年末の喜劇
直に新たな年を迎えようとする12月下旬のこの日は、例年の気温に比べてはるかに下回り、一日中暖房器具を使用しても間に合わない日だった。
広々とした一室の壁際には、その広さに合わせて購入したと思われる大きさの石油ストーブが置かれ、暖のもととなる灯油を燃やしながらその使命を果たしている。すでに暖かい空間となっているのだが、一室の中央に置かれた8人掛けのテーブルを囲むように座っている男4人は、どこか不安げな面持ちで腰を落ち着かせていた。
「なあ……今日来る予定の灯油の販売巡回車、いつもより遅くね?」
4人が座る席のうち一番ストーブに近いところに座っている男は、一人だけ肩をすぼめ震えながら口を開いた。
「和磨、お前が一番暖かいところを陣取ってるくせに、何寒がってるんだ。……まあ、確かに、そろそろ来てもおかしくはない時間だな」
ガタガタと足を震わせる和磨の隣で、落ち着いた装いを見せる男が和磨の行動を見て嘆息をつき、壁に掛けられた時計に視線を移して呟いた。
時計の針が指す時刻は午後2時を過ぎていた。
「冬馬兄さん、さすがに今日来ないと年明けまで来ないって近所の人が話してたぜ?どうする?」
「それに、あまり遅いと夕飯の買い物に行けないよ?僕、お鍋が食べたい……」
冬馬の真向かいに座る弟二人から、冬馬に何かしらの提案を求めるような言葉が口を割る。その言葉に対して、冬馬は腕を組んで暫く口を閉ざした。
普段の彼らは、毎週のこの日の午後2時頃に来る灯油の巡回販売で灯油を購入している。それが来るまでの間に、その日一日休みの人が洗濯物を取り込み、夕飯の買い物へ行っているのだ。しかし、この日に限って2時半を過ぎても、巡回を知らせる音が聞こえない。広い室内にまとまって過ごす事が多い彼らは、巡回車が来てもすぐに分かるようにテレビもつけず、無音の室内で待機していた。
「年末な上に学生たちは冬休みだ。暖欲しさで灯油を買う人が多いのだろう。もう少し、待ってみよう」
冬馬は肩を竦めて言うと、他3名は渋々頷いた。
そして、無音の状態が30分程続いた午後3時。痺れを切らして唸り声を上げたのは、4人の中で一番得な席に座り、暖かいのに一人で寒がっている和磨だった。
「とーま兄貴ー……こねえよ……」
「まだ30分しか経ってない。もう少し待て」
悠長に構える冬馬を睨む和磨は駄々をこねる一歩手前の子供のようだ。和磨は「待てん!」と声を張り上げ、椅子から立ち上がると部屋の中をうろうろと動きまわりだした。しかし、冬馬は和磨の行動に気に留める様子はない。そんな和磨と冬馬のやり取りを、真向かいの席で眺めていた弟たちは、顔を見合わせ同時に首を捻った。
「ねえ、健兄ちゃん。惣司兄ちゃんに電話してみたら?」
「惣司兄さんにか……午後3時なら仕事も一区切りつけて、休憩してる時間だろうな」
2人の弟は、4人の中で一番上の兄にあたる惣司へ相談しようと考えた。惣司は家からさほど多くない会社に勤めていて、今日は今年最後の仕事の為、朝から家を空けている。
「いくら休憩中でも、電話したら迷惑じゃないか?」
健と一輝の会話を聞いていた冬馬は、唐突に話を割って入ってきた。
「だって、このまま待ってたらお買い物に行けないよ?」
「そりゃそうだ。かと言って、出かけてる間に来られると、年明けまで寒い思いするぜ?」
一輝が首を捻りながら意見を言うと、それに賛同する形で和磨が会話に加わる。2人の意見を聞いた冬馬は、小さく溜息をつくと携帯を取り出し電話をかけ始めた。
「あ。惣司さん?冬馬だけど、今大丈夫か?」
『何だ、冬馬か。……どうした?』
「灯油なんだけど、2時半になっても一向に来る気配がないんだが……」
