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駐車場でポルシェの影から現れたゾンビをひとりバットで殴った。
そいつがよろよろとしている間にまだ震えている桂木君から弓と矢筒を引きはがし、リュックもろとも後部座席に放り込む。運転席に桂木君を押し込んで、私は助手席に飛び乗った。
「桂木君」
「・・・・・・」
「桂木君。車」
「・・・はい」
ガタガタ震える手で桂木君はやっと車のエンジンをかけた。
「小河原さん!」
「え?」
「シートベルト!!」
「はい?」
「シートベルト!!!」
まさかのシートベルトを注意された。
私がガチャガチャしている間にゾンビたちがまたすぐそばまで来てしまっていた。
「いいから出せー!!」
「うわぁぁぁ!!!」
私の叫び声にびっくりした桂木君はアクセルを思いっきり踏み込んだ。
ゾンビが2人程車に跳ねられて吹き飛んだ。
「うわぁぁぁ!!!」
「うわぁぁぁ!!!」
びっくりした桂木君がまた悲鳴をあげて、それにびっくりした私がまた叫んだ。
うーん。私たち、相性が良いとは言えないかな。
ある意味息は合ってるけど。
そもそも私は一度桂木君に殺されかけてるんだった。
車は校庭から道に飛び出して、他に誰もいない道路を一直線に走り抜けた。
しばらくは2人共黙りこくっていた。
桂木君は半泣きで息を乱している。
ゾンビとはいえ殺してしまったことに酷く動揺しているらしい。安心していいよ桂木君。彼らはゾンビだ。痛みもない。・・・まぁ、おそらくは。
注意して見ると、いやもしかすると注意して見なくとも、町にはゾンビがワラワラしていた。
車を追いかけてこようとはしないけれど、止めたら最後、囲まれて襲われるって感じ。
「小河原さんのアパートってどこ・・・?」
しばらくして、桂木君はやっとしゃべった。
私のアパートは歩いて15分。今まで口に出さなかった私も悪いけど、随分と離れてしまった。
「高川通りのスーパー近く・・・」
「・・・なんでもっと早く言ってくれなかったの・・・」
「・・・ごめん」
話しかけたらダメかと思ったんだよ。
誰も居ない空っぽの駐車場で方向転換して、私たちは元来た道を戻った。
「ゾンビたちの弱点って何なんだろう」
「うぅ・・・」
この話はどうしてもすぐにしなければならない。気分が悪そうな桂木君は無視して私は話した。
「首を飛ばして、後頭部に穴をあけて、額にナイフを刺して・・・。でも首の骨を折っただけじゃ死ななかった」
「・・・そうだね」
桂木君どうしたのかな?声が消えそうだぞ?
ゾンビの弱点が頭部だというのは、ホラーのセオリーだ。現実でも本当にそうなのだろうか。
「脳だろうね・・・」
仕方なく、桂木君は自説を話してくれた。
「多分だけど、脳を破壊するか、あいつらにとって重要な神経が脳と体をつないでいて、それを切るかすれば・・・」
「あとは燃やすだね」
「あぁ・・・」
さっき火炎瓶をゾンビの群れに投げ込んだことを思い出したのか、また桂木君の顔が青くなっていく。このまま気を失われてはゾンビに襲われる前に事故死だ。
優しい私は話を変えてあげることにした
