降雪の一幕
「白凱々の雪ってのは現状洒落ならんなぁ……」
ギルドハウスの屋上に積もった雪を一か所に集め終えた互助ギルド〈スリーピース〉のギルドマスター、ナナツキは昨夜未明から本格的に降り始めたこの世界の雪の本気を目の当たりにして大きく溜息を吐いた。
この世界は、とにかく天候が大げさなのだ。
それはゲーム時代のディスプレイの絵面的には雨ならば雨、雪ならば雪と過剰にも見える演出が影響していた名残だろう。おかげで積雪量は一メートル五十センチほど。向こうならばそれこそ大災害レベルの代物。しかも雪は未だに降り続いている次第だ。
こりゃあ大変なことになるな、と二度目の溜息を吐く。
ナナツキは北海道の豪雪地帯の出身だ。その自分にとってこの程度の雪は別に珍しくもなんともない。冬の日常以外のなにものでもないこの光景は望郷の念を強める程度の物だ。
そんなナナツキが何故に大変なことになると思っているかというと単純に雪掻きに掛かる手間だ。
〈冒険者〉としての身体能力の前では屋上の雪下ろしをした所で対して疲労は蓄積されない。しかし、それは雪を知る人間がやってこそだ。そもそも、ナナツキですら未経験なのだ。この世界の〈冒険者〉でこのレベルの雪を対処した事がある人間などいるはずもない。除雪機が無いのはしょうがないにしても除雪道具の無い雪掻きなぞどれだけ時間がかかるのか分かったものではない。
二週間ほど前に一メートルほど積もった時は炎系の特技で溶かしてしまえばいいと考えて実行した〈冒険者〉が〈衛兵〉の手によって神殿送りにされていた。恐ろしい事だ。そしてさらに溶けた雪が大量の水となって襲いかかった。その二次被害は甚大だった。さらにさらにさらに大量の水が路面凍結を引き起こし悲惨な三次被害を引き起こした。
そこからの四次被害ともいえる混乱は〈大災害〉直後に勝るとも劣らないと耳にしたほどだ。結局のところ〈雪玉〉による雪合戦という更なる混乱によって収拾がついたわけだったりする。
こんな支離滅裂でしっちゃかめっちゃかな状況に陥っているのは〈シルバーソード〉の精鋭達が何処かへと姿をくらませているというのもある。
無秩序である、というススキノの街に何となくの秩序をもたらした重石が無くなった以上、住人たちは羽目を外してしまうのは誰の所為に出来るだろうか。
少なくとも、冬期間の食料や薪の奪い合いが発生していないのでまだなんとかこの街は大丈夫だろう。
しかし、この雪がどれだけ続くのかわからない以上は備蓄は多いに越したことは無いし、野生動物を獲りに行こうにもススキノの外も同じ状況というかもっと酷い状況だ。〈冒険者〉である自分たちは大丈夫でも〈大地人〉がきつくなってくる。それを打破する為にはススキノの主要道路と周辺の〈大地人〉の街へと繋がる街道ぐらいは除雪しなくてはいけないのだが。
眼下では〈雪樽〉を背負った〈冒険者〉同士が〈雪玉〉を投げ合う大雪合戦が繰り広げられている。
そんな事をしている場合じゃないだろうに。と、ナナツキはもはや何回目かの白い息を吐き、除雪によって作られた雪の山を見る。
そこには二つの影がある。
一つは雪の色と同色の二つ連なった球体だ。〈従者召喚〉による冬期限定召喚モンスター〈スノウマン:ベース〉。ブリキのバケツを戴き、白い球体の接合部に赤いマフラーを棚引かせた彼はとても器用には見えない棒きれと手袋によって構成された両腕を巧みに扱い小さな雪ダルマを量産している。いったい何の宗教だろうという様相を醸し出している。
そして二つ目の影。雪の山の頂点にて圧倒的な存在感を放っているのは〈スノウマン:ナマハーゲ〉。彼は彼で様々なポージングをとっており、おそらくススキノに於けるスノウフェルでの一大イベントでもある雪像モニュメントに対抗しているのだろう。顔のインパクトはさておき可愛いものだ。
と、一時的に和んだナナツキだが彼らをこうやって遊ばせるために召喚したわけではない。
「お前ら、遊んでないで仕事しろ仕事」
ナナツキが手にした〈角スコップのようなもの〉を打ち鳴らし促すとキューキューと声ならぬ声を発して各々が雪を手に取り口へと運ぶ。
彼らは除雪をする為に召喚されたのだ。〈スノウマン〉は雪を食べるため、現状で唯一とも言っていい有効的な除雪方法だったりするのである。
それでも彼ら一体一体にも一日で食べる事が出来る限度があるためなんらかの除雪に関するブレイクスルーが無いものだろうかとナナツキは頭を悩ませている。こういう事に気を回すのが今のススキノには自分を含めて数人しかいないというのもその一因だ。
ナナツキは〈大災害〉の時にはアキバに居て、ススキノに移住してきたタイプの〈冒険者〉である。だからススキノが完全な無法地帯になっていた時を知らない。〈円卓会議〉のススキノ救援部隊に引っ付いてきてそのままススキノに残ったからだ。
