第十六話 最終話 タロサ再び
それから六年が経った。
殿様(現在のワカ)と皇帝陛下は橋の上を歩いていた。
タロサはこれで何度目か全速力で橋を渡りきってから、殿様たちの方へ走って戻って来るところだった。
「この子は何と競走しているの」
「橋が出来た時にみんなで渡り初めをした時の事を憶えてるんですよ。あの時はまだ歩けなかったから、私に抱かれて渡ったものですが」
「自分の足で渡れなかったのを今、取り返しているのね」
「あの時は最初に渡れと私の腕の中で暴れて暴れて」
「ご希望に沿って渡ってあげなかったのかしら」
「縁起を担いで、最初に渡ってもらう為に、三代続いたご夫婦三組に遠くの村からわざわざ来てもらったのです。そういう意味では私もタロサも縁起が悪いですから渡るのは最後でしたよ」
「それにしても随分と立派な橋をかけたものなの。これじゃいざという時に簡単に落としたり出来ないと思うの」
「いや、正しくは先にかけた橋を足場にして隣に作った橋ですよ。最初のはもうない」
「『成さぬ仲の子供を育てるなんて出来っこない』とはよくも言えたものなの」
「人に言った事はいずれ自分に返って来るものですよ」
と殿様(現在のワカ)はしみじみと答える。
「戦争による父の不在がいけなかったのです。十五の子供の手には余る案件だと思いませんか。実際こういうのが多くて」
「タロサはまだ完全にはオシメが取れてないでしょ」
「頑張ってますが、まだ危な……っ」
殿様はタロサに向かって猛然と走り出した。
タロサは急に走るのをやめて橋の上でしゃがみこんでいる。
殿様はタロサを横抱きにして橋の欄干から川原に飛び降りた。
◇◇◇
皇帝陛下が川原に下りていくと、タロサはまだ着替えの途中だった。
キャイキャイと歓声を上げながらズボンを穿かずに殿様の手を逃れて川原の草むらを駆け回っている。
タロサは一足踏み込むたびに足元の草の間から虫が飛び出し舞い上がるのが面白くて仕方がないらしい。
「おババさまに相談した方がいいの」
「いずれ取れる。問題ない、との事です」
殿様はズボンを持ってタロサを追いかけているが、急に始まったタロサとの楽しい追いかけっこの方がメインな様子で、ようやく捕まえてもしばらくは二人で団子のように草むらを転げまわっている。
どうもこの人たちはタロサに甘過ぎると思うの、と皇帝陛下は独りごちた。
「もっともタロサの場合は悩む時間が何年もありました」
殿様はようやくズボンを穿かせたタロサの尻をポンと叩いて、またタロサが草むらを駆け回るに任せ、皇帝陛下と並んで歩き始めた。
「悩むぅ?」
皇帝陛下は殿様(現在のワカ、以下略)を見上げた。
「どうしてその人につきまとったの」
「あの人に付き纏ったつもりはなかったのです。ある魔物を追っていただけですが、行く先行く先に何故かあの人がいる事が多かった。あの頃の私は魔物の扱いが今以上に下手で、手こずって、時間ばかり食って無我夢中になって、周りが見えなくなっていました」
殿様の言葉に皇帝陛下は小さくため息をついた。
「その時の紫色のケサランパサランとやらは今どうしているの」
「あの後、長い間呼ぶと来てたのですが、いつの間にか居なくなりました。他の魔物と同じで山に還ったと思います」
「その子は多分、そのよそから流れてきた男の人が連れて来た魔物なの。ずっとその人を護って来た精霊だったろうけど、最後は力尽きたんだか、ここにたどり着いて安心したんだか、魔物の姿で実体化して離れたんだと思うの。その人はきっとよほど苦しい思いをして元いた所から逃げて来たと思うの」
殿様は片耳をモクリモクリと動かしながら答える。
「あいつらにそういう高尚で複雑な感情があるのですか」
皇帝陛下は鼻にしわを寄せて、あの子たちはボクたちよりずっといろいろ考えてるみたいなの、と言った。
「魔物を斬ってしまう人は大勢いるのに、貴方は鎮めるという、とても珍しい特技があるの。少しはあの子たちの気持ちが分かるのかと思っていたの」
「そういう難しい事は考えませんよ。何しろ魔物はおとなしくさせろ、が至上命令だし」
「誰が貴方に命令してるの」
「領民の皆さん」
「普通は安易に『退治』してしまって、しょっちゅう事態を悪化させているの。貴方が本能の命じるままに何一つ考えずに、トンデモない事をしてるのはよっく分かったの」
「彼らに手を出してはいけないのでしょうか」
「いいえ、これは歴代の辺境候のお家芸だもの。やるなと言うのは辺境候の存在そのものを否定するようなものなの。それにしても貴方、昔は魔物を見たら普通に牙を剥いて飛びかかってたの。いつから宗旨替えしたのかしら」
「あの魔物を収めた後くらいからです。こっちに来た当初はたわいもない弱い魔物が懐いて、それこそ付きまとってくるだけで、鎮めるなんてもんじゃなかった。父は眼光ヒト睨みで魔物を従わせていましたし。これは私の特技ではなく、この地方の魔物が変わってるのだと思ってました。私の中に父の血を感じておとなしいのだろうと」
「肝心の魔物の声が聞こえてないらしいのは知ってたけど、改めて話を聞くと、貴方はつくづく残念な人なの」
「私は奴らに悪い事をしてるんですかねぇ。奴らは私たちに一見良くない事をしている風だけど、実は深い考えがあって、長い目で見ると私たちの為になる事をしているのでしょうか」
「その熊の魂は今でもその人の中にいるのかしら」
「それなんですがねぇ」
殿様はタロサが遠くに行かないよう立ち止まりながら言う。
「今、思うと最初の紫色のが熊だったんじゃないかという気もするんですよ」
この人はこういうところが本当にいい加減なの、と皇帝陛下はため息をつく。
皇帝陛下の憂鬱を知ってか知らずか、殿様は付け加える。
「あ、でも、あの人はその後、一度も変身したりしていませんよ」
多分この人にとって魔物はこの程度の存在なの。だからこそ鎮めるなんて芸当が出来るのかもしれないの。
皇帝陛下はぶつぶつと誰に言うでもなくつぶやき、片手を額にかざして行く手を眺めた。
橋の向こうは呆れるほど広い、延々と続く整地された農場で、大勢の人が働いていた。
その中の一人で、遠目にも他の人より一回り大きな人が、作業の手を止めて殿様たちを見ていたが、やがて手を振ってこっちに走ってきた。
殿様も手を高く上げて振っている。
タロサは殿様たちのところに駆け戻り、一瞬だけ小さく翼を出して皇帝陛下に飛びかかった。
ムキュッ




