第十話 夜中に叩き起こされる
老人の納屋で寝る最後の晩になる筈だった。
男は何故か夜中に目が覚めた。
胸がドキドキして母屋が気になって仕方がなかった。
村長はああ言ったが、また熊でも出たのではないかという緊張があった。
月明かりの中を納屋を出て家の周りを調べ、何も見つからないのに、老人の身に異変が起きているという不安が消えない。
今までそんなことをした事はなかったが、小さく声をかけ、暗い母屋に入った。
何日か前、納屋を出る事を伝えた時、老人は穏やかに頷いた。
熊の爪痕で壊れた顔だが、近頃は男にも表情が少し分かるようになっていた。
ぼちぼちやりなされ、という表情だと思った。老人は皆がまだ自分を怖がって遠巻きにしている時に、納屋とは言え自宅に置いてくれた。
老人の姿を探して家の中を手探りで歩いて行くと、寝床の近くで倒れていた。
抱き上げるとギョッとするほど熱かった。
急に具合が悪くなったらしい。
寝床に戻してやり、名前を呼び、手真似で求められるままに水を飲ませたら、少し吐いた。
「どうしたらいい」
背中をさすりながら老人に聞いた。
「いつも来るあの人を呼んでくるか?」
老人は少し躊躇ったように見えたが頷いた。
男は老人の肉の落ちた肩を掴んで言った。
「すぐ連れてくる。きっと待っててくれ」
◇◇◇
寝ていると思ったのに娘の家は起きていた。
中で怒鳴り声が続いていて、男が外から声をかけると止まった。
意外だったのは娘の命の恩人の事なのに、娘の親が呆れるほど協力的でなかった事だった。
娘の母親は男の話を聞くと、だから大概にしとけと言ったのに、聞かねえから夜中にも呼ばれるようになるだ、と娘に怒鳴った。
しかし娘の母親が渋る後ろから、本人が転がり出るように飛び出して、男にさえ目もくれず老人の家の方に走り出してしまった。
走るでねぇだ、と母親は叫んでいた。
「せめて村長に知らせてくれたら助かる」
男は娘の母親にそれだけ言って後を追った。
すぐ追いついた。
彼女の前に背中を差し出して屈んだ。
「その方が早い。俺を信じてくれ」
娘を背負うと月夜の道を風のように走った。
老人の家に着くと娘は仕舞ってある薬を出して飲ませ、枕を当てて一番楽な姿勢にし、火を起こして湯を沸かし汗まみれの寝間着を着替えさせ、日頃身の回りの世話をしている者だからこそ出来る働きをした。
男は後から来た村長に言われて、離れた村の薬草に詳しい者をまたしても背負って連れてきたりした。
老人は一応、落ち着いた。
一度壊れた身体だ、これからは余程気をつけて暮らすだよ、と、呼ばれた薬師が言った。
「やはりここで暮らしたい」
と、男は村長に言った。
「実はオラからも頼みてえ」
と、村長が言った。
話しながら男はその実、昨晩背負った娘の感触を思い出していた。
背中に押し付けられた娘の身体の奥で動くものを感じた。
胎動だと思った。
彼女はお腹に子供がいるらしかった。




