異世界不動産
無料という言葉に人間はつくづく弱いと思う。少なくとも俺は確実に弱い。今日、確信した。無料という言葉に釣られて彼女に連れられて行った先はそこらへんにいくらでもあるような、どうってことのない不動産屋だった。無料なんて嘘つけ、と逃げ出したくもなる。しかしここで逃げてはならない。きっと裏ルートのようなものに彼女は通じているのだろうと信じて。中に入っても普通だ。入ったことはないからはっきりとは言えないのだが、普通だ。イメージ通りだ。ここら辺の住所だの間取りだのが記された紙が貼ってある。もちろん無料なんかじゃない。相当なお値段だ。当たり前か。
不動産屋の経営主と思われるようなおじさんがボソッと、また君かといったような気がした。すると彼女は言う。おじさん、あの、いつもの。いつもの、か。何度訪れてるんだよ。でもなんでその時にお引越しとやらをしなかったんだ。何度も来ていていつもの物件っていうのが存在しているならとっくのとうにしていてもおかしくはない。寂しいから思いとどまっていたとか?などと考えると照れる要素もないのに照れる。自分でもわけがわからない。
「今度の人はわかってるんだよね?」
俺に確認するように、それでも彼女に向ってそのおじさんは言った。勿論俺はよくわかっていない。首を振る。おじさんはため息をつく。またか…と呟いたようにも聞こえた。
どうやら彼女は今までもきちんと説明しないままにここへ人を連れてきて、その「お引越し」に失敗しているようだった。もし彼女が彼女の言うように慢性的な気持ちを読めるならよほどの話でない限り断る人もいなさそうに思えるのだがそのよほどなのだろうか。考え込んでいるとおじさんは一枚チラシのようなものを出してきた。ただの紙であるのに内容を見るまでもなくそれは異質なもののように見えた。
内容はこうである――
「お引越し」ご案内
自分の世界に飽きた方、死を考えている方、または新しい世界を見たい方。
そんな方に朗報です。当世界では世界間留学制度を始めました。
どのような世界にいる方でも覚悟さえあればペアでご応募いただけます。
おひとりのご応募はお断りさせていただきます。
覚悟は試験を以て判定させていただきます。
試験時間:毎日AM4:00
試験内容:10階以上の建物より笑顔で飛び降り
注意事項:右手に応募券、左手にペアの人の左手を握ること
それはそれは心中のようで俺は震えたのだった。いやわかっていた、わかっていたはずなのだが。やはり心の底ではそうだとは思っていなかったらしい。ああ、わかっていなかったのか…またこの人間も断るのだろう…。そのように思ったかは知らないがおじさんがそんな感じの顔をしたような気がした。それと同時におじさんはその紙をしまおうとしたのだった。これでいい――そう思っていたはずなのに俺はその紙を掴んでいた。




