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 私は人よりも感情の起伏が薄くて、鈍いとよく言われることがある。人を傷つけたことはたくさんあるだろうし、傷ついたこともたくさんあるだろう。他の人とそれは同じだ。でも私の場合はそれに気づかない。人を傷つけても、自分が傷ついても気づかない。

 全くの無頓着だった私のことを冷たいと称したのは誰だったか。

 そんな私でも、何とも言い難い感情がドロリと溢れたのがわかった。泣くほどのことではない。これは私とは何ら関係のない場所で起きたことで、無頓着であっても仕方のないことなのだ。そうは思っても、そのドロリとした何かは私の指の先を凍ったように冷たくした。

 写真を置いて、ベッドに腰掛け、深く沈んだ。

 彼らのクローゼットを漁る気は起きなかった。


 しばらく、私は動かなかった。そしてそのまま眠ってしまったらしい。

 目が覚めたのは夜中だった。

 赤の他人のベッドでこうもあっさり眠ってしまえるというのは、いくら疲れていたからと言って私もなかなか肝がすわっている。

 起き上がって、寝室をでた。

 リビングに戻ると、桂木君はソファーで丸くなって寝ていた。男子が寝るにはそのソファーは少し小さい。見たところ、彼はクローゼットを漁ったようだ。シャワーも浴びたらしい。服が変わって清潔になっていた。それならベッドで寝ればよかったのに。私が使っていたのはごくごく小面積だったし、ベッドはとても大きかったのだから。

 

 私もシャワーを浴びよう。

 一度クローゼットの為に寝室に戻り、今度はきっちり漁った。

 この家の女性はかなりセンスが良かった。しかし、こんな時に着るにはあまりにもオシャレすぎた。花柄のワンピースなんて、ゾンビが湧いているときにする服装じゃない。

 けっきょく、彼女が寝間着にでも使っていたらしいラフなスウェットとセーターを選んで私は風呂場へ行った。

 セーラー服とパーカーを脱いで、洗濯機に入れようとしたときに気が付いた。桂木君の洗濯物は既に洗濯機に入れられていて、洗濯は終了していた。

 あいにく乾燥機のついている洗濯機じゃない。干して乾かさなければいけなかった。

 うら若き女子高生。殿方の洗濯物を干すのに躊躇する、なんてことはやはり全くなく、こんな時にそんな女子ぶってもらんないだろという思いから、私は普通に洗濯物を取り出して物干しにかけた。

 うん。本当は外に干したいところなんだけどねー。仕方ない。部屋干しで我慢するか。

 

 熱いシャワーは私の髪にこびり付いたどす黒い血の塊も洗い流してくれた。自分の体を洗っていて、流れる水が赤いというのはなかなかシュールな体験だ。

 桂木君はさすがにお湯につかろうとは思わなかったらしい。風呂にお湯は入っていなかった。ちょっとつかりたいような気もするが早く出てご飯にありつきたいし、今から入れるのではどのみちとても時間がかかってしまう。

 しぶしぶ、風呂場から出て、借りた服を着た。

 他人の服は着心地が良いものではなかったけれど、私のことだからすぐに慣れると思う。幸い彼女と私の身長はほぼ同じでサイズ的には問題がなかった。洗濯機はまだゴウンゴウンと回っている。

 洗濯機が回るのを待つ間、何か食べようと思って冷蔵庫を再び覗いた。食器棚の下部分からカップめんも発見した。ただ、何と言いますかここで私のズボラは発揮される。

 冷蔵庫の中にはそのまま食べられる類の物は入っていなかった。お湯を沸かすのもひたすら面倒くさい。ほら、こういう時にとっても役立つものを私は持っているじゃないの。

 いそいそと、桂木君が寝ているソファーのすぐ近くに置いてあった私のスクールバックの中からプリンを取り出した。

 鞄の中でかなりの荒波に揉まれてたらしくぐちゃぐちゃに変形はしていたが、そんなのを気にする私ではない。キッチンからスプーンだけ借りて、私はプリンを租借した。

 うーむ。冷蔵庫に入れていなかったプリンってそれほどおいしくはないんだね。

 私はひとつ学んだ。


 洗濯機が止まるのを待つ間に床に座ったまま、また少し眠ってしまっていた。

 はっと気が付いたのはもう朝方にも近い時間だった。桂木君は変わらずにそこで寝ている。

 