アキバの改革を目の当たりにしたから、ススキノでそれを目指して移住してきた。――と、いう訳では勿論無い。単純にハーフガイアプロジェクトの世界だとしても、生まれ育った土地の近くで生活したかっただけに過ぎない。ただの郷土愛である。
「ナナさーん、デミ嫁がお裾分けって言ってシチューくれたから食おうぜ」
おおぅ、寒い寒いと白い息を吐きながら屋上へ上がってきたのは褞袍に身を包んだ〈猫人族〉のK・グリーン。〈スリーピース〉の副ギルドマスターだった。
「んー? ……あれ、なんか昨日もお裾分け貰ってなかったか?」
確か昨日の食卓に並んだ夕食の中でポトフがそれだったと記憶している。
「いやさ、ポトフの鍋返しに行ったらくれた。デミの奴がどっか遠出してるらしくて『出かけるならいつ帰るか連絡くれないと料理作り損じゃない。捨てるのもなんですし、皆さんにはなんだかんだでお世話になってますから』だと」
「……出来た嫁さんだなぁ」
「まったくなぁ」
「……いつ帰ってきてもいいようにデミの分も料理作って待ってるって事だろ? 爆発してしまえよアイツ」
「まったくなぁ」
かつてこの街を支配していた〈ブリガンティア〉が〈大地人〉の女性に胃袋鷲掴みにされた、というのは今ではススキノを賑わす話のネタの一つとなるほどに周知の事実だ。その〈大地人〉の女性は〈冒険者〉からは専ら『デミ嫁』と呼ばれており、最近では彼女自身も「はいはい、デミクァスの嫁ですよ嫁。それで? なんか用ですか?」と開き直り気味だ。開き直ってないのはデミクァス本人ぐらいのものである。
それがまた話のネタにされてしまう悪循環だ。一部では“ツンデレデミクァス”“ツンデミ”“デレクァス”などと好き勝手言われている始末だ。
「それにしても銀剣の実働班が行方不明で、デミもいないってのはなんなんだろうな。関連あんのか?」
銀剣――〈シルバーソード〉の実働班はアキバから移住してきたあと、ススキノのレイドクエストを精力的にこなしてきた。彼らは正に〈冒険者〉として戦っていた。だから、彼らがススキノから居なくなるというのはよくあった事だ。ただ、その場合は事前にススキノに残っている主だったギルドに不在となる期間を告げてからだった。
だが、今回は不意に居なくなった。
「どっかで突発的な雪合戦でもしてんじゃねぇの?」
「んー……気になるところだけど、あまり首突っ込んで藪蛇ってのもやだよなぁ」
だねぇ、とK・グリーンが言葉を返す。〈スリーピース〉は戦闘特化のギルドではない。
ナナツキ自身はレベル九十一の〈召喚師〉だが稀少な召喚は〈スノウマン:ナマハーゲ〉程度のもので、戦闘系ギルドの〈召喚師〉が持つような強力なものは持っていない。自分はその程度なのだ。
一度だけ〈シルバーソード〉のフルレイドを見た事がある。
その結果、自分たちも世に言う所のネトゲ廃人の一人なのだろうが、それはただの入り口に過ぎないだけだと痛感した。
「あー、そういや腹ぐろ眼鏡の目撃情報あったっけか」
「は? 腹ぐろって、あの腹ぐろか?」
「おぅ。アイツらが一番最初にアキバから来た〈冒険者〉だからな。顔は覚えてる」
K・グリーンは〈大災害〉時からススキノにいた〈冒険者〉であり、ススキノの転換期の一つであったあの事件も鮮明に記憶している。
今ではあの事件はススキノでは〈最初の冒険者〉として語られている。ただ腐っていくだけであった彼らススキノの〈冒険者〉にとって“冒険”をしてきた〈冒険者〉とはそれだけで眩しく見え、正にRPGの主人公だったのだ。
その為、アキバでは比較的評価の低いシロエではあるがススキノではその逆で評価はかなり高い。もちろん、ロリコンだの外道だのと言われる事もあるが英雄は色を好むものだから女の子侍らすのは当たり前だろうし、もともと主人公なんてもんは他人の家探しするもんだから外道で当たり前だと言われている始末だ。
「それじゃあお前、蛇が出てくれれば可愛いレベルじゃね?」
「そうな。茶会の動画見た事あるけどあれから考えれば藪を突いて八岐大蛇を出そうとしてんじゃね? 出てきたら出てきたで酒を飲ませれば誰でも殺せます、とかそんなんだろう」
「無理ゲーだな」
「無理ゲーだよ」
白い溜息と共に、自分たちには関係の無い話か、と会話を切り上げた二人は階下へと向かう。
「あー、シチューの良い匂いだ。デミ嫁になんかお礼しないと駄目だな。貰いっぱなしは流石に性に合わん」
「そうねぇ。上等な織物でもプレゼントしてみる? ……でもそれやるとデミが物凄く怒るんだよなー」
「別に煽っていくスタイルで構わんだろ。どうせうちに怒鳴り込んできてもデミ嫁の一喝で引っ込むし」