男だろう。どうやってこの仕事をつづけてきたのか、島津五郎にがぜん興味がわいた。


「よけいな世話だ。糞ガキ」


「はいはい、お・じ・さ・ん」


 五郎が老けているということはない、それどころか同い年くらいにも見える。


 しかし、売り言葉に買い言葉というやつだ。


「俺はまだ二六だっつったろ」


「そんなこと一度も聞いてないわよ。もうろくしてきたんじゃない?」


 言い返すと、五郎はそこでなぜか困ったような顔をする。


「ああ、そうだった」


「ふーん、いいわよ。自分で買うから」


 もとより自分で買うつもりだったので、マルタが会計をすませると、五郎が手を出してきた。


「?」


「ついでに届けてやる。手紙と一緒に送るんだろ」


 不思議な感覚だった。


「アンタ、本当に怖くないの?」


「なにが?」


「私のことよ。アンタなんて燃やそうと思えば一瞬なのよ」


 先ほど、マルタは知らずとはいえ、能力を使っていてもおかしくない状態だった。それはいわば、眉間に拳銃をつきつけられているようなものだ。


 自分を殺そうとした相手に、恐怖がめばえるのは当然といえるし、つねに不機嫌そうなのは、虚勢を張っているからだとばかり思っていた。


 燃え尽きる寸前まで、恐怖にゆがんだ顔を浮かべ、呪詛の言葉を残していったものたち。マルタを第二世代と知って、態度を豹変させた人々。


 彼らと、この男はちがうのだろうか。


「たかが糞ガキ相手にびびってたら、つとまんねーだろ」


「びびってって、くくっ、あははは。古っ」


 ふてくされた五郎は腕を組んでそっぽを向いた。


 糞ガキ。


 化け物ではなく、人間だと言ってくれた。


 マルタはおかしくて、その場でしばらく笑い転げてしまった。


「ねぇ、ところで、なんでいつも怒った顔してるの?」


「…………生まれつきだ」


ありがとやす

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