 もうそのまま寝入ってしまいたかったのをなんとか奮い立たせて、私は洗濯機へと向かった。

 セーラー服とパーカーは桂木君の学ランの隣に干す。

 さすがに下着だけは寝室まで持って行ってクローゼットの中のコート掛けに干させてもらった。最低限の配慮だと思う。

 寝室で再び眠る気にはなれなかったので、リビングに戻って桂木君のソファーに寄り掛かった。

 もうこれでいいや。

 いざとなれば野宿で寝ても平気な私は、間違ってガラスで怪我をするかもしれない床で眠るのもどうってことなかった。目を閉じて5分後には夢の中。

 夢の中で私は、桂木君と、たったひとりの親友と、3人でラーメンを食べていた。ラーメン屋のテレビではゾンビ映画。あぁ、こっちが現実ならいいのに。

 でもこれは夢。現実で桂木君と私の親友が一堂に会していることなどありえないからだ。

 

 次に目が覚めたのは、良い香りに誘われてだった。

 「・・・?」

 しばらく自分がどこにいるのかがわからなくなる。

 最初に目に入ったのは床だった。見慣れない床。起き上がってぼんやりと部屋を見る。見慣れない部屋。自分の着ている服も見慣れない。徐々に記憶が蘇った。

 私の体からは毛布が滑り落ちた。これを被って寝た覚えはない。おそらく、桂木君が寝室から持ってきてかけてくれたのだろう。紳士だ。そういえば私が寝ていた周辺の床からはガラスの破片や落ちた物が片付けられている。

 「お腹すいた・・・」

 良い香りはキッチンの方からしていた。

 立ち上がってキッチンへ行くと、カタカタ、トントンと音がした。鍋の音と包丁の音だと気が付くのに少し時間がかかってしまった。それは、とても久しぶりに聞いた、朝の家庭の音だった。


