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二章

いらっしゃいませ

 無事運び終わったのに、死んだ。


 死ぬ理由もあった。


 いつしか麻痺したんだろう。断頭台へ背中を蹴り飛ばすことに葛藤が消えた。


 もとよりそういう仕事だ。


「あー、もう臭い! 臭い臭いし痛い!! なんなのよこれ、前のおんぼろのがまだマシだわ!」


 あぐらをかいてもたれていたまま、まどろんでいた意識が、引き戻される。


 運転席側の小さな窓以外明かりの存在しない、暗く狭い荷台の端では『積み荷』が、スカーフ越しにあたまを抱えていた。


 車酔いもしているのか、心なしか頬から血の気が引いている。


「肥料が積んであんだから当たり前だろ。臭いくらい我慢しろ」


「できるか! こんなクッションも無いところで、痔にでもなったらどおしてくれるのよ! ああもう、いますぐ引き返して!! 別の車用意して!!」


 そんな状態でいたら、よけい体調を悪くするだろうに。


「静かにしてれば、ラマーに潜伏するお仲間に合流できんだろ。あとは好きにしろ」


 仕事にさし支えるのもアレなので、なるべく説教臭くならないよう言う。


 それが功を奏したのか、それともより体調が悪化したのか『積み荷』は、膝を抱えて無言になる。


 実際、検問まであとわずかだ。


 デモが起こった直後ではあるが、物流が途絶えることはない。いや、逆に物騒だからこそ検問は混雑を極めているのだそうだ。


 わざわざピークタイムをねらって来ているのだから、おとなしくしていれば、荷ほどきされることまではないだろう。


 このルートで間違いなければ、調整する必要もなく、今回の仕事は終わりになる。


 気がつけば目の端で、路面のギャップで振動する以外は、微動だにしなくなった『積み荷』を見ていた。


 民族衣装アバヤ越しでもわかる、華奢なからだは軽く押しただけでも、砕けてしまいそうだ。


 俺は安堵しているのだろうか。


 この仕事がもう終わりに近づいていることや、これ以上『積み荷』と関わらなくていいことに。


 しばらくそうしていると、『積み荷』が顔を上げた。


 気づかれたか?