「私たちの他にまだ人間のまま残ってる人っているのかな?」
・・・変えるまではいかなくてもずらす程度はできたでしょう。
「どうかな・・・。でも残ってるのが僕らだけだっていう方が不自然だよ。自分がそれほど運が良いとは思えないし・・・」
「じゃあ探せば他にも仲間がいるかもってわけね」
できればレンタル店の店員さんとかが生き残っていてくれるといいんだけど。ゾンビが返却を認めてくれるとは思えない。・・・あぁ、いや、延滞はしてないんだから普通にポストに突っこめばいいんだ。私としたことが、混乱しすぎ。
「この辺りじゃない?」
ちょっと考え事をしている間にアパートのすぐ傍まで来ていたらしい。また通り過ぎたら怒られてしまう。危ない。
「そうそう、そこ右に曲がったら止めて」
「縦列駐車は苦手なんだよね・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「道の真ん中に止めればいいでしょ。他に誰も運転してないんだから」
「そうか・・・」
止めた後はまだ良い。問題はまた乗るときだ。
そこに止めたままにしておいたら人間のにおいを嗅ぎつけたゾンビたちが車に群がってくるかもしれない。乗り込むのが酷くめんどくさい上に危険なことになってしまう。
危険はともかくめんどくさいことは大嫌いだ。
「止めたら私は降りるから、降りたらすぐにまた動かして」
「えぇ?」
桂木君は怪訝そうな顔をした。
まったく。馬鹿だなぁ。
「いいからそうして。そんでまた戻ってきて」
「危険すぎるよ。僕も一緒に行く」
「ちょっと、おにもつ・・・じゃないや。私は1人でも大丈夫だから」
「・・・わかったよ」
言い間違えが聞こえてしまったのか、桂木君は納得した。
私の方が強いのは本当のこと。だからそんなむっとしないでよね。
アパートの前には変わらずゾンビたちがうろうろしていた。
ひょっとしたら増えたかもしれない。
「大丈夫?」
「大丈夫だから、心配しないで」
「・・・・・・」
桂木君がブレーキを踏んだと同時くらいに私は助手席のドアを開けた。
「それじゃ、15分たったらまた来て。過ぎたら私のことは諦めて逃げて良いよ」
映画の中じゃ絶対言ったらダメな感じのセリフを言って、完全に止まるのを待たずに私は車を降りた。
ゾンビたちは既に車に向かって歩き始めている。
桂木君がまたすぐに車を動かしたのは音でわかったけれど、私は振り向かずに真っ直ぐアパートの入り口まで走った。
15分は言い過ぎだったかな。いやいや、がんばれ私。
景気付けに、入り口近くで襲ってきたゾンビの頭部にむかってバットをスイングした。
グチャリと嫌な音がして、ゾンビの頭は下に落ちてしまった。時間差で体も倒れる。
頭を落としたのはこれで2度目。腐ってるから首が落ちやすいんだね。 悪いけど、そうすれば死ぬってわかってるから頭を狙わせてもらうよ。
長い螺旋階段を6階分。一個飛ばしで駆け上がる。普段はこんなに疲れることしないんだよ。やればできるんだこれが。
今度は階段にもゾンビがいた。
もしも昼にここを出るときに彼らに気付いていなかったのだとしたら私は強運の持ち主ということになる。まさか気付かない内に噛まれてたりとかしてないよね?