 「あ、起きた?小河原さんおはよう」

 私が見ていることに気付いて振り返った桂木君はしっかりエプロンをしていた。

 「・・・おはよう」

 「ちょっと待ってて、もうすぐできるからそこ座ってて」

 「・・・はぁい」

 まだ若干寝ぼけたまま、私は言われた通りテーブルに着席した。二人掛けのテーブル。この家の新婚夫婦は毎朝こうして一緒にご飯を食べていたのだろうか。

 「おまたせ」

 なんとなく、切ない気持ちになりながら桂木君の背中を見守っていると、すぐに温かいご飯とお味噌汁、目玉焼きが私の前に並んだ。

 「ありがとうお母さん」

 「小河原さん何言ってるの大丈夫?」

 「いただきます」

 私の目にはもはやおいしそうな朝食しか入っていなかった。

 桂木君が作ってくれた朝食は、昨日からプリンしか食べていなかった私にはたまらなくおいしくて、こういう時にも関わらずきっちりおかわりまでしてしまった。

 「さてと、ごちそうさまでした」

 食べ終わると、食器をシンクに運んで、私はリビングに戻った。そのままソファーにごろん。

 「いや、ちょっと小河原さん。何もう一眠りする体勢に入ってるの」

 「お腹がいっぱいになったので」

 「違うでしょ。寝てる場合じゃないでしょ」

 「桂木君は料理ができるんだね」

 「えっ?・・・まぁ、そこそこだよ。大したものはできないけど」

 「あれだけ作れれば十分だよ」

 「小河原さんだって目玉焼きくらい作れるでしょ?」

 「・・・・・・」

 「小河原さん?」

 「・・・ぐぅ」

 「寝たふりしないで!」

 そんなことより、と桂木君は私を無理やり起き上がらせて隣りに座った。

 「これみてよ。寝る前に試してみたんだけど。えーと、今ちょうど8時だよね」

 「?」

 桂木君はテレビのリモコンを手に取って、電源を入れた。

 途端にテレビの画面が明るくなる。

 「あ」

 なるほど、テレビか。こんなゾンビ化なんて始まったらニュースにならないはずがない。世界中で一斉にみんながゾンビになったのなら別だけれど。

 どうやらゾンビ化しているのは世界中ではないようだった。

 『8時になりました。ニュースをお伝えします』

 テレビではニュースが放送されていた。青ざめた顔のキャスターと、かなり乱れた映像が交互に映っている。

 『腐食ウィルスは現在日本全土を巻き込んで展開しております。こちらスタジオはアメリカ合衆国よりお送りしております。こちらの映像は日本首都、トウキョウの現在です』

 画面には、いたるところにゾンビが蔓延る街の中心部が映っていた。109にはちゃんとギャルの恰好をしたゾンビがいることに不謹慎にも笑ってしまう。

 『日本では腐食ウィルスは南から北へと伝染しています』

 再び、画面がスタジオに切り替わる。

 『現在確認されているところによりますと、アジア、アフリカ、ヨーロッパの3州に渡って腐食ウィルスが散布している模様です。腐食ウィルスは人から人へと伝染します。感染者に噛まれることにより感染し、被害は広がっています。噛まれてから腐食が始まるには個人によって差がありますが、およそ3時間程となっており現在抗体ウィルスは存在しません。感染者は意志や人格を失い、無差別に未感染者を襲います。感染者を元に戻す方法は全くの不明であり、もし身近で感染者が出た場合は自分の身の安全を優先してください』

 一般人が撮った映像がスタジオに送られているのだろうか。映像はどれも乱れていて、中には撮影者が無事ではいられないような映像もあった。残された3時間で映像を送った人もいるのだと思う。

 『なお、もしも・・・もしもまだ無事だという人がいるのならば・・・』

 キャスターは言葉をつっかえた。今にも泣き崩れてしまいそうだ。この人は、もともとアメリカで仕事にあたっていたかもしれない。そうでなければ今むこうで中継をつなげられるとは思えない。

 日本のテレビ局にも生きている人がいるということか。それとも繋げっぱなしになっているだけなのか。

 『アメリカ合衆国では現在生存者の受け入れを視野に考えられています。ただ・・・救済行為には多大なる被害が想定されるため・・・』

 それは、この国を捨てるということだ。国を捨てて、生き残った人類は避難する。

 『結論はだされておりません・・・。それでは、次のニュースは正午です。良い、一日を・・・』

 中継はすぐには切られなかった。良い一日なんて、ありはしない。それでも彼女がそう言ったのは、彼女自身もうここに生存者はいないとあきらめてしまっているからかもしれなかった。

 キャスターが退場して、それから何も映っていない画面が数秒。その間に混乱したような英語での会話が画面外で飛び交っているのが雑音に混じって聞こえた。

 

 「この辺りだけじゃなかったってことだね」

 画面が黒くなってから、やっと私は言った。

 「それに、もう生存者がいないかもしれないと思われている」

 「そうか・・・」

 それは大変。 

 「どうしようかねぇ」

 どうするもこうするも、とりあえず北に向かうしかないのだが。

 言いながら、私はレンタルショップから根こそぎもってきたDVDの内、鞄に詰め込めた物を物色し始めた。ふーん、このDVDなんかいいかも。ゾンビもの。ただし内臓出る系のコメディ。

 「そうだね・・・」

 桂木君はそんな私を見ているだけだった。

 ツッコミがなくて寂しい。

 私は当初の目的は果たしたし(DVD返却)極端なことを言えばあとはどうなってもいいのだった。

 そう、本当に。

 私は命が、これといって惜しくない。

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