 俺は『積み荷』から目線をはずすように、前方の闇を見た。


「なに見てんのよ。ロリコン。燃やすわよ」


 座っている状態でこけそうになる。


「なんでそうなる」


「まあ、私くらい美人ともなると、哀れな男どもの視線をくぎづけにしちゃうのもわかるわ」


 『積み荷』の声は、先ほどまでとちがい平坦で、だからこそ逆に、未知の感情がこもっているよう思えた。


「けどね、そういうのパス」


「アホか、そう見られたいなら、十年後に出直せ」


 生きていれば、とは言わない。


「………………………………そんなに歳も変わらないでしょ」


「二六だ」


 そういうと、『積み荷』はポカンとした顔で、こちらをまじまじと見つめてきた。


「うそ、同い年くらいかと思ってた」


「そりゃどうも」


「私より九つも年上なんて」


「うやまえ、あがめ奉れ」


「いやよ。身長も私とかわんないでしょ」


 ちなみに俺の身長は日本人平均くらいには達してる。人種もあるのだろうがこいつが高いのである。ヒールを履いたら一八〇くらいいくのではないだろうか。


「背丈で判断するなんて、いかにもガキだな」


「としで威張るなんて、いかにもオッサンね」


「長く生きた人間はその分だけ、経験と知識を積んでんだよ」


「背が高いひとは、それだけ物事を『フカン』で見られるのよ。視野が広いの」


「俺のダチは、学生時代高下駄を履いて通学してたぞ。つまり、高い位置から物事をその『フカン』ってやつで見てたわけだが、そいつはずっと直情型の馬鹿だった」


「私のおじいちゃんはお酒飲むと、全裸になって踊り出すから、病気で死ぬ寸前まで補導されてたわ」


 そんな祖父は嫌だ。


「いや、俺のダチも酒を飲むとすぐ酔っぱらって脱ぎ出すから、酒は許してやってくれ」


「その友達って、高下駄のひと?」


「どうしようもない馬鹿だろ」


「ね、ねぇ…………」


 気がつけば『積み荷』は、必死になにかをこらえているような顔をしていたが、ついに決壊したダムから濁流が押し寄せるように、笑い始めた。


「もう、これなんの話してるのか、わかんないよ、ぷっ、あは、あははは。ほんとおかしい、なんなのアンタ、あはははははははっ」


「……………………無駄話しが過ぎたな」


 自分ももうずいぶん会っていない級友を思い出し、懐かしんでいたのかもしれない。


「あはは、無駄なんかじゃ、くくっ、ないよ」


 いまだ興奮冷めやらぬといったふうな『積み荷』は、なんとか真顔を作ろうとしている。


「その、私もね大切な…………妹がいたわ。同じハイスクールに通ってた。誰が格好いいとか、誰を好きだとか、あの教師が気持ち悪いだとか。そんな話を、夜が明けるまでしてたこともある」


 『積み荷』は、思いをはせるように、話す。


「結局、内容なんてなんでも良かったのよ。ただ、そこにいてくれるだけで」


 そのほころんだ表情は、光の粒子に照らされ、信心深くもないのにさながら聖女のように見えてしまった。


 だからだろうか、会話のやめどきを失ったのは。


「けど、それも突然終わったわ」


 『積み荷』が話すいきさつを、俺はただ黙って聞いた。


 彼女が生まれた国は、すでに地図上にしか存在しないのだそうだ。


 いまから数ヶ月前、第二世代ジェノサイドによって、おそらくはたいした理由もなく消された。


 議会に警察、軍隊、およそ国に備わっているべき機能すべてが破壊され、脅威から逃れる人々で国中が大混乱に陥っているなか、彼女の両親は略奪に走った民衆に襲われ、殺された。


 彼女も奪われ殺されると思った。しかし、気がつけば目の前には生きたまま焼けただれる暴徒たちの姿があり、『積み荷』はなぜか笑っていた。


 新しい力に目覚めたからか、それとも目の前で暴徒どもがもがき苦しんでいるからか、それとも…………『積み荷』にはわからなかった。


 逃げている道中で妹と再会した。


 彼女もまた暴漢に襲われそうになっていた。


 だから『積み荷』は助けた。妹の前で暴漢を骨になるまで焼き尽くした。


 自分に力があって良かったと『積み荷』は思ったが、待っていたのは拒絶だった。


 化け物と、言われた。


 妹は唯一の肉親である『積み荷』から逃げたそうだ。


 よく正気を保っていられたもんだ。


 それで『積み荷』は気づいてしまった。


 人殺しをしても、なにも感じなくなっている自分に。


 化け物の世界に一歩、足を踏み入れてしまっていることに。


 けれど、躊躇している暇はなかった。


 隣国へ避難している最中も『積み荷』は格好の標的に見えたのか、何度も暴徒の襲撃を受け、そのたびに何度も殺した。


 『積み荷』がNGOの設置した難民キャンプに到着するころには、彼女を知る者たちの目は、恐怖と蔑みにまみれていた。


 妹の姿を何度か見かけたが、声をかけることはなかった。


 そうしているうちに、ある諜報機関にリクルートされた。


「………………………………金のためか?」


「まあね。この仕事が終わればしばらく遊んで暮らせる程度のお金をもらえるの。命張ってるんだから当然よね」


 いつ明けるともしれぬ悪夢を見た『積み荷』は、断らなかった。


 生きるために、自覚なく死を選んだ。


「そうか」


 いや、なにを感傷に浸っている。第二世代ジェノサイドとはそういう存在だろう。


 自分の力に絶対の自信を持ち、自分の命を道具として使い、死ぬ寸前まで自分が死ぬことなど一切考えようともしない。


 だから、俺は嫌いなんだ。


 『積み荷』の話は終わり、しばし、走行音だけが車内を満たした。


「ね、アンタはなんのために運び屋なんてやってるの?」


 『積み荷』は俺と同じように前方の暗闇を見ていた。


「なにも、これしか食い扶持がないんでな」


 理由なんてちっぽけで、意思など介在しない。


 しかたなくはじめて、しょうもなくつづけているだけに過ぎない。


「そんなことないでしょ、恥ずかしがってんの? 言いなさいよ。うりうり」


 『積み荷』が肘でつついてくるが。


「……………………もうすぐ着くぞ」


 それきり、俺は口を閉じた。


「なによ」


 『積み荷』はしらけたのか、目を閉じた。

ありがとうございました~

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