螺旋階段っていうのはゾンビを倒すのには非常に便利な場所だった。いや、ゾンビじゃなくてもそうだろうね。
バットを一振りしてゾンビを手すりに叩きつければいい。規定ギリギリそうな柵の低さもあって、自分の重さに負けて勝手に一番下の階のエントランスにまで落ちてくれる。
グシャッっていう音が平気な人はやるべきだね。
帰りにゾンビが積みあがってるのが目に入るかもしれないけどそこは我慢しましょう。
階段を上りきるころには私もさすがに息が切れていた。途中ゾンビたちを下に突き落としながらだ。
最後にお隣さんが待ち受けていたときはどうしようかと思ったけど、なんとかやりきった。彼女、すごい体大きかったからね。一筋縄ではいかなかったんだ。
懐かしい懐かしい自分の部屋に入ってもゆっくりする時間なんてない。ここまでに時間を使いすぎた。私は急いでレンタルDVDの袋をひっつかみ、転がっていたスクールバックにつっこんだ。
えーと、それと何だっけ。
とりあえず食料と水か。
冷蔵庫を開けるとそこには驚くほど碌なものが入っていなかった。
半分程入ったマヨネーズに、いつ買ったのか思い出せない卵、先週コンビニで買ったプリン。
割れる恐れのある卵は置いておいて、マヨネーズとプリンをバックに入れる。・・・意味ない気がするけどないよりマシかなって・・・。
後は机の上に転がっていた空のペットボトルに水道水を詰める。この時ばかりは自分のズボラさに感謝した。ふつうこんなにたまってないよ空のペットボトルなんて。
時間的に、ペットボトル3本が限界だった。残念。まだあったのに。
部屋を出る直前に気付いて、ケータイ電話と充電器も持った。充電器を持つことを忘れなかった自分を大いに讃えたい。ケータイは基本放置な私のような人間の場合、気づいたら充電ゼロなんてよくあることなのだから。出るときに一度だけ自分の部屋を振り返った。ここにはもう戻れないかもしれない。
いいさ。たかが2年近く暮らしただけの場所だ。未練なんてない。温かいお布団は魅力的だけどね。
6階分を駆け下りるのに残された時間はあと3分だけだった。ペットボトルに水を詰めるのにも時間がかかってしまったし、これは仕方がない。3分は過ぎてもあと5分は粘ってもらえるはずだし。その5分間ゾンビに囲まれずにいるのはちょっと難しいだろうことに桂木君の数倍は馬鹿な私は気付いていなかった。
下るのは上がるより時間はかからなかった。階段の最後の5段は一気に飛び越え、一番下で待ち構えていたゾンビを踏み倒してやった。突き落としたゾンビの山の中にはまだ生きている奴らもいたようで、山はところどころモゾモゾと動いていた。仲間の死体が邪魔で起き上がれないらしい。好都合だ。
外に走り出ると、桂木君の乗っている車はゾンビに囲まれていた。
「うわー・・・」
作戦失敗じゃないか。
「助けてー」
群れの中心から声が聞こえる。よく聞こえないなぁ。気のせいかなぁ。
「小河原さーん!」
「車出して!!」
私は声を張り上げた。
桂木君はゾンビを何人か引きずりながら私の前で急停止した。
「小河原さん早く乗って!」
「ちょっと待って」
ボンネットに乗り上げている1人を引きずり降ろして地面に転がしてそのあと踏みつけて頭を砕いた。
「ひぃっ!!」
「いい加減慣れてよね」
私が助手席に乗ったのと同時に桂木君はアクセルを踏み込んだ。
急発進した反動で、ゾンビたちは引きはがされる。
次第に遠くなるアパートを見て、少しばかりの寂しさを覚えた。わけでもなかった。
「だ、大丈夫だった小河原さん・・・」
「桂木君の方が大丈夫じゃなさそうだね」
「囲まれて焦っただけだよ・・・」
「待っててくれてありがとう」
「・・・どういたしまして」
桂木君がちょっと照れた。おびえてたと思ったら今度は照れて、忙しい人だ。
「で、何取ってきたの?」
「これですね」
これ以上は引き延ばせまい。私はあえて何も自分は間違っていないよというような顔をして堂々とDVDの袋を出した。
「・・・・・・」
桂木君は真顔で袋を見ている。
危ないよ。ちゃんと前向いて。
「それ何?」
「レンタルDVDの袋」
「・・・うん。そうだね。見ればわかるよ」
やれやれ。わかるなら聞かないでいただきたい。
「そうじゃなくて、中身は?」
またまたぁ。
「DVDに決まってるでしょ?」
桂木君は冗談だろう?というように私を見た。
笑顔の私。私の笑顔は貴重だぞ。よく見ておきたまえ。笑うと顔の筋肉が疲れるから滅多に笑わないんだから。
「嘘だろ?」
「え?」
「う・そ・だ・ろ?」
「レンタルショップ行ってくれる?」
私は笑顔のままそう言った。