『まあ、年末だからな。3時半まで待ってみたらどうだ?』
「ちょーっと待て、惣司兄貴!待ってたら、出掛けれねえだろーが!」
冬馬と惣司が話しているのを盗み聞きしていた和磨は、冬馬から携帯を奪い取ると電話の相手に猛抗議をしかけた。
『……。和磨……うるさい』
しばし沈黙が続くと、電話の向こうで深い溜息が聞こえ、煩わしそうな言葉が返ってきた。
『巡回車なら1時ぐらいにこっち回ってたから、もうすぐそっちにも来るだろ』
「だけど、巡回車が流す音楽なんて聞こえないぜ?」
『ああ、そうなんだ。和磨の耳が遠くなったのか。それは、それは』
「兄貴、喧嘩売ってんのか?」
『……別に。今日買い物行かなくても、家にあるもので何とかなるだろ』
「ならん!」
『じゃあ、灯油は諦めろ。用件はそれだけか?切るぞ?』
「そうだ。夕飯のもん、兄貴が買ってくればいい」
『はっはっは。……バーカ』
そう言い残すと、電話は一方的に切れた。携帯を耳から離した和磨は、心底悔しそうに携帯を睨みつけていた。
「何かムカつく……」
「落ち着け、和磨。それにしても、家と惣司さんの会社が目と鼻の先にあるというのに、巡回車がこないのはなあ……」
「もしかして、巡回車の灯油がなくなったとか?」
「それって、よくあることなの?」
4人の男たちは、それぞれの見解を述べ落胆する。惣司とのやり取りで、時計の針はあとわずかで4時を指そうとしていた。
室内に再び沈黙が訪れると、遠くの方でかすかに巡回を知らせる音が聞こえてきた。その音に反応し、居てもたってもいられなくなった和磨は、財布を手に室内をうろうろと動きまわりだした。
「灯油、来た……!早く来い!!」
「和磨兄さん……そんなに気になるなら、外で待ってたら?」
「馬鹿かお前。このくそ寒い日に外で待ってられるかよ」
「馬鹿なのはお前の方だ。音だってまだ遠い。すぐに来るとは限らないぞ」
冬馬に叱咤されぐっと押し黙った和磨は、盛大に溜息をつくと椅子に腰を下ろした。
巡回を知らせる音は次第に大きくなるものの、一向に近付く気配はない。家のすぐそばまで来るのだが、巡回経路というものが存在するらしく、一本手前の交差点で曲がる事がある。それを知ってる彼らは、家の目の前まで来なければ外に出る事はしない。
そして、4時半頃――
「いや、どうもすみません」
「いえいえ、年末ですから仕方ない事ですよ。ご苦労様です」
人当たりの良さそうなドライバーが作業をしながら謝罪するのを見た冬馬は、当たり障りのない言葉で返答をした。外には、待ちわびた近所の人たちが集まり、他愛もない会話を楽しんでいた。
灯油の入ったポリタンクが2つ。一つは冬馬が持ち、もう一つは一番末っ子の一輝が奮闘している。見るに見かねた健が手を貸し、玄関口まで持って行った。
「で、どうする?」
「どうもこうもないだろ……」
「何か、疲れたー」
「さすがに、待ちくたびれたな」
ようやく一息ついた4人は、壁に掛けられた時計を見て嘆息をつく。もはや買いものどころではない心境だった。この時間に来るなら、先に出かければよかったと、4人の中で思う事は同じだったのだ。
その日一日休みの人間が買い物に行くというのは、彼らの中では暗黙のルールとなっている以上、どれだけ遅くなっても行かなければならない。しかし、2時間以上待ちぼうけを食らってしまっては、夕飯の献立を考えるのも嫌になってくる。
冬馬はふと思い立ったように携帯を取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
「あ、もしもし惣司さん?夕飯の事なんだけど……」